• ベストアンサー

多くの日本人は、いつから宗教に無関心になったのでしょうか?

こんにちは。 多くの日本人は、仏教徒または神教徒だと思うのですが、形式やしきたり以外には、教えそのものには 興味がない人が多いですよね。 いつから日本人は宗教ばなれしてしまったのでしょうか?昔はこうではなかったのでしょうか? また何が原因だと思われますでしょうか? 世界的に考えて、無宗教ということはちょっと変だと思うのですが、これで日本はいいのでしょうか? 日本人の悲しみや弱さは、宗教を得ることによって大きく癒されると思うのですが・・・

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

 日本人は「無宗教という宗教を信仰している」と言われています。日本のように色々な宗教が混じっているのは珍しいですよね。これは小崎弘道さんなどに言わせれば、江戸幕府が故意的にしたものではないかということです。未来のことは仏教に、礼儀などは儒教になどです。つまり統治に都合よいようにということです。  日本人は、宗教によって生活を変えるのではなく、生活にあった宗教を信仰するようです。ですからこれでよいのかなという気が私はします。  いつから宗教はなれしたかは難しいですね。あくまで想像の域ですが、多分キリスト教や儒教など色々な宗教が日本に入ってきたことによるのではないかと思います。

kanakyu-
質問者

お礼

>日本人は「無宗教という宗教を信仰している」と言われています。 なるほど。いわれてみればそうかもしれないですね。なんというか、「自分の中の神様」を信じているというか、そんな気もします。 >生活にあった宗教を信仰する これが、日本人のやり方なのかもしれないですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (13)

  • bazarakm
  • ベストアンサー率46% (65/141)
回答No.14

時代的には太平洋戦争終結後と思います 戦争で多くの神社仏閣が焼失しました その中では再建されることの無い寺院も数多くありました 敗戦後占領時代にマッカーサーによって日本的文化の強制排除政策が取られました 柔道、剣道、華道、茶道、その他の禁止です このことにより日本神道に基ずく習慣を薄れさせました 戦争によって国民生活は経済的に非常に貧窮した生活を余儀なくされ宗教行事にも金銭の出費を控えなければならなくなっていました その後、共産主義や社会主義の啓蒙運動が非常に広まりました この思想は宗教を信仰する事は認めません 文化人、教育者、芸能人、そしてマスメディアにより強力な大衆洗脳が始まりました 色々な場面で古くから行われていた宗教的行事が批判され縮小、或いは廃止されていきました この大きな流れはまもなく信仰の自由が呼びかけられることで収まりましたが、廃止されたものが復興されたり縮小したものが再び活動的に成ったのはごく一部でした 特に大きく影響したのは教職員組合の左傾化でした 政教分離がスローガン的に叫ばれ後々まで宗教的活動は排除されて子供達にも宗教に基ずく季節行事などは生活から全く取り去られた生活に成りました 私の記憶では昭和40年代は未だ学校でも新校舎などが建設される折には地鎮祭や上げ棟式が行われ、町の寺社の祭礼に自治体も協力していたと思います しかしそれも教職員組合員や自治体の労働組合職員の反対で行われなくなりました 特に1965年代から70年代にかけて自治体の季節行事や公式行事からも宗教的な部分は徹底して排除され少しでも行われると政教分離原則に反するとして裁判に訴える反対派が各地に定着してきました それが今日も玉ぐし料問題、祭礼の援助費反対運動、靖国神社問題に結びついています こうして世代交代が進むに連れて人々の生活から宗教や信仰の習慣が消えて行ったと感じています

kanakyu-
質問者

お礼

>時代的には太平洋戦争終結後と思います なるほどこういう見方もあるのですね。 政教分離という意味ではよかったのではと思います。 日本国民全体の、宗教や信仰の習慣が薄れていくのは別にかまわないのですが、宗教を信じる人(自分たちと違う文化を持つ人)を異端視したりする人がいるのが非常に残念なところであります。 ご回答ありがとうございました。m(__)m

