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宗教って

宗教や哲学に正解はあるのですか? またどれが正しいのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

正解なんてないから人間は未だに悩み続けているのではないでしょうか? >でもどうしてどれか1つに決めるのでしょうか? 正解がなくとも何か指標になるものが必要です。基準がないと良い悪いも決められません。 もちろんその良い悪いは正解ではなくその人なりの納得です。 真理が一つしかなくみんなそれに向かって行っているなんて事はないと思います。 自然は機械じゃないんだからいろんな考えがあって然るべきだと思います。

maki-tosh
質問者

お礼

ありがとうございます。 >正解なんてないから人間は未だに悩み続けているのではないでしょうか? 永遠に正解探しという事でしょうか?

その他の回答 (12)

noname#80116
noname#80116
回答No.2

宗教は 教義が決まっています。つまり その人たちが正解と認識した内容ですが じつは おそらく これさえ 修正されたり解釈しなおされたりして変化します。つまり 《正解》が 変化します。 宗教・宗派は違っても 行き着く先は 富士登山のときの目指す頂上のように 同じ一つの正解として決まっているのだと 日本人のあいだでは よく聞かれます。どうなのでしょう? だったら どの道をとおっても 同じ目的地に着くのでしたら 他の宗派にかんして 文句を言う必要はないでしょうし まったく この世は 安心です。 《正解》は あるんでしょうか。ないでしょうか。 考えるに 手っ取り早い一つの正解は 互いに――宗教にかかわっているかどうかにさえ かかわりなく―― 互いの差異を認め合うこと 本当に認め合うこと これが実現すれば よしとすることが出来るのではないでしょうか。 正解はいくつもあるということが本当に認め合われれば それが 正解であるとするのは いかがですか。これを認めない宗教・宗派の人たちは 反民主主義だというふうに 社会的には 見なされても仕方がないのではないでしょうか。 哲学は これらの差異について 相互理解をすすめるのに役立つでしょう。 (ただし ちなみに 《反民主主義》だという認識が 妥当であるとする場合 それでも そこから先に さらに別様の哲学があります。  この反民主主義という認識は 論理的な推論によるだけのものですから その論理を 全般的な根拠として対処してよいかどうかは 別の問題になるからです。  一般には 話し合いを進めるべきでしょう。つまり 民主主義の原則です。つまり 回りまわって 差異の認容という仮定の正解が 論理の哲学に先行します。差異は おのおの人間存在という出発点に基づいているからだと思います。 ――このあたりに 《正解》の問題とそのありかの問題が横たわっているようにも感じます)。

maki-tosh
質問者

お礼

ありがとうございます。 >正解はいくつもあるということが本当に認め合われれば それが 正解であるとする 私もそのような気がします。  

  • r99
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回答No.1

宗教に正解はないでしょう。 仮に世界中の宗教に自分のところ以外の正しい宗教は あるかと質問したら、「自分のことろが一番正しい」って 答えになるでしょうから。 哲学についてもそうでしょうが、少なくとも 某かの体験をした事の上での言葉である訳で その人にとっては正解な訳です。 それは理論に基づいたものや、実体験からの感想でも あるので、どれも正解なのかもしれない。 ただし、それが自分にとっての正解か不正解かは わからないけどね

maki-tosh
質問者

お礼

ありがとうございます。 やはり正解はないのですね? でもどうしてどれか1つに決めるのでしょうか?

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