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江戸時代の火消しについて
『「い組」「ろ組」を始めとする江戸時代の火消しが建設業に転身した後もその名前が引き継がれて建設会社の名前に「組」が付くものが多い』という話をある書籍で読みました。 現在、江戸火消しはどうなっているのでしょうか。一説では明治中期までは存在したという説もあるようです。 今の生業はやはり、建設業が多いのでしょうか。 どういう団体になっているのでしょうか。
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ちょっと誤解があります。火消しが建設業に転業したのではなく、火消しの本職が建設業だったのです。 もともと、火消しは武士の役目でした。幕府には火消し部隊がありました。今で言えば消防庁のような行政組織です。しかし、江戸の町が急速に拡大して幕府だけでは手に負えなくなったため、八代将軍吉宗の時代に、江戸町奉行だった大岡忠相が、自営組織として町火消し(今で言う消防団)を組織しました。 当時の消火活動は、基本的に延焼を防ぐために、火災現場の周りの建物を破壊するという方法でした。そのため、建築物に詳しい、身の軽い人が火消しには最適だったため、町火消しの多くはとび職が勤めるようになりました。 日頃は本業であるとび職(建築業)を仕事とし、火事になれば現場に駆けつけて消火活動を行います。 これは現代の消防団も同じですよね。消防団員はそれぞれ本職を持っていて、火災の時だけ、かけつけて消火活動を行います。消防署員のような「専業」ではありませんし、公務員でもありません。 町火消しは、明治維新後、現在の消防団として改組され、全国に消防団が作られています。その意味では、町火消しは現在も存在しています。 なお、「町火消し」という名前から「町人による組織」と思われがちですが、これは「町人」の意味に誤解があります。 江戸時代の町人というのは、有産階級(金持ち)で、幕府から町内の政治の一部(行政、司法)を委託された人たちです。今で言えば、市町村長や市町村議会の議員の地位にちかいかもしれません。したがって、時代劇で「そこな町人!」などとどなったり、日雇い労働者の「八っつあん」や「熊さん」を町人というのは間違いです。町人というのは尊敬されるべき特別な人です。当然、町人が町火消しの面倒を見ることになりますが(スポンサーとして)、町人自身が火消しをすることはありません。
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- ipa222
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建設業というより、鳶職ですね。 大工や左官のような専門職ではありません。 清水建設や竹中工務店は大工がルーツですから多少お上品です。 ちなみに小泉総理のおじいさんは鳶の親方でした。 横須賀港の港湾荷役のドンだったそうで。 神戸港の港湾荷役のドンは田岡さん。山口組三代目ですね。 今の鳶職は、鉄骨工事の建て方や足場屋をやっていますね。
お礼
回答ありがとうございます。
- 6dou_rinne
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お礼
大変参考になりました。ありがとうございます。