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日本の古典文学と仏教
初めまして。 来世を願う人達が日本古典文学上では多く登場してますが、仏教本来は浄土を目指す必要があるのに、どうして来世の幸せを願うのでしょうか?
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- miirumatsu
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う~~ん、「来世」に輪廻転生する、という場合、いわゆる「浄土」に生まれ変わることも含むようですよ。 「来世」とは、前世、現世、来世の三世の一つですから、今生きているこの人生が終わってから、次に自分の魂がどうなるか、ということを、総合的に言うのだと思います。 だから、今の人生において、行いが良かったり、出家して仏道に帰依したり、煩悩を断ち切って涅槃の境地に至ることができたりした人は、十界の上のほう・・・よく覚えていないなあ、すみません、確か、「仏界」「菩薩界」「エンガク界(どういう字だったか・・・)」「声聞界」の四つの「悟りの世界」に「転生」するのではないですか。 行いの良くなかった人や、ふつーの人、在俗のまま生涯を終えた人、仏に縁のなかった人は、その下の「六道(りくどう)」、すなわち「天上界」「人間界」「修羅界」「畜生界」「餓鬼界」「地獄界」の、「迷いの世界」に再び生まれ変わり、またこの世で善行、積徳や、仏道修行を積むチャンスに恵まれる(三悪道に落ちたらもうおしまいなのかも!?)・・・ということだと、大雑把に解釈していました。 能やなんかでは、武士はみんな「修羅道」に落ちて、死後もずっと戦い続けなければならない苦しみの中にあるから、自分の魂を回向して成仏させてくれ、と、坊さんに頼む場面がよく出てきますよ。 やっぱり、こっちの方面の専門家のご意見の欲しいところですね。 素人意見で失礼致しました。
- miirumatsu
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???? 「来世」に「極楽浄土」に生まれ変わりたいのではないですか? 必ずしも地上に生まれて人間になるとは限らないし・・・ 「来世」を願って念仏を唱える人々は、基本的に極楽浄土に転生して、「仏」になりたいもんだとばかり、私は思っていましたが。 仏教の専門の方からのご回答があるといいですね。
お礼
個人的な仏教の解釈を書きます(間違っていたら、手数ですが、指摘下さい)。 仏教は此の世に生きる苦しみから、人間を解放する事を目指した。 此の世に生きる全てのもの(衆生〔しゅじょう〕)は、苦しみに満ちた世界(穢土〔えど〕)に生きている。 苦しみの原因である欲望(煩悩〔ぼんのう〕)を断ち切らない限り、生まれ変わりを繰り返し(輪廻転生)、決して苦しみから逃れられない。 人間はこうした因果の鎖に繋がれている。 しかし、此の欲望(煩悩)から解放され(解脱)、悟りの境地(涅槃〔ねはん〕)に達すると、苦しみの無い世界(浄土)に生まれ変わることが出来る。 何の古典文学に書かれていたのかは忘れましたが、確かに来世を願っていたはずです。 その来世の要素として、(輪廻転生ではない)極楽浄土かもしれませんね、汗。
お礼
「仏教入門」という書籍を見付けたので、それを購入して個人的に解決していこうと思います、汗。 六道輪廻のことでしょうか? それに似たものなら、大量にありますよね(個人的には解釈不能な内容ですが、汗)。 来世の意味を正しく追求していこうと思います、汗。 どうも、有難う御座いました。