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悲しい童話の教育的意義は?
たとえば マッチ売りの少女 や フランダースの犬など の 悲しい童話がありますが こんな 貧しくて死んじゃうような 悲しいだけのお話を 聞かせたり見せたりして むしろ心に悪影響では?と感じてしまうときがあります こういった悲しいだけのお話に 何か教育的意義があるものなのでしょうか? 子供は 年中です
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悲しいお話にせよ、楽しいお話、怖いお話、いろいろなお話がありますがいずれも日常経験しがたい感情の起伏を擬似的に体験させる力があります。 悲しいお話は強い感情を引き起こすことによって、もともとその人の心にあったもやもやと形の定まらない悲しみの感情を一気に排出する力があります。(今から二千年以上前にギリシャの哲学者アリストテレスが同じ意味のことを書いています。) 同情したり、反発したり、怒りをおぼえたり、とにかく幅の広い感情を呼び起こし、泣いたりハラハラどきどきしたりして心の中のもやもやを整理しすっきりさせるのはとても健康的なことです。 楽しいお話、悪い奴をやっつけるヒーローの出てくるお話など子供向けのお話にもいろいろありますね。言葉によって伝えられる他人のさまざまな感情を理解できるようにするには、どれかに偏りすぎてはいけません。楽しいおはなしばかりで育てられた子は抑圧された心にもやもやたまった悲しみを表す言語に乏しく、それを解放するすべを知らないまま大きくなってしまいます。 ところで回答者も年中児の母です。ついこの間まではカタコトの赤ちゃん言葉を話していた子が、今では一生経験しないかもしれない出来事まで「おはなし」をきいて疑似体験できるようになったことに軽い驚きを覚えます。
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- ripple183
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度々失礼します。 「悲しい、切ないというメランコリックな情緒を育てることがどうして貴重なのか」 ということについて、薀蓄というか…。 私が子供の頃は、今ほど「子ども向けのアニメ」に対して制限が厳しくなく、かなりバイオレンスで、凄い番組が結構ありました。(北斗の拳とか) そうした作品は、「子どもの道徳や倫理観に悪影響を及ぼす」として、まず外国で叩かれ、次いで日本でも叩かれ、色々取り沙汰されてます。 実際、とある機関が統計を取ったところ、 1・「悪影響なモノ」を見せて育てた子ども 2・「悪影響なモノ」を見る事を一切禁じた子ども …では、「1」の子どもの方が、暴力や非行に走る傾向が、明確に強く、「悪いモノを見せる事は悪い事なのだ」という薄っぺらい道徳屋や宗教屋達が喜びそうな統計が出たそうです。 ここで、もう一つ条件を増やします。 3・「悪影響なモノ」を見せて、尚且つ、何故それが悪いものなのか、どうして悪いのか、と言う事を教え、考える力を身に付けた子ども この「3」の子どもたちは、「1」よりも「2」よりも非行や暴力に走る割合が低い、という統計が出たそうです。 自由民主主義で、且つ「教育」の義務を課されているこの国において、「1~3」の内、どれがあるべき姿なのか、質問者様には、言わなくてもわかってもらいたい…と思います。 「悪い事を一切禁じて見せない」でいると、人間は「何が悪くて、何が良いのか」考える力、判断する力が、無くなるんです。近年の子どもで問題にされている「モラルハザード」には、こういう背景があるのではないか、と思っています。(大人もモラルハザード状態ですが) もちろん、大前提として「悲劇的な話“だけ”」を見せるのは好ましいとは思っていません。いろいろな話や体験をして、豊かな情緒が育てばよいのではないでしょうか。 >このようなお話ビデオを見たときにふとんをかぶって泣いてしまったんです 質問者様のお子様は、とても豊かで素晴らしい情緒をもっていると思います。「哀しい話」を観て、そこまで「哀しい」と感じて、表現していらっしゃるのですから。