世の中のことは、相反する二つの事柄が、常に50対50に近い可能性を持つのではありません。
「ある事柄が実在する証明」と「同じことが実在しない証明」では、難しさが違います。
実在する証明には、事実を一つ提示すればよいのですが、実在しない証明は格段に困難です。実例が見つからないと言うのは証明にはなりません。ひょっとすると明日、実例が見つかるかも知れないのですから。
同じように、「ある事柄を政府がしないように運動する」ことは、実施されてしまえば敗北。実施されないように永久に運動しつづけても、政府が「やめます」と言わない限り勝利しません。仮に「やめた」と言っても、やっぱりやりますと言い出せば、また反対運動をやらなければなりません。結局、勝利に見えても『仮の勝利』にすぎません。
ですから、体制の内側に入ってやめたという状態が続くように、法律や制度を変えて、「やっぱりやります」と言い出せないシステムを作利上げないと『現実の勝利』になりません。
「ある事柄をするように運動すること」は、一度やりますといって政府が行動を取れば、その後やめたとしても、やったという事実は残りますから、『現実の勝利』です。
共産党や社民党のように、万年与党に反対と言っていても、何も変わりません。「~に反対」(=勝利の結果何も生まれない。)ではなく、「~やろう」「~に賛成」(=実行を伴う勝利が得られる。)と言わないと、政治闘争としては、ほとんど成功しません。
歴史的に見て『反対闘争』が成功=勝利したためしが、ほとんどないというのはそういう事情です。
お礼
回答ありがとうございます。論理的に説明していただけたのですっきりしました。言われてみれば「反対」の限りでは勝利が訪れないのはごく当たり前のことですね。勉強になりました。