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宗教に代わるもの
日本では宗教に対する信仰が他国の人々に比べてあまりないと思いますが、 それに代わるものとして人間関係が宗教みたいになっていると考えてよろしいのでしょうか??
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- himiko_1947
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追記:宗教に替わるものと云うより、宗教がなくなっても、という表現が適切です。 人間関係や、人間である事の不条理から出てきたものなので、人間関係が替われるはずはありません。 哲学とか、科学とかと云うのであれば解りますが。
- himiko_1947
- ベストアンサー率21% (118/549)
根本的に間違ってます。 人間関係で充足できなかったり、また人間関係で傷ついたり、人間だから迷妄に陥ったり。 そう云ったものから逃れる(ちょっと単語がまずいですが)為に創造されたのが宗教です。 人間から超越したい。人間を超えた人から間違いのない生き方を命令されたい。 それが宗教の一面です。
>>日本では宗教に対する信仰が他国の人々に比べてあまりない 神社の鳥居を真似たグッズを置いてゴミ不法投棄がなくなると聞きます。これは神の存在をどこかで意識していることではないでしょうか 日本人は神仏の種類が多く信仰が希薄にみえますが思っているより信仰深いと思います >>それに代わるものとして人間関係が宗教みたいになっていると考えてよろしいのでしょうか? 神仏の存在を認め、信じることが宗教です。ある人間や ある道徳を強く信頼するのとは違うのではないでしょうか。
- spybotgirl
- ベストアンサー率13% (5/36)
1.そもそも宗教とは何でしょうか。ある種、趣味を共にするものが仲がいい、と言う時の趣味のようなものとも言えるのではないでしょうか。もちろん、単なる趣味とは違い、畏怖の対象、道徳的な規律でもありましょうが。 終戦を得て日本人には神に対する不信感が根付きました。現在では、ほとんど冠婚葬祭の形式的な儀式としてあるだけでしょう。 2.宗教のようなものが必要でしょうか。やっぱり、大勢をまとめるには、共通の”いい趣味”が必要だと思います。日本では、「科学技術を筆頭とする学問」がそれをなしているのではないでしょうか。技術立国のこの国では、否が応でもハードな9年以上の義務教育を受けます。100点満点とれない多くの人にとって、この「科学技術を筆頭とする学問」は、畏怖を抱く共通の対象でしょう^^。身の回りにある高い技術で作られた製品はBLACKBOXであり、個人では修理することもできない恐れ多いものです。国民がシーンとしてしまうひとつの源泉じゃないでしょうか^^。日本人は、宗教なんてお化けとおなじで、あり得ない、馬鹿くさい、と思ってしまう、科学技術教絶対信仰の徒なのです。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
国際社会で宗教のない日本人は「誓う」事が出来ないから信用できない…という事をたまに聞きます。 (国際社会の指摘は「日本には信仰」がないのではなく、「日本には宗教が」ないと言っているのです。) 確かに宗教を持つ国のように絶対的存在を持たない日本人は他の国から観れば当てにならないのでしょう。共産国家や独裁国家、王国では宗教がなくてもそれに変わる絶対的な存在があります。民主国家であり元首が入れ替わる国であっても、国の名誉に誓う事が出来ますが、日本のように愛国心も低い国では国の名誉にさえ誓う事が出来ません。 (他の国であれば、国旗が燃やされたら、何らかのリアクションがあるでしょう。場合によっては国交さえ危うくなりますが、日本では一通の抗議文でお仕舞い。国民も何も言わず、援助を打ち切ろうという話題さえ起きません。他の国から観ればそれらは愛国心のなさを示すものです) さて本題に戻りますが、 >代わるものとして人間関係が宗教みたいになっている… たしかに日本人は宗教を持たない割には特定の人を崇拝する傾向が強いようです。多くの業種に「神」がいます。その人間性の善し悪しに関わらず、特定の功績を上げれば簡単に神になってしまいます。日本人は拘束を嫌いながら拘束を強く望む民族なのでしょう。 そういう意味では「人間関係が宗教みたいに」なっているといえます。しかしあまりに不完全な人間神は同じ枠内に無い他者にとってみれば、なんの効力も発生しないのです。
- pluto002
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キリスト教やイスラム教、ユダヤ教など一神教の国々では神は一人であり絶対の存在でありそれを信仰するという形態ですが、日本の場合、八百万の神々(やおよろずのかみ)というのが伝統であり、水の神様や川の神様、安産の神様や福の神から貧乏神まで存在します。こういう寛容な起筆や自然観が日本人の宗教観といえるでしょう。 あと、検索して下記のような調査に関するHPもでてきたので参考にどうぞ。
- jacta
