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英語のリスニングとヒアリングの違いについて
日本では、英語の聞き取りの事をリスニングとヒアリングと言う人がいるのですが リスニングと呼ぶのが正しいと思うのですがいかがでしょうか? それとも、ヒアリング(Hearing refers to the ability to detect the vibrations of particles against the ear drum.)というのは和製英語のようなもので、英語でいうlistening complihension(Listening comprehension refers to understanding the spoken language.)の意味も兼ねるようになっているのでしょうか? ヒアリングと聞くと、何か違和感を感じるもので・・・。
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- Ganbatteruyo
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Gです。 なぜか私には日本での理解が的を外していると感じることに関してもう一度書いてみたいと思います。 リスニングとlistening, ヒアリングとlisteningとの間柄について英語と日本語ということに関して混乱しているように思えてなりません。 日本語のヒアリングはcomprehensionをlisteningしながらする(能力)という意味に使っていると思います。 つまり、この日本語が使われるときに、この日本語の持つ意味合いとlistening comprehensionとがマッチしている、と言う事なのです。 リスニングと言う単語を無視して日本語にした場合(ヒアリングと言うことです)、実はフィーリングとしてはlistening comprehensionの事をいっていると理解されている事実からこれでいいはずと私は思うわけです。 しかし、これを英語の文章にした場合はhearingという表現はしないという英語能力があればいいのです。 この区別が知識として又英語実力としてあればいい、ということであり、このヒアリングはhearingだからリスニングにしなければならない、という理論が私には理解できないという事なのです。 そして、この日本語と英語との表現(語源的に)をそれほど気にするなら他の外来語はどうするのでしょう。 漢字は中国から来ているから2号さんと言う意味合いの愛人という漢字は中国では恋人と言う意味だから2号さんと言う意味で言うのであれば中国で使われている漢字を使わなければいけない、というのでしょうか。 それならまだ漢字という共通点があるから理解できないこともないですが、リスニングと言う単語は英語ではないのです。 リスニングといくらいってもネイティブは理解してくれないのです。 (ナイトゲームと日本語でいくら言ってもアメリカ人は理解してくれないでしょう) この人は私の愛人です。と恋人ですの意味で言えば少なくとも中国人は分かってくれるでしょう。 実際はいくら愛人と言う漢字が中国語では恋人と言う意味であって関係ないといえる状況に私たちはいるわけですね。 でも英語の単語を知っているからといって、英語の単語と日本語の表記方法を混合したらそれこそ間違っていると私は思うわけです。 マイがつく外来語(和製英語)はすべて撤去しなくてはならなくなりますね。 オーダーメイドはどうでしょう。 リスニングという表現で、英語を聴いてそれを理解する、ということであれば、listeningという単語では間違っているという事実はどうするのでしょう。 listeningとはあくまでも注意して聞く、ということであって、聞いて理解する、という意味まではないはずです。 リスニングテストにしても、正確にはlistening comprehension testなのです。 そして、listening skillという表現の重要性も考慮に入れなくてはならないはずですね。 listening comprehension/skillという英語表現をリスニングという単語だけで済まそうともしているわけです。 何かおかしいと私も思うわけです。 ヒアリングという立派な日本語がListening comprehension refers to understanding the spoken languageという意味合いで使われてきたわけですからなぜわざわざ半端な意味を持つリスニングにしなくてはならないのか、その理由は十分にされているとは私には思えません。 もう一度書きますね。 ヒアリングという日本語はListening comprehension refers to understanding the spoken languageという意味合いで使われてきていながらhearingではなくlisteningという意味合いだという理由ではリスニングという単語に変えるべきだという理論は成り立たない、と言う事なのです。 英語の表現に振り回されないで日本語という言語をもう少し誇りを持ってもいいと思います。 そして、英語圏の人には「日本語ではこういう表現をするんだ」といえる姿勢を持ってもいいのではないでしょうか。 なぜなら、英語ネイティブは語源であるラテン語やギリシャ語のもともとの意味合いをまったく無視して英語なりの意味合いを持たせて使っているではないですか、と言うのと同じ姿勢を日本人が持ってもいいはずだと私は思うわけです。 私の考えへの反論は建設的なものであればこのサイトは決して削除しないと信じていますし私にも十分「聞く耳」は持っているつもりです。 反論のための反論ではなく、リスニングと言う単語を使うべきと言う理論を私の考え方では通用しないことを説得してください。
- anakekokor
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#1さんが明確な回答をされていますので、ちょっと参考までに小ネタを。 知っていることだったら読み飛ばしてくだざい。 seeとlookはどちらも「見る」ですがhearとlistenと同じ使い分けをします。 seeは「見えている」といった感じで意識が伴っていないものを言います。 lookは逆にしっかりと注目して見るときに使います。 ぼんやりと窓の外をみていたら視界に人が通るのが見えたらそれは「see」で、 その人の頭が禿げていることに気づいてハゲ頭に注目したら「look」というわけです。 会話でも、「見える?」は「Can you see?」で 注目して欲しいときは「Look!」といいます。 (お説教のときなどにまず「Listen!」と言うのをよく聞きます) ほんと、小ネタですが、参考になりましたら^^;。
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
アメリカに住んで40年目になりました。 何か私なりにお手伝いできるのではないかと思います。 日本語にはカタカナで書く表現に「和製英語」と呼ばれる「xxx英語といっているのに日本語」が存在しますね。 外来語という表現では気がすまない人が作った表現ですね。 ここまで今私が書いた事を読むと、かなり批判的だというのが分かると思います。 和製英語という表現にかんして今では誰も違和感なしに毎日使われていますね。 日本で作られた「英語」? ちょっと待てよ、と毎日日本語で生活しない私は言います。 この表現を使っている人は「英語の単語から由来していて今では日本語として使われている外来語」という意味で使っていますね。 認められている日本語表現であり、これに関してぎゃあぎゃあ言うのは私くらいのマイノリティーですね。 つまり、私は日本語を使うときに、この表現も日本語なんだと素直に認め身につけて違和感なしに使えるようにならなくてはいけないということが私の日本語習得の課題でもあるということなんでしょうね。 しかしです。 外来語である以上、発音はもちろん、元になる単語がその言語で使われるときの意味合いとは違うのは当然ともいえることだと思います。 多くのの外来語、英語に限らず、日本語として違う意味合いの元に使っている(はず)です。 (バスルームはトイレとは限らずお風呂とは限らない、と言うように) また、マイカーのようにMy carという意味では決してない使用法をしていますね。 そして、ナイターのように何十年も日本語として使われまったく問題がなかったのにもかかわらず,英語ではnight gameというという理由だけからナイトゲームとする、と決めちゃいましたね、NHKさなどは。 (ナイターという表現はもう死語なのでしょうか? 私からの質問ですが) ですから、このカテでも、これらの外来語、特に英語の場合、をそのまま英語にしてはいけないよ、というアドバイスがあるわけです。 当然であり非常に論理的ですね。 その理論をなぜヒアリングという日本語単語に使わないのでしょうか、というのが私の回答となるわけです。 つまり、abcdeさんがおっしゃっていると思われる考え方なのですね。 「ヒアリング(Hearing refers to the ability to detect the vibrations of particles against the ear drum.)というのは和製英語のようなもので、英語でいうlistening complihension(Listening comprehension refers to understanding the spoken language.)の意味も兼ねるようになっている」と言う事なのですね。 兼ねると言うより、そのものとして使われたのだと私は思いますが。 確かに、この表現が作られたときは間違っていると考えてもいい理由があったと私は思います。 しかし、何十年も問題なく使われてきた表現が、hearingという英単語はlisteningという英単語とは違うという知識と、ヒアリングという日本語単語とhearingという英単語とをミックスして考えることが正しいとは私には思えないのです。 確かに英語の分野だから気をつけるべきという考えはあると思います。 しかしそうであれば、日本で教えている使われていない英語表現、文法という名前の下に必要のない事柄の押し付け、仮定法という単語の定義の一貫化、など多くの「より改正の必要な」事柄にもっと関心を持ってもいいのではないかと考えを拡張するわけです。 6年間英語を教えているといいながらほとんどの日本人はしゃべれない、日本の英語教育は読み書きだといっているにもかかわらずほとんどの日本人が英語のサイトを読めないで英作文も出来ない、そして、中学2年から高校卒業までに6回進級しているのに、中学一年の英語もだめというのはこの6回の進級は「年功序列」みたいなものだとは考えない、という風な考えにも発展してするわけです。 ということで、これらの矛盾を解決する努力なしにヒアリングはhearingだからlisteningであるリスニングに変えるべきだというのもちょっと「お門違い」と考える私はやはり部外者なのでしょう。 参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
- petitchat
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昔私が中学の頃は ヒアリング と学校では言っていました。 今のように日本人が英語を喋ることが出来なかった時代です。 その後 高校生の時だったと思うのですが 今まで ヒアリング と言っていたのは間違いで リスニング と呼ぶことになりました と学校の先生が hear と listen の違いについて説明し それ以後リスニングになりました。 どちらも言う人がいるのは 学校で ヒアリング と言っていた時代が長かったのでその影響かと思います。 厳密に言えば リスニング なのでしょうが 私は ヒアリング が出来てこそ英語が出来るようになると思っています。 つまり listening は集中しています。ですから 聞き取れる確率が高くなります。一方 hearing はぼんやりしていて聞こえてきたものが聞き取れるということになります。 なんの心構えもなくいきなり英語が聞こえてきて理解が出来るようになると リスニングは楽に出来るはずです。 ですから listening 力 と hearing 力 はつながっているのです。hearing の方が難しいことは確かですね。
- ichiromari
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リスニングの方が正しいです 英語の hearing には、 聴力 聴取 公聴会 などの意味があります リスニングテストは listening comprehension test と言います
確かにそうですね。 Listen,Hearともに日本語訳では「聞く」で同じですが厳密には違います。 Listenには意識が伴いますが、Hearにはありません。具体例で言えば I listened to ~~では(注意、集中して)聞いたですがI heard ~~ ではただ単に聞こえたを意味します。 そのため、テストなど集中してその文なり会話を聞くのですから hearingよりlisteningのほうが一般的な気もします。