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宗教について

私は多分、多くの日本人と同じで、 生まれつき宗教に縁がありません。 でも世界的にみると、日本の方が珍しいことのようです。そして、かなり日常生活から、大きな影響力のあるところまで浸透していそうですよね。 道徳や家庭内の教育にもそれは現れてますよね。 ハリウッド映画の家族ドラマ系ものにはよくでてきますし。 しかし、日本人だからでしょうか、 どうしても宗教を疑ってしまいます。 これはもう、癖みたいになっています。 どうしたら信じることが出来るのでしょうか? 日本に生まれたのだから、しょうがないのでしょうか?

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  • saya2525
  • ベストアンサー率48% (78/162)
回答No.5

宗教は必要な人のためにあると思うのです。 ある人にとっては心のより所だったり、ある人にとっては生きがいだったり。 なかなか答えが出せないものや、どうしても消化できない思いなど、世の中には厄介なものがたくさんあります。 例えばとても大切な人が亡くなってしまった時、取り返しのつかない後悔を抱いている時、助けになってくれるのが宗教だと思っています。 ですから、無理に信じようとする必要はありません。churuさんが必要となさる時、自然と受け入れられるものだと思います。 ちなみに私は無神論者です。 ごく個人的な意見としてお聞き流し程度に… 失礼致しました。

その他の回答 (10)

回答No.11

No.7です。 補足します。 >「何に」祈ったんですかね?(^_^;) 人によっては それが「神」「仏」だったりする場合があるのだと思います。「奇跡」だと思い込んでしまう人いますし。 >あと、サッカー中継とかスタンドで祈ってるのは、だいたい女の子ですよね。 正確には、「サッカー中継とかでテレビ局がカメラで映している映像に女の子が多い」ですよね。作られたイメージだと思うのですが。もちろん その(作為的な)映像が人の考え方を変えてゆくのですが。(私は 男ですが) >日本は不安が希薄というのもわかるきがするのですが。先進国はどこも同じじゃないですか? そうでしょうか?日本は「島国」で 国境を感じません。また、多民族国家でもないと思います。近年はテロが発生するので、どの国も不安があると思いますが。 断片的な下手な説明で わかりづらくて 申し訳ないです。

machuru
質問者

お礼

そうですね、「島国」というのは案外大きいんでしょうね。 回答ありがとうございます。

  • aminouchi
  • ベストアンサー率46% (376/804)
回答No.10

日本人の「無宗教」についての質問はこれまでにも出ていますし、そのたびごとにそれは誤解であると私は回答してきました。 以下の回答は以前にしたものとほぼ同じものですが、改めて書かせていただきます。 日本人は宗教に無関心なのではなく、自分が信仰を持っていることについて無自覚であるのです。というのはほとんどの日本人が日本教とでもいうべき信仰の持ち主だからです。 一般にこのような質問で問われる「宗教」は開祖が居て、教団や教派が存在し、その教義や信仰内容が明確なものと考えますし、その具体例としてキリスト教やイスラムを考えることが多いようですが、世界に存在する宗教を見て行くとき、必ずしも宗教には教団が存在するわけでもないし、教義がはっきりしている訳でもありません。 そのような宗教として一番分かり易いのはインド人の持つ信仰と宗教です。普通、ヒンドゥー教と呼ばれるインド土着の宗教はさまざまな神が存在するものの明確な教義はありません。もちろん開祖が居る訳でもなく、あるのはただ神を祭る寺院とそこにお参りする人々だけです。しかし、そのような宗教であるにもかかわらず、インド人を無宗教であると言う人は居ないでしょうし、インドの民族宗教としてヒンドゥー教は認知されています。つまり、「宗教」というものの形態には様々な物があり、一つの型に押し込めてはならないのです。 さて、元に戻りますと日本には神道と仏教(本来の仏教を日本的に変容しています)とをごちゃまぜにしたような信仰があり、それは仮に「日本教」とでも名付けられるものです。問題は、これを信仰であり、宗教であると自覚的に捉えられる人が少ないことにあります。 宗教とは教義だけのものではなく、一つの世界観を示す物であり、生活規範でもあるということを考えますと、日本にも明確に宗教が存在しています。積極的にそれを布教するような人はまずいませんし、教義も信仰対象もあいまいなまま存在しているのですが。 自然と人間とが一体化した世界観、そして、彼我の区別を明確にしない(仲間内の)和を尊ぶ態度、七五三などにみられるお宮参りの習慣、彼岸や盆・正月に見られる宗教行事など日本人の信仰を示す証拠はたくさん見つかります。 また、同時に日本教にはもともと他者の宗教に対して寛容な傾向があり、なんでも受け入れていくという柔軟さと受容性があります。特に第二次大戦後憲法により「信仰の自由」が明確に保障されるようになってからは、多種多様な宗教が仏教系・神道系・一神教的なものを問わず成立してきています。そのような状況であるからこそ、日本人の多くは「日本教」とは異なる宗教について胡散臭く、怪しげなものとして感じるのです。 逆に言うと、そのような状況の中で、自分は「××教」を信じるという人は自覚的にそれを選んでいるはずです。 長くなりますので、これ以上の論及を控えますが日本人に宗教はないという認識は誤りであると私は考えております。無関心なのではなく、自分の信仰について無自覚なのです。そして自分は「無神論者」であると思っているのです。 ですから、machuruさんも「どうしたら信じることができるのでしょうか」と問うのではなく、自分の内側に存在する信仰について自覚を持っていただきたく思います。