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> 日本では宗教に対する信仰が他国の人々に比べてあまりないと思いますが、 そんなはずはありません。 仮にあるとしても、それは「日本人」ではなく、質問者さんの「周辺の人々」のことではないでしょうか? 私の実家のあるところは、秋祭りが盛んなのですが、地域全体が秋祭り(とその関連行事)を中心に回っています。公立の小中学校でさえ、秋祭りの日は休校になるぐらい、地域住民への影響度は大きく、それ抜きの生活はありえない状況です。 初詣や盆やお宮参り等は、やや形式的な感じも受けますが、秋祭りとそれにかける人々の熱意は、純粋な宗教心です。もちろん楽しいからやっているわけですが、そもそも宗教というのはそういうものです。
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
宗教というのは、日本人が考える以上に道徳律や哲学、つまり生きる規範やご近所付き合いの規範(モラル)を伴っています。 これは聖書やそれに類する書物に書いてあるということではなく、それを利用してコミュニティーがモラルをすり合わせた結果、それを利用する地域のモラルが似ていくるということです。 しかし世界は広いですから、たとえばキリスト教でもアメリカ人とイタリア人では大きなモラルで同じでも、ご近所付き合い程度のモラルでは大分違いがでてきます。 もともと日本は、世界的に見て珍しいぐらい原始的な宗教感が残っている国です。他の宗教のように、聖書があったりしませんし、規範が先で具体的なものは後から来ていますので、具体的なものは何でもいいのです。 ですから、神社もありますし、仏像もありますし、教会もありです。 、神聖なものを感じた場所を掃き清めるだけで、満足することもあります。 このような関係性からみると、日本人は人間関係(モラル)がすなわち本当の宗教観を表していて、お寺などはカリモノに過ぎないともいえるのではないでしょうか。 #5さんが話し合い信仰について指摘されていますが、それに追加して言霊信仰と太陽信仰を上げたいと思います。 言霊信仰は、口に出したらそれが叶うということです。飛行機に乗る人に「落ちるよ」とはいいませんね。しかもほんとに落ちたら「あんたがあんなこと言ったからだ」と攻められますね。これが言霊信仰です。 また太陽信仰も面白いです。日本人は朝日と夕日が大好きです。年配の方などはよく拝んでおられますし、初日の出は、どこからともなく万歳三唱をしてしまいます。 ですから、日本人に信仰心がないというのはウソです。見た目の分かりやすさがないだけです。 また人間関係はどこの国でも、モラルが伴うがゆえに信仰心(百歩譲って宗教観)が現れますので、特に日本人に関しては、人間関係こそが宗教(日本教)だと言ってもいいのだと思います。 参考文献 ・日本人とユダヤ人(山本 七平) ・言霊の国解体新書(井沢 元彦) ・日本は「神の国」ではないのですか(加地伸行) ・この国のかたち(司馬遼太郎)
- ARX7
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一般的な日本人は、信仰心を、もっていると思います。 自分のことを、神は信じないと考える人でも、正月には、神社におまいりしますし、お葬式は、仏教形式ですよね。 キリスト教やイスラム教のように1つの神しか信じるなという考え方をは、多くの日本人には、合わないみたいですね。 日本人は、ありがたいものは拝みますが、年に数回おまいりするぐらいが、楽でいいと思います。 ちなみに私の場合は、定期的にお参りしています。
- Gantz10
- ベストアンサー率17% (20/117)
あまり無いのではなくて、あまり明確に意識がされないだけで、日本人は強烈な宗教心を持っていると言えます。 一言で言えば先祖崇拝と話合い信仰です。 特に先祖崇拝は、史料においても二千年近く続くことが立証される天皇を支えているもので、この「ご先祖様が見ている」という感覚は、「世間」というものよりも遥かに長い間日本人を律してきたものです。 戦後、民法が改正されて家制度が崩壊したときから、経済面でそういう意識が薄れるにつれ、「世間」が意識に上るようになってきていますが、まだまだ歴史は浅いもので、日本人の宗教(に代わるもの)とするには、足りません。 ちなみにご先祖様の最も上位に来るのは天照大神であり、天照大神を祀る伊勢神宮は、1300年の式年遷宮を続ける最古の伝統を持つ神社です。その天照大神の直系のご子孫という物語を日本人は共有しているから、天皇家は今なおゆるがず存在するのです。 話合い信仰の方は、仏教やキリスト教を本来の教義から完全に捻じ曲げてしまった源泉ですし、イスラム教やユダヤ教がほぼ全く入ってきていない理由です。世界一人口の多いイスラム教が、全くと言って良いほど日本人の中に入ってきていないのは、日本人の中にある宗教心が、イスラム教と正面からバッティングするからです。その意味で、強烈な宗教心と言えます。 「話し合えばなんでもうまくいくし、それは正しい」というのが、一言で言ったときの話合い信仰の教義ですが、世の中には違う原理があります。例えばイスラム教やユダヤ教の「神の言葉故に正しい」という発想がそれです。なんか納得のいかない戒律があったとき(豚を食べるな、etc.)、日本人は必ずそれを「話合い」で骨抜きにしてきました。それ故に、戒律が明確でないキリスト教はなんとか入り込んでいますが、戒律が明確なイスラム教やユダヤ教は、そんな「話合い」はそもそも認めませんから、入りようが無いのです。 仏教は、平安時代に既に最澄が大乗戒壇というゆるい戒律による僧の認定を始めて、戒律の骨抜きを始めました。今では肉食妻帯は全ての僧侶が行なっています。ちなみに、別にそれを悪いと言っているわけではありません。それが仏教が日本で生き延びる道ですし。
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