  • yu_jan13
  • ベストアンサー率29% (62/212)
回答No.13

日本人が宗教的な関心が薄いのは、日本が島国であることから始まると思います。 日本には、色々な宗教が入ってきますが、それもすべて、完全に発展した形にならないのは、すべて、必要以上の宗教的な文化交流だとかがないが故だと思います。 だから、日本における宗教とは、宗教的なものではなく、島国という立地条件の中で、国の中で築きあげた文化と海の外から入ってくる少しの他宗教の考え方が混ざって、宗教のようなものになっているのだとおもいます。それが、生活習慣の一部となってしまっているが故に、宗教に関心が内容に見えるのです。 なにげなく、誰でも、天皇だとか天皇陛下という言葉を使いますが、天皇とは、読んで字のごとく、天の皇、早い話、神様なのです。つまり、憲法上の解釈はおいておいて、天皇というものを中心に(象徴であっても、やはり、日本国において、皇室とはかなり重要な位置を占めているのも事実です。)成り立っていています。もしくは、何の抵抗もなく、多くの人が、初詣に行きますし、テレビのニュースでは、初詣に何人来たなんてニュースもしています。つまり、日本人の中で、宗教とは、文化、生活の一部なのです。言い方を変えると、日本という島国の中で形成された文化、生活習慣が日本人の宗教になっているのです。だから、関心がないというより、当たり前すぎて、宗教というものに気付いてないんですよ。原因はそこにあると思います。 アメリカでもそうで、アメリカ人の多くの人は、キリスト教徒だと思われがちですが、それは大きな勘違いで、真にキリスト教徒なのは、10%に満たないと思います。後の人は、キリスト教文化の中で育って知っているけれども何の信仰心もないという人がほとんどです。だから、アメリカ人でも、自分は、キリスト教徒だと思うという人が多くいますが(その文化の中で育って)、その多くの人は、何の信仰心もなく、ほとんど何の知識がないのが現状なのです。それと日本の現状は同じだと思います。

kanakyu-
質問者

お礼

> 日本人が宗教的な関心が薄いのは、日本が島国であることから始まると思います。 確かにコレおおきいですよねー。 天皇といえば、大昔は現人神と呼ばれていましたよね。 日本という島国の中だけで通じる常識みたいなのができあがっているんですよね、なんとなくそれはわかります・・・外国のマネしようとはいいませんが、もっと外国の文化を知る機会が、日本人にはこれから必要になってくるように思われました。 ご回答ありがとうございますm(__)m

noname#113260
noname#113260
回答No.12

少々本題からは外れますが、現在の日本に近いのがキリスト教以前の古代ローマかと思います。 ご承知のようにローマはイタリアを中心に版図を広げ、様々な民族を吸収しました。 一口に「ローマ市民」と言っても、イタリア出身者ばかりでなく、属州の人間も徴兵など一定の義務を果たせば市民と認められたようです。 ローマの宗教はギリシャ以来の「オリンピア12神」ですが、こうなりますとオリンピア12神を信じていない市民もおり、国家としては「信教の自由」を認めていました。 ただ無制限にとはいかず、「個人が信じる」のは自由ですが「市民として団体行動する」時は、オリンピア12神を信じるよう求めていたようです。 この「団体行動の時はオリンピア12神を」と言うのが、敬虔なキリスト教徒には受け入れられず、その後の迫害に繋がったようです。 現在日本でも大規模工事をやる時、特に神道の信者でなくても神主さんを呼んでお払いをし、信者とはいえない工事関係者も神妙な顔で工事の安全を願って参加する様子をご想像いただけるとよろしいかと思います。 考えてみますと、神道の頂点に立つ天皇自身が明治時代以前は仏式の葬儀をしたりしてますから、外国から見たら「ローマ教皇」が葬式だけはイスラム教でと言ってるようなもので、日本は変な国に感じるのでしょうね。

kanakyu-
質問者

お礼

再度のご回答大変ありがとうございます。 そういわれてみれば、ギリシャ神話と日本の神話って、なんとなく似てるかも?いっぱい神様とか神様に近い存在とか登場してますね。 意外だけれど大変おもしろいたとえだと感じました。 古代ローマは当時圧倒的な権勢を誇っていて、古代ローマなりの宗教的平和を保っていたのですよね。 日本も日本なりの(大多数の日本人の)宗教的平和を守ろうとしたら、宗教的には閉鎖した国になるしかないのかもしれないですね、なんて考えてしまいました。工事関係者が神妙なカオするのも、正月にはこぞって初詣に行くのも、どう考えても形だけなんだし。というか最早単なるイベントなのかな。 「私は○○の宗教を信じる」ということだけで不当に怪しまれてしまう事実は今後も変わっていかないのでしょうか。諸外国だったら、「へぇ、そうなんだ」で終わることだと思うのに。 多くの日本人に宗教をもっと信じろ、とは言いませんが、せめて宗教を信じる人を、それだけで異端視してほしくないものです。それは世界的にも、憲法的にも常識だと思うのです。逆に私は、宗教を信じない人も、悪魔信者も異端視するつもりはありません。 ううーんお礼のはずなのに、ついアツくなっちゃってすいませんでした。