machuru
質問者

お礼

なるほど、それは気が付きませんでした。 わかりやすい説明をありがとうございます。 「日本教」ですね。 そういう自覚は無理なくできますね。 「文化」と似てますね。 でも、「無神論者」は普通、間違えますよ。 単純に「神」の存在を認めてない人は、「無神論者」 だと、思ってしまいますもの。 インドでは、神の存在感はどのくらいなのでしょうか? イスラム圏では明らかに祈ってますよね。 そしてその「日本教」も今では、 ほとんど力を失っているのではないか?と思うのですが?どうでしょう?

  • tokoroju
  • ベストアンサー率13% (3/22)
回答No.9

その土地に根付いている文化に関わっていることなので 異なる文化に接したときに違和感を感じることは当然あることだと思います。 現代に生きる日本人の多くは、毎日決まった時間に祈りを捧げるとか 教会に行くなどのアクションが大きく目にとまりやすい行為をしませんが 食事の前に合掌して「いただきます。」とやる人は少なからずいるのではないでしょうか? 本人にとって合掌することが信仰の意味を持っていなかったとしても このような小さなことにも長い年月をかけて日本に古くからある宗教観の 影響を知らず知らずのうちに受けた結果、意味は薄れても形として残っている事柄も多々あると思います。 現在の日本は宗教国家のような形はとっていませんが 日本人から見て宗教色の濃い土地に住む人たちの行動も 実は日本人の感覚と同じように、当たり前のものとして極自然に身に付けているともとれます。 古くから国民のほとんどが信仰している神様に毎日祈りを捧げている状況も 日本人が当たり前のようにしていることと同じように生活に根付いているもので 本人にしてみれば当然あるものとして暮らしているのかもしれませんね。 日本人は行動として神に祈りを捧げる機会が少ないので(お手軽な神頼みは除きますが…) 祈ること自体が特別な状況下においてしか経験できません。 その日本人から見て特別な「祈る」ことを日常的にこなしている人を見ると、 自分との違いを感じ、また祈る姿は直接的に宗教をイメージできるので 宗教そのものに対しても違和感のようなものを持ってしまうのかもしれません。 短く纏めると、てきとうな言い方と思われてしまうかもしれませんが 「カルチャーショック」ということでしょう。

machuru
質問者

お礼

なるほど、「祈る」行為に違和感、ありますね。 なにをやっているのだ、とショックをうけます。 ご意見を聞いて、 宗教はやっぱり「自然」がいいと思いました。 生まれついてのものですね。 新しいモノもそれは必要な時もあるかもしれませんが、やっぱり「違和感」があると中途半端になりますから。 それを無理にやり通す、となると、かなりゆがんできそうです。 参考になりました!

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.8

宗教そのものを信じることができなくても、宗教が実際の 歴史・社会・文化・文明の形成に大きな影響を与えてきた ことを理解することは、特定の宗教の信者でなくても非常 に有益なことです。 宗教アレルギーを和らげるという観点では、そういう知的 理解から深めていったほうがよいかと思います。 もはや古典の仲間入りかもしれませんが、 『武士道』(著者:新渡戸稲造) なんかを読むと、日本古来の神道、外来の仏教・儒教が 日本人に普遍な心理の形成に大きな役割を果たしたことが わかります。 特定の宗教や宗派に信仰をもつということは、個人の人生 の大きな節目となることが予想されますので、なにかしら 縁があった時に真剣に検討されればよいのではないでしょうか。

