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城のトイレ

城に厠を造る場合どの場所を選んだのでしょうか? 通常の糞尿の処理と籠城時の処理は当然違っていたと思われますがどうしていたのでしょうか?兵士が多く籠城していたらさぞかし大変だったろうと思いますが?

質問者が選んだベストアンサー

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  • oska
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回答No.3

>城に厠を造る場合どの場所を選んだのでしょうか? 戦国時代から江戸時代初期までの城郭の場合です。 当時、トイレは「雪隠(せっちん)」と呼んでいました。 排出物は、不浄の物として忌み嫌われてました。 同時に武士は「雪隠」を嫌った訳です。 そこで、城郭でも「警備が弱い場所」「本丸」の角辺りに幅1メートル・深さ80センチ・長さ10メートル程の溝(側溝)を掘り、この中に排便を入れていました。 本丸近くまで攻めてきた敵側武将は、無意識で雪隠を避けます。 すると、的の大まかな突入進路が分かる訳ですね。 防御側としては、応戦体制が事前に準備できるのです。 この雪隠の例が、岡山県高梁市にある備中松山城です。 幕末まで存在した山城ですが、二の丸・本丸に「雪隠・側溝」が残っています。 誰でも、排便が貯まっていると嫌ですよね。 江戸城でも、排便処理専用の門が存在します。 また、別の意味での不浄門(平河門)がありますよね。

hirarno36
質問者

お礼

>不浄の物として忌み嫌われてました これを逆に利用していたわけですね。備中松山城には今も遺構があるのですか。不浄門とは名前からして「それ」専用なのが分かります。 回答での具体的数値を上げていただきありがとうございました。 籠城の際、この数値の雪隠では足りなくなったと思われますが、やはり穴にうめていたのでしょうか? 外国の映画や日本の硫黄島での映画で排泄物を焼いて処理していたのを記憶していますがこれは戦国期ではやっていなかったのでしょうか?

その他の回答 (2)

  • dulatour
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回答No.2

#1です。 戦時中のことですよね、間違えました。 絶対に、貯めておいて、押し寄せてくる敵にぶっかけたでしょうね。 糞尿も大切な武器です。

hirarno36
質問者

お礼

うわ~これは強力な武器ですね。 ちょっと想像したくない光景です。 ありがとうございました。

  • dulatour
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回答No.1

因みに、下水道で有名なロンドンの設備が出来たのは、せいぜい18世紀です。ほとんどは、窓から捨てていました。 ルソーがパリ行ったときも、都市の汚物の処理のひどさを嘆いています。 わたしが、10年くらい前にロシアにいったときは、便所の穴が満杯になれば、別の所に穴をほり、小屋を作っていましねW。人数が極端に増えることがない限り、大体は、地中にしみこむので、満杯になることはありません。 籠城の時は、一杯穴を掘ったでしょう。もちろん、籠城となれば、糞も少なくなるでしょう。 ご質問内容とは違いますが、江戸では糞尿を肥料として買い取るという、環境に優しい方式をしていました。

hirarno36
質問者

お礼

穴に埋めていたのですか。なんだか城自体臭ってきそうです。通常はやはり城内で作物を作る際の肥料が最適な使い道?でしょうか。確かに今はやりませんが、環境に優しいです。 欧州でも18世紀ですか。案外遅いです。窓から・・・迷惑かも。 回答ありがとうございました。

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