• ベストアンサー

個体の識別

同一種のそれぞれの個体の区分、識別は、どの段階の生物から可能になっているのでしょうか。例えば、昆虫、魚、鳥の大群などは、それぞれ個を認識できているのでしょうか。縄張りをもつ動物になって初めて個体を認識するのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.5

こんにちは。 #4です。 >生物には、まず起動用のROMがあり、下等生物の場合は、基本的な入出力(信号刺激に対する)はこのROMのみで対応している。しかし、このROMはよくbitエラーを起こし(突然変異)プログラムの内容が書き換わるが、環境にマッチしたエラーが起きた場合、幸運にもそのROMは生き延びていく。 そうですね。 我々動物が本能行動を実現するために「生命中枢(脳幹、以下脊髄まで)」に遺伝的に獲得されている反応規準といいますのは、これは全て「ROMデータ」に当たります。これに対しまして、「学習・記憶保持・記憶再生」といった学習行動といいますのは、大脳皮質のような読み書きの可能な「RAM領域」によって行なわれていることになります。 本能行動のように、生きてゆくために必須のプログラムは先天的に定められており、生涯に渡って書き換えるということはできません。ですが、大脳皮質は生まれたときには白紙状態であり、我々は与えられた生後環境に適応するための情報をそこに蓄えてゆきます。 身体機能と同様に、神経系にも突然変異は起こります。これが生命中枢のプログラムに発生し、淘汰の洗礼を切り抜けますと、その動物にとっては新たな本能行動の獲得ということになります。 >少し高等になりますと、さらにフラッシュメモリーを積んでおり、生後ある部分タイマー化された書き込み可能或いは実行可能な時期があり、インプリンティングや求愛ダンスなどを行うことができる。 只今延べました通り、本能行動のように重要なプログラムはROM領域に書き込まれており、絶対に変更できないようになっています。これに対しまして、学習行動といいますのは個体それぞれに自由度があります。 では、インプリンティングや求愛行動といいますのは生後に与えられた信号刺激に対して起動しなければならないプログラムなのですが、通常の学習行動のように個体ばらばらの自由度があっては困ります。このような「プログラム学習の領域」をフラッシュメモリーと位置付けるならば、それは本能行動と学習行動の中間を埋める機能ということになると思います。 >さらに高等な生物になると、そのレベルに従い、DRAMを積んでおり、演算即ち計算、推論、判断、感情等を持つ或いは行うことができるということでしょうか。 はい、その通りです。 我々高等動物の脳は、以下のような三層構造になっています。 「脳幹以下、脊髄まで:生命の中枢:ROM」 「大脳辺縁系:情動の中枢:RAM」 「大脳皮質:思考の中枢:RAM」 生命中枢は俗に「爬虫類の脳」と呼ばれており、我々哺乳類と鳥類は爬虫類から進化をする過程でそこに大脳辺縁系と大脳皮質という「新皮質」を発達させました。これは現在の脳科学では「脳の三位一体説」として指示されておりまして、最初の回答で申し上げました、個体の識別は高等動物の高度な学習能力であるというのはこれを基にしたものです。 高度な思考や推論といいますのは大脳皮質でのふんだんな学習記憶を使いこなすことによって可能になり、嬉しい、悲しいといった体験が大脳辺縁系に記録されますと、我々は豊かな喜怒哀楽を発生させることができるようになります。 爬虫類のワニは何時も怖い顔をしていますが、その脳内には大脳辺縁系の情動機能というものがありません。ですから、あの顔は別に怒っているのではなく、産まれ付きなんですね。 それから、単純にRAMと申し上げましたが、コンピュータとは違い、我々の記憶といいますのは自由に消去してしまうということはできませんよね。

dreamer121
質問者

お礼

>それから、単純にRAMと申し上げましたが、コンピュータとは違い、我々の記憶といいますのは自由に消去してしまうということはできませんよね。 確かにそうですね。 御陰さまで、生物とは何かが系統だって理解できた気がします。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.4

こんにちは。 #3です。 当初、個体識別の能力に就いては「脳科学」の観点からご回答致しました。そして、それをどのようにして実現させているのかというのは「行動学」の範疇です。返信を拝見致しますと、私の行動学の知識は付け焼刃で、あまり分かりやすいものではなかったようです。申し訳ないことです。 では今回は、これまでの論議に「進化論」の解釈を宛がい、それを纏めることになります。だいぶ掘り下げましたよね。 内容が重複し、少々回りくどくなるかも知れませんが、順番に整理してみたいと思います。 >即ち、その種が発生した時代が壮絶な弱肉強食の生存競争の時代で、言い換えれば卵から生まれた瞬間から自力で防御しないと生き延びていけないほど、外敵が多く修羅場であったなら、信号刺激に対する反応は、後天的に習得したのでは間に合わず、従って全てプログラムされて生まれてきた。 そういうことