英語教育、文法と訳読に偏りすぎ...
英語教育、文法と訳読に偏りすぎ...
こんにちは。ありきたりのつまらない質問です。小学校からの英語教育に関しては賛否両論に分かれますが、このサイトでは どちらかと言えば、反対意見の方がやや上回るように思えます。しかし、それじゃ いっそのこと
英語なんか高校から教えればどうかと言えば、高校からでは遅いという意見が大部分です。
しかし、問題は教え方ではないでしょうか? 日本では英語は訳読と文法にウェイトを置きますが、
これは英語が日本語と全く違う言語だからですよね。その点では 日本人はヨーロッパ人が英語を学習するよりずっと難しいですよね。でも、ここで疑問に思ったんですが、訳読と文法にウェイトを置く方法は
ヨーロッパ人に比べたら むしろ 殊更大きなハンディキャップを背負うんじゃないでしょうか? ヨーロッパ人は自国語の文法も小学校からキチンと教わり、また自国語の理屈をある程度英語に当てはめて考えることができますが、日本では 膨大な漢字を覚えるためでしょうか、小学校では文法にはほとんど触れず、中学でもさらりとしか習わず、皮肉なことに、挙句には 日本語よりも英語の文法に詳しくなり、日本語の構文にも英文法用語を持ち出す人もいるほどです。それに、大昔英語を学んだ人たちは一部の知識人だけで、多くは漢文の素養があり、オランダ語から英語に乗り換えた人も少なくなかったでしょうから、外国語の文章を解読することには慣れていたので、理には適っていたと思います。
そこで質問です。英語はどのように教えるのがベストだと思いますか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに形容詞を名詞の前に置きますね。 ところで感嘆文というのは類似点に入りますでしょうか? たとえば日本語で「なんという日だ!」というのは英語で「What a day!」と言いますが、この構造は一見同じなように見えるのですが、 なんという(なんて)は副詞、「日」は名詞になり、英語では「What」は感嘆詞、もしくは疑問詞で「day」は名詞。 構造は似ているように見えるのですが、構文は違うのでしょうか? うまく質問できているでしょうか? 頭が混乱してしまっています・・・スミマセン。。。