回答No.7

宗教って、何を指すのか人によって違うのかも!? 私だと、仏教ならお釈迦様(釈尊)の言われたことかなぁ。是非、初期の仏典を読んでみてください。(原始仏典とか?)それに、聖書。あと、イスラム教の教えとかも読まれると良いのでは? 読まれるとわかるのですが、「儀式」についてはあまり書かれておらず、「生き方」(いろいろな悩みをどう解決するかの糸口)について書いてあるような気がします。 多分、人生での大きな悲しみは「人との別れ」だと思います。それを和らげるような(糸口を)教えてくれるのが宗教なのかなぁと思います。 いつも 安心して生きていられて 安心して死ねる心(精神状態)をもてるような糸口を提供してくれるのが宗教かなぁと。 (儀式にとらわれている宗教はナンセンスと思います。もちろん、それで満足な人には最適と思います。) 不安がなければ、必要ないと思います。 (日本人は、中流意識が強すぎたり 安全がタダだったりしたので 不安が希薄なのかも知れません。) (私も 「宗教とは無関係」と強く思っていましたが、子供が手術のとき「無事に」と(何かに)祈ると言う行為なんとなく理解できました。でも 私は一体 「何に」祈ったのでしょうね??) げっ ぜんぜん 回答になっていません!

machuru
質問者

お礼

「何に」祈ったんですかね?(^_^;) 僕もよくありますよ! とりあえず、祈ってしまう。 あと、サッカー中継とかスタンドで祈ってるのは、だいたい女の子ですよね。 「何に」祈ったんですかね? 日本は不安が希薄というのもわかるきがするのですが。先進国はどこも同じじゃないですか?

  • tkr1977
  • ベストアンサー率20% (80/395)
回答No.6

こんにちは。 私個人、どこかの宗教に入っているわけではありませんが、経験から書かさせていただきます。 故人の弔い方です。 昨年、祖父を二人ともなくしました。 その際にお葬式やら、法事やら「宗教」が付きまといますよね。 結果的にそれぞれ異なった宗教になったのですが、自分の両親だったらどうなるのだろう・・・と考えさせられる出来事でした。 日本では、故人のための宗教って言う意味合いが強いように感じます。ですので、個人に合った弔い方をしてくれる宗教を探してみるって切り口はどうでしょうか? 自分個人のためでなく、故人のため。 どうでしょうか?

  • SCNK
  • ベストアンサー率18% (514/2762)
回答No.4

日本人は宗教に甘いんです。そもそも信仰は現世利益だとか、心に救いを求めるとか、癒しを求めるとか、そういったものだと思っていますが、本来信仰とは、信仰のために生きる。すなわち自らの人生を捧げるものです。ほとんどの日本人には本当の信仰はないと確信します。 無理に信じようとする必要はありません。かえってろくなことはありませんよ。

machuru
質問者

お礼

信仰のために生きる。本当の信仰。 外国の方はみんな、そういう感じなんでしょうか? そのあたりがもう少し詳しく聞きたいのですが? おねがいします。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

アメリカ人は 日曜日に教会に行きますが・・・ イギリス人は 行かないそうです。 なんか 海外というと、それこそハリウッド映画で洗脳されているので、日本人は なんだかなぁ・・・ と なりますが、同じような文化的背景でも、イギリスは教会に行かないそうですよ。 新年のお参りにあれだけの人間が行っているのですから、見方によっては 日本人も信心深いかも

  • masaota56
  • ベストアンサー率41% (58/139)
回答No.2

日本は宗派が色々あるのに対して、 外国はほとんど一つだけの宗教が広まっています。 アメリカはキリスト教、....とかですね。プロテスタント・カトリックの違いはありますが。 周りがみんな同じ宗教を信仰していたら、疑いもまずほとんど持ちませんよね?崇める神様もお一人だけだから、混乱もしませんし。 日本は神様が沢山おられ、難しくもあります。「八百万の神」という言葉もあります。 また信仰宗教も沢山あります。 日本はこういった環境なので、無理に信じようとしなくていいのではないでしょうか。 むしろ色々な宗教を比較していって、納得がいける宗教を探すといいと思います。 全てが全て正しい宗教とは限りませんから。

  • coxsone
  • ベストアンサー率20% (30/147)
回答No.1

間違っているかもしれませんが、 葬式や、仏壇に手を合わせたり するのも宗教なのではないでしょうか。 それはやめろと言われてもやめたくありませんし。