お子様のその反応は、とても貴重だと思います。 可愛がっていたペットの犬が死んで、大泣きする子どもと、なんとも思わない子どもと…どちらが命の大切さを感じていると思いますか? >その姿を見て もう二度と見せまいと思う わざわざ、見せ付けるな事はしないで良いと思いますが「臭いものには蓋」で済ませるのは、あまりにも安直です…。ここで、お子様にどう接するかが、大切ではないでしょうか…。 重要なのは、お子様よりも、むしろ親御である質問者様の見識が試される局面だと思います。 もう一つ、参考までに…。 某○○○○教原理主義な国では、ポルノや風俗等、子どもはおろか、大人まで、そうしたものに触れる事が一切禁じられています。 少しでも「欲」に走る事を、徹底的に禁じているのですから、治安はさぞかし良いだろう…と思うかもしれませんが、結果は逆です。 国が貧しいので強盗の要因は複雑にしても、強姦の犯罪率は、日本の比ではありません。健全な国を作ろうとして、「法律で禁じる」「汚いものは見せない」という安直な手段に走った結果が、それです。 広い意味で「教育」に手を抜く(臭いものにフタする)と、ロクなことにならない、という事を、考えていただくきっかけになればと存じます。
お礼
再度の書き込みありがとうございます そして お返事が遅くなりまして すみません うぅぅぅぅうむ なるほどですね・・ >わざわざ、見せ付けるな事はしないで良いと思いますが「臭いものには蓋」で済ませるのは、あまりにも安直です…。ここで、お子様にどう接するかが、大切ではないでしょうか…。 しかしこう、情緒的な話がうまくできないんですね 私が・・・ もらい泣きをするほうなのですが、思考としてはメランコリックな感じが嫌いなのかもしれないです こっそり白状してしまいますと 私自身が 今にもこう言ってしまいそうな・・ "ネロはアロアのお父さんに風評を流されて町中の人から邪険にされて食べることも住む場所もなく今にも死にそうになってしまったのだから、拾ったお金でとりあえず生きるべきでは?この場合、アロアのお父さんに届けている場合じゃないよ・・。" でも。。。それもなんだかなぁ・・・なんとなくTPOをわきまえない不適切なコメントのような気がして・・・・・ それから、実は、人魚姫のお話で、王子様がほかの女性と結婚してしまうが、愛する王子を刺して殺せば人魚に戻れるという究極の選択のシーンでも、心優しい人魚は泡になることを選択しましたが・・・「ママならどうする?」と聞かれて、「たぶん、刺すよ、自分を選択しない王子が許せないから、でも、もし殺すのに失敗したら天国には行けないよ、王子を刺す選択をしたママは心が優しくないからね」って言ったら、娘はすご~く引いていました・・・。 ママは王子を刺しちゃうから天国に行けないんだよねって 何か思うたびに言われるので、それもなんだからなぁという感じなのですが・・・ でもとにかく 心にも 抗菌グッズばかりじゃだめで 10種混合雑菌グッズ的に 多種多様な お話を聞くのも 人生経験ということで・・・
- Kiriyama-taicho
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ブッダは王宮で美しいもの若くて生命力のあるものしか見ないように 汚いもの、貧しいもの、老いたもの、病や死を見せないようにして 育てられたそうです。そのため成人して初めてそれらマイナス要素の 存在を知って深く悩み、苦しみ、その苦しみから逃れるために 修行の道に入ったのだそうです。 何事も偏ったことはよくないということを伝えている話だと思います。
お礼
なるほど 感情に対する ワクチンのような意義 ということですね 確かに 悲しい顛末も 1度くらいは聞いてもよいかもしれないです 悲しみや苦しみの感情に対する耐性と申しましょうか もしも自分の身に それに類似する体験が起こった場合に備えて 類似する感情を過去に追体験していて それを乗り越えていれば 実体験で 全く考えもつかなかった自己感情に翻弄されるという状況は少しは避けられるのかもしれませんし・・・ でも 生ワクチンを打ちすぎると その病気になってしまうと思いますし 悲しいお話は大変強烈な刺激だと思いますので 本人が要求しない限り 繰り返しは見せないようにしたいとは思っています 少しモヤモヤが解けました ありがとうございました