noname#113260
noname#113260
回答No.11

無関心になったのは安土・桃山時代からです。 それ以前の時代は神社・仏閣が軍事・政治の拠点であり、関を設けてお金を徴収したり、物品の専売をしておりました。 そしてそれに反対する勢力には軍事行動を起こし、大名に匹敵する力を持っておりました。 今で言う「保守的抵抗勢力」というものです。 これに対して織田信長は「自由経済・規制の緩和」とも言うべき楽市楽座をスローガンに、こうした抵抗勢力と戦い、「叡山焼き討ち」「長島の虐殺」などにより、宗教家は政治に介入せず宗教を説く、今日のような「専業宗教家」が出来ます。 因みにこの時代初めて農業をやらない「専業武士」、武力を持たない「専業農民」が出現します。 話を戻しますと、これにより庶民の暮らしに生臭く介入していた宗教が雲の上の存在となり、人々は宗教を信仰の対象とのみ考えるようになりました。 またもう1点日本人の考え方の違いもあります。 旧約聖書のエリコという物がありますが、モーゼの後継者ヨシュアが現在のパレスチナ近辺の町を「神の預言(預の字を使います。予では意味が違います。)」に従い虐殺して回り、王族はつるし首にして死体をさらし、女子供は槍や刀で殺したという記述ですが、我われ日本人は幾ら神様の言葉でもと思わず顔を背けたくなりますが、聖書を信じる方々は「神の言葉を寸分たがわず実現した」とヨシュアを賞賛します。 織田信長も同じように「天下布武」の信念で敵(浅井長政)を殺してどくろを杯にして酒を飲みますが、臣下一同顔をしかめます。 やった行為は同じでも、民族性の違いが出ますので、やはり日本人は宗教に絶対的信用を置いてない民族ともいえます。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/23yoshua.html
kanakyu-
質問者

お礼

興味ぶかいご回答ありがとうございました。 織田信長とヨシュアのお話、初めて聞きましたが、私にはその行為の是非は判断はできません。 どちらも大義名分あってのことですが、殺生してよいのか?となると・・・。 ただ、現代人がやったら「気がふれた」とでも思われて牢屋行きなのでしょうね。 プロテスタントに求道中の私ですが、現代人としてどのように解釈すればよいのか悩みます。 現代人には「法」という名の、宗教に似たものもあるのですね。「神」が裁くのではなく、人の作った「法」が裁く時代・・・なんとも悩ましい時代ですね。 「法」に対して信心深いという意味では、日本人はかなり当てはまるのかもしれませんね。法律上の犯罪者は世界的に見ても少ないと思いますから。 なんかよくわからないお礼になってしまいましたが、すいません^^;

