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火消しの「め組」について
時代劇に出てくる江戸の町火消しは、いつも決まって「め組」ですね。 (例えば「暴れん坊将軍」など) いろは四十八組といわれたたくさんの組の中で、なぜ「め組」ばかりが時代劇でもてはやされるのでしょうか。不思議でなりません。 「め組」には他の組にないような、何か特徴があったのでしょうか。 つまらない質問ですみません。ご存じの方、教えて下さい。
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いろはの町火消し受持ち区域別に分割され、新門辰五郎の縄張りだった神明町、増上寺が「め組」の管轄になっていますので「め組」が使われると思います。また、江戸時代に新門辰五郎が名前を挙げたのが、「め組」の喧嘩ですので、「め組」に大きな影響を与えたことは事実です。「暴れん坊将軍」には吉宗が新門辰五郎のところに居候ということですので、「め組」以外には考えられません。
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- takahiro-007
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確かにそう言われるとそうですね・・・ 火消しの歴史は、 http://members.tripod.co.jp/hosoda119/history.htm を参考にして下さい。 江戸火消し48組では,「へ」は「へ」のようで失格.「ら」は男根の 意味なので禁句,「ひ」は火に通じてやっぱり禁句という分けで,それぞれ 「百」組,「千」組,「万」組に代えられています. という話しもあります。 下記のURLを読むと「め組」がピックアップされる理由が少しだけ分かるような気がするのは私だけ・・・?
お礼
早速のご回答有難うございます。 「へ」と「ら」と「ひ」はなかったんですね。 その代わりに「百」、「千」、「万」というのがあったということも、知りませんでした。 No.1の方もおっしゃっているように、「め組」だけが脚光を浴びるようになったのは、結局、新門辰五郎の存在が大きかったということのようですね。 色々と知らなかったことを教えていただき、有難うございました。
お礼
早速のご回答有難うございました。 ご紹介いただいた二つのHPを、興味深く読ませていただきました。 組によって分担する地域も決まっていたんですね。 今まで知らなかったことを、たくさん発見しました。 有難うございました。