- tamamakun
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#1の方の仰るように情操教育的な目的が大きいと思います。 さらに少女やネロの死に同情できるやさしさがあれば、実世界でこまっている人に手を差し伸べるやさしさもでてくるかもです。 ただヨーロッパではネロの死は「負け犬の死」として捉えられているそうです。 うーん、やはり日本人にはこんな考え方してほしくはないですよね。 http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20071225i302.htm
補足
書き込みありがとうございます。 リンク読ませていただきました。「滅びの美学」ですか・・・ 「信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす。ネロの死に方は、まさに日本人の価値観を体現するもの」 こういう解釈があるのですね・・・・ うぅぅぅぅぅぅぅぅぅむ・・・・・・ #1の方の補足に書き込ませていただきましたので、読んでいただけるとありがたいのですが、どんな情操の教育的意義があるのか、がよくわからなかったのですが、リンクの解釈を考慮すると、「信義の為に死んでもいい」と思える情緒を育てるということになるのでしょうかぁ・・・? うぅぅぅぅぅぅぅぅぅむ・・・・・・ もう少し大きくなってから そういう視点で 議論しあうような題材にはなるのかもしれませんね・・・ ちなみに わが子は女の子なのですが もともと神経が細やかで 人を傷つけたりやり返したりできないタイプで このようなお話ビデオを見たときにふとんをかぶって泣いてしまったんです その姿を見て もう二度と見せまいと思うと同時に いったいどんな意義があるのか すごく疑問に感じたんですね・・・ 幼少時の 脳に対して やたらと悲しみの刺激を与えないほうがよいような気がしませんか? どうなんでしょう? 精神発達にとってどんなよい意義があると思いますか?
- ripple183
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そうした、哀しい話を聞かせることで、「哀しい・切ない」という情緒を育てる事の方が、悲しい話を見せないことより、比較にならないほど、貴重だと思います。 マッチ売りの少女やネロの最期を見て、何とも思わない人間が育つ方が、怖いと思いませんか?
補足
書き込みありがとうございます。 >「哀しい・切ない」という情緒を育てる事の方が、~貴重 ということなのですが 実は 悲しい、切ないというメランコリックな情緒を育てることが どうして貴重なのか はたして そのような思考の傾向をインプットすることが よいのかどうか について 疑問を感じているんです 悲しいだけのお話は マイナス思考や 情緒的にメランコリック傾向になるような気がして 子供の精神発達上 あまりよろしくないのでは?と 思いつつあるので このようなスレッドを立てました マッチ売りの少女やネロの最期を見て、 何をどう感じさせることを 教育的意義としているのかが わからないんです たとえば イソップとかはわかりやすいじゃないですか? 働かないとビンボーになるとか、欲張ると今あるものすら失うとか・・ じゃ 悲しいお話は? 何が目的? って・・・・・
お礼
書き込みありがとうございました お返事が ほんとうに遅くなってしまい もうしわけありません >日常経験しがたい感情の起伏を擬似的に体験させる力 というのは 確かにそうですね >楽しいおはなしばかりで育てられた子は抑圧された心にもやもやたまった悲しみを表す言語に乏しく、それを解放するすべを知らないまま大きくなってしまいます 確かにそうですね お話を見終えた(聞きおえた)あとに 理解できる平易な言葉で 悲しみを共感しあったり 感想を述べ合ったり なぜこんなふうに悲しくなったか こんなふうにならないためにはどうしたらよいか を 話しあうことで 自分の感情や感情の揺れを言葉にしていくすべを身につけることもできるのかなと 思いました