noname#21649
noname#21649
回答No.10

>れで日本はいいのでしょうか? 日本古来から続く.古き良き伝統として.日本人は宗教を信仰していません。 そもそも.日本に仏教が伝来したのは.飛鳥時代頃以降.中国貿易との関係で.中国と隷属していることを示す省庁として.仏教が広まりました。つまり.金になる事をする一つとして.仏教を信仰しました。この伝統は.安土桃山でも引き継がれ.多くのキリシタン大名が生まれ.かつ.キリスト教禁教の原因ともなりました。 「悲しみ」のひとつとして.死者の取り扱いを上げますと.たとえば.台湾での日本人による植民地支配で.台湾の伝統的葬儀方法としての「宅地内埋葬」を禁止しました。が.平安時代では.宅地のそばに放置するという死者を弔う伝統がありました。支配者層だけ「火葬」や一旦土葬し掘り起こして火葬するなどの習慣がありました。 また「弱さ」ですが.困り事相談所としての社寺仏閣があり.たたりであるとして.多くの富を社寺がかき集めるという.今では催眠商法のようなことが日常的に行われていました。この伝統は各種宗教系販売として.必要もない高価な仏壇や日蓮関連書を売りつけるというある政党系宗派で日常的に行われています。これが「大きく癒される」事になるのでしょうか.単に金を巻き上げられているだけにすぎないと思います。 江戸時代「講」という新興宗教が発達しました。簡単に言えば.博打場です。この伝統も今に引き継がれ.「講」という名は消えたものの.競輪場・競馬場・宝くじ・サッカー籤として.引き継がれています。 欧米でキリスト教布教に広く貢献したのが「教会」の存在です。簡単に言えば.日曜日教会に出かければ.教会でお菓子を子供はもらい.大人は酒を飲んでくることです。現在でも教会(ハブリックハウス)の名前は.飲み屋(ハブ)として残っています。 また.キリスト教における懺悔等は.現代では.精神医療施設が各所に存在し.その機能は保健医療を通じで発達しています。 宗教とは.即.利益供与につながるから.日本では普及しました。同時に.利益に結びつかないのであれば.即.廃れました。 宗教としてのキリスト教教会の機能は各社飲食店(ペルリもマッカーサーも青くなった世界有数のアルコール生産能力)に.キリスト教懺悔は医療機関に.江戸時代に発達した「講」の機能は競輪競馬場等の遊戯施設に.飛鳥・奈良・平安時代に発達した仏教は貿易企業に.平安以降発達した詐欺商法は某政党系宗教団体とか近年の新興宗教団体に引き継がれており.日本人の悲しみ・弱さを大きく癒していると考えられます。

kanakyu-
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >利益供与につながるから.日本では普及しました。同時に.利益に結びつかないのであれば.即.廃れました。 この一文に集約されているように思えました。 利益に結びつかない宗教というものが、根付きにくい国柄、ということなのでしょうか。 不思議な感覚を覚えます。「無宗教」のような、「烏合の衆」のような、かと思えばとてつもなく「合理主義」なような・・やはり日本は東洋の神秘の国なのかも知れませんね。 私自身は、心の平安と、より良く生きるために宗教を求めたいという気持ちがあるのですが、このこと自体さえもが日本という国にいるだけで異端視されるということに、心が痛み、また憐れにも思われます。

  • pyokon
  • ベストアンサー率31% (41/130)
回答No.9

直接的な回答にならないかもしれませんが・・・。 私は、敢えて信じているとすれば、先の回答に対するお礼で書かれている「自分の中の神様(?)」になります。 自分の人生は自分で判断していきたいし、何を決定するにも、人や神を頼ることは好きではありません。 そして、どんな結果になっても、悲しみを感じたり気持ちが弱くなっても、自分自身の立ち上がろうとする気力を持ちたいと思っています。 人それぞれだとは思いますが。 物心ついた時からそういう風に考えていますので、何が原因なのかは解りません。 両親は信仰心はあまりありませんが、先祖代々の墓参りはかなりの頻度で行っていました。 高校生くらいで、知り合いや友人に、クリスチャンや宗教を信仰している人もいましたが、私には理解ができませんでした。 祈るって何を祈るの?と思っていました。 精神的にそこによりどころを求めるよりも、解決する道を切り開くために一歩でも踏み出すことを考えた方が良いと思っていましたし、今もそう思っています。 以前に、太古の昔は、宗教が政治を動かし経済も動かしていたが、今は経済(金)が総てを動かしていると言った話を聞いたことがあります。日本に限らず世界的に。 私は、「総て」ではないと思いますが、その傾向が著しいと思っています。 私の知っている限りの話になりますが、 イギリス人(日本で暮らしている)と話した時に、毎日祈ったり、週末に教会に行く人は少なくなっていると聞きました。親はクリスチャンだけど、本人や兄弟はそう信仰心はないと言っていました。 別の国籍の方の話では、日本に来た当初は、自国と同じように時間になるとお祈りをしていたけれど、もう今はしていないと聞きました。理由は面倒だからとか。 信仰って何だろうということに突きつめられると思うのですが、昔は今よりも、病気治療に時間がかかり、情報も瞬時に伝わらず、何かを信じ何かに頼るという機会が多かったように思います。 病気になった時も、今なら病院に行けばある程度の病気は解明できますし治療法もわかります。移動手段も飛行機を使えば、別の国に日帰りもできます。また、インターネットの発達により、情報は溢れています。 何が良い悪いという判断ではなく、そういう時代の変化の中で、宗教は人に取り入れられたり、気にもとめられなくなったりするのではないでしょうか。

kanakyu-
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 日本に限らず、合理的な方向へと世界は進んでいるのかも知れませんね。宗教にすがる必要がなければ、たしかにお祈りを無理にする必要もないかと思います。 でもどんなに科学が発展しても、きっと宗教はなくなりはしないのでしょうね。 傷ついている人、踏み出せなくなっている人こそ、宗教を必要としていますから。 >解決する道を切り開くために一歩でも踏み出すことを考えた方が良い 大変すばらしい考え方だと思います。 pyokonさんなりの宗教というより、信条なのですね。 わたしも自分の信条があり、それに一番マッチした宗教があれば入信したいと考えています。

