大将同士の戦いと言うのは、現実にめったにあるものではなかったようです。
昔の大名というのは、今で言えば同族会社みたいなものです。会社の繁栄も大事ですが、一番大事な事は経営権を自分達がもっていることです。
北条氏が甲斐を統治し発展したとしても、それは武田家の者にとっては意味がないことだからです。
また現代と違い、誰がトップになっても変化が無いというシステムではなかったという理由。武田家を例に取ると、武田信玄が、「御旗盾無し、ご照覧あれ」と言うと、誰もその決定を覆すことはできません。こういう時代に大将同士が対決することはほとんどありません。
従軍した公家の日記、とありますが。信頼性の上で問題が二点あります。
従軍と言うとフリーな立場ではないですよね。ましてお公家さんなら、自分の面倒すら他人に頼ってますよ。食糧から安全まで。それなら雇い主のためにいい事をでっち上げる可能性も無きにしも非ずです。また検閲もあったでしょう。名も無き兵たちの活躍よりも大将同士の一騎打ちのほうが、ウケますよね。
さらに、当時の公家の日記というのは、誰にも見せず秘密にするものというより、誰かが見ることを前提に書いていたらしいです。これまた大将の一騎打ちのほうが、読んでいて楽しいですよね。
余談ですが川中島の戦いも、言われてるほど名勝負というのではないらしいです。
一回で決着が着かなかったのは、よく言えば実力伯仲、悪く言えば傑出した才能ではなかったからと言う理由。
武田、上杉両軍も織田軍と違い、半農半兵(農耕のために力を温存しなければならない)なのと、雪国なので限られた時期しか戦えないために、両軍とも総力を結した戦いではなかったらしいです。
お礼
ご意見頂き有難うございます。 合戦そのものの見方が変わりました。 当初はお互い死力を尽くして戦ってもかつ 勝敗がつかない程のハイレベルな合戦と思ってましたが 兵農分離の遅れが原因で双方数回に 渡る合戦をしなければ為らなかったとは。 とても参考になりました。 ところで公家はどちらの陣営だったのでしょうか?