キリスト者である者も含め、日本人は二大一神教の信仰フォーマットに適合せず、また、西欧的無神論者にも適合しないため、しばしば無宗教と分類されやすくなっています。
多神教というより、アニミズムと祖霊信仰、神道と仏教の長い神仏摺合や本地垂迹の流れの中で近代社会に適合した形で実質的には明治以降も意識下で宗教的鎖国をして、文化風土を構築してきたのが日本人だと思います。宗教と一体となった西欧の文化的侵略を跳ね返せるだけの文化風土と国力が偶々あったためでしょう。
世界的に見て二大一神教の侵略を跳ね返した地域というのには一つの特徴があります。それは文化と宗教の結びつきの強かった地域、インドのようなヒンズー国(それでもイスラムは印パ分離までにある程度浸透していました)、タイヤミャンマーのような王室をバックボーンとした仏教国などです。タイやミャンマーの場合、もし、王室が改宗してたらあっという間に宗教的侵略に屈していたでしょう。現代では以前のような強引な布教はできず、宗教的にはある程度安定した時代なので、ミャンマーやカンボジアのような王室を失った地域でも宗教的侵略は納まっています。
日本人は無宗教なのではなく無信仰なのだと思います。下にもあったように実際には日本人には日本教ともいえるアニミズムと神道と仏教が混合したものが信条や習慣としてしみついています。ただ、これは信仰のように告白する者ではないので、信仰とは見なせない。
現代の宗教学における無宗教という分類は宗教における社会ダーウィニズムをバックボーンとした判別法であり、それにおいて無信仰=無宗教とされるのは仕方がないかも知れません。
まあ、無信仰でも穏やかに死ねるんだからいいじゃん、というしょぼい結論でいかがでしょう。信仰があれば幸福になれるのかわからないですからね。少なくとも信仰を理由に人を殺す一部よりはずっと幸福でしょう。
お礼
早々に回答をありがとうございました。理解しやすい具体例に感謝しています。質問者の私が言うのもおかしいのですが、一番はじめの、「宗教と人間は、どこでどのようにつながっているのでしょう?」という質問について、どこで、どのように・・・って、どう解釈して、答えを出したらいいのでしょうね・・・