  • nebel
  • ベストアンサー率37% (117/308)
回答No.8

こんばんは 私個人は形式やしきたりは相手に失礼のないように程度には興味ありますが、それ以上にはないですねぇ。 むしろ教えの方に興味あります。 でも、どんなに共感しても信仰はしないでしょう。 奈良時代などは、仏教(この頃は特に宗派などもなく)でした。 で、政治にも深く関わっていたので、全国に国分寺ができたり東大寺の大仏様ができたりしました。 鎌倉・平安時代には、宗派が分かれました。 (分かれたというかできたというか) このころにもまだ信じる宗派はことなるとはいえ、信仰はありました。 戦国時代にも、秀吉が大仏作るからという理由で刀狩ができるくらいですから、信仰はあったとおもいます。 江戸時代には、仏教というよりは、儒教というもの、これはもうある種の宗教ですね、が幕府により広められました。これは支配するのに都合がよいからです。 戦中には天皇の神格化があったくらいなので、信仰心は残っていたと思います。 私は近代化の中で合理主義だけが重んじられてきたために、信仰心が軽んじられ、なくなっていったと考えています。 儒教が宗教か?ということについては、例えば主君のために命をなげうつなんてことは、自分の利害関係でしかありえなかったのですが、儒教(朱学、朱子学)によりそういう意識が植え付けられました。 面白くもない世の中になったものです。 忠臣蔵の話なんて、戦国~江戸初期には理解しがたい話であったことでしょう。 確かに信仰心は昨今薄れていますが、宗教というより信仰心の問題だとおもうので、特定の宗教という形でなくても信仰心があれば、悲しみや弱さは癒されるかとおもいます。 個人的には特定の神に救って欲しいとは思わないし、特定の宗教の教義には一理あるとおもうけど、全てではないとおもうので、特定の宗教を信仰することはできないですけどね。 ただ、一理を知っていくことによって、得るものがあるので、教えを知りたいとは思います。 別に世界と同じでなければならないとは思わないので、これでいいとおもいます。 でも、自分が信じていないからといっても、なんらかの宗教を信仰している人や、その信仰をちゃんと尊重することがむしろ重要だとおもいます

kanakyu-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 信仰心と宗教はイコールではないのですね。 興味深いご意見いただきました。 確かに日本人は信仰心のようなものは強いと思いますが、それは特定の宗教に対してではないですね。 大戦中は天皇陛下のために命を投げ出し、一昔前なら会社のために、そして今なら・・・?何なんでしょ。 人間、何か信じるものが必要だと思うんですよねぇ。 こんな不安定な時代をさまよう日本が今後どうなっていくのか、先行きが心配です。

  • hisya
  • ベストアンサー率22% (65/285)
回答No.7

「宗教」という言葉は明治以前にはありません。明治になってキリスト教的な考え方が取り入られました。その時に出来た言葉です。キリスト教の信仰はあまり広まりませんでしたが、キリスト教的な宗教に対する考え方は水がながれるように人々に浸透しました。 それは何かというと宗教を信じるとき「あれかこれか」選ぶことです。キリスト教徒であると同時にイスラム教徒であることはありえない。ただ一つの宗教を主体的に選ぶことが1神教世界における宗教に対する基本的な態度なのですが、そういう考え方を日本人もするようになりました。 それに対して日本の伝統的な宗教心はそのような二者選一によるもでなく「あれもこれも」という対し方だったということです。神と仏を同時に信仰してきたのであり正月には神社にお参りに行き、人が亡くなるとお寺で葬式をしたわけです。 ですが、明治以降そういう宗教のあり方をキリスト教徒でもないのに、キリスト教徒のように「あれか、これか」の宗教でないから本物の宗教ではないと考え始めた。いまの人はよく結婚式は教会でして葬式はお寺でするのをおかしいと批判するでしょう。ですが、これが日本人の宗教に対する本来のありかたなのです。 日本人は信仰嫌いの墓好きあるいは遺骨好きといわれています。欧米の宗教観からは無宗教といえども日本人に宗教心は目だたないだけで心の底流に豊かにあるように思います。

kanakyu-
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。日本人は「○○の宗教を信仰する」というよりも、「心の中に何か神様のようなものが存在してる」という感じですよね。宗教というジャンルでは、未分化だったともいえるのでしょうか。 仏教が入ってきたときは、神様も仏教も信じるのでOKだったんですね。 キリスト教のように、唯一神を信じるとなると、あれもこれもとはいかない、ということなのですね。 >日本人は信仰嫌いの墓好きあるいは遺骨好きといわれています。 これはいえると思います。別に信心深いことは普段何もしないけれども、やっぱり死んだら浄土へ行きたいってことなんでしょうね。でもたしかに、信じるというか神様をよりどころにしているところはあると思います。 もしかしたら、宗教に関しては日本はまだ一種の鎖国状態が続いているのかもしれませんね。単純な発想ですが、日本人の宗教別パーセンテージを見てそう思いました。 ご回答いただき大変ありがとうございました。m(__)m

回答No.6

♯4です。  ご自分で調べた上で考えていただきたいところですが、あえてお答えします。 》この「GOD」とはキリスト教における神をさしているのでしょうか?  間違いなく「キリスト教における神」です。ただし、イスラム教もキリスト教もユダヤ教も、その他の一神教では、神は天地万物を創造した唯一の存在です。すなわち、あなたが質問されるように「何々の神」「○×の神」などという区別がそもそもありません。あなたの質問そのものが多神教、すなわち、日本人的な発想です。  ちなみに、アメリカの大統領は、その就任式において聖書の上に手を置いて宣誓します。また、イギリスの国歌には「神は女王(王)を助ける」というくだりがあります。ここで言う神も「キリスト教における神」です。  参考までに。  アメリカ合衆国においてもイギリスにおいても、個人の信教の自由は間違いなく保障されています。ただし、国の制度にキリスト教が用いられているのは前述のとおりです。  また、時の首相が個人の意志で靖国神社に参拝したからといって目くじらを立てるのは、宗教的無知が原因です。事実、目くじらを立てて文句を言ってくるのは中国、韓国であり、欧米諸国は一切何も言ってきません。

kanakyu-
質問者

お礼

再度のご回答ありがとうございます。 >国の制度にキリスト教が用いられている 欧米ではそうなんですね。またここに、日本人の常識と世界の常識との違いを見た気がします。 ○○の神という発想そのものが、欧米人にはないのですね。神は神。了解です。 >首相が個人の意志で靖国神社に参拝したからといって目くじらを立てるのは、宗教的無知が原因です そうですね。宗教の自由が認められていれば、これは取るに足らない問題なのでしょうね。 世界の宗教を見据えた見地からご回答いただき、誠にありがとうございました。m(__)m

回答No.5

#2さんの書かれている通り、我が国に於いて宗教は常に政治の手段であり、統治の道具でありました。 歴史的に見て、ローマ帝国やイギリスなども同様なのでしたが、宗教と生活の密着性においてヨーロッパのキリスト教会のそれとはかなり違っており、日曜日には家族揃って教会へ行く・・・のような習慣を子供の頃から体験しない日本においては、宗教と生活の関わりが希薄な事が自然だと思われても当然です。 キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝う行為など、宗教行為としてではなくファッション感覚で抵抗なく受け入れられる事には賛否両論でしょうが、キリスト教の教義に縛られて進化論を信じなかい(米国では5割が信じていない!)ような人間のいる国ではないので、まだまだ日本も捨てたものじゃないでしょう。   >日本人の悲しみや弱さは、宗教を得ることによっ >て大きく癒されると思うのですが・・・   そうでしょうかね? 宗教は人間の悲しみや弱みにつけこんでいるだけでは?

kanakyu-
質問者

お礼

>宗教と生活の密着性 ここにも理由があるのかもしれないと思いました。 確かに進化論については信じる、信じないがありますね。 えっと、失礼しました。 宗教を得ることが、私の悲しみと弱さを癒してくれるという意味です。宗教が必要ない方もいらっしゃると思います。

関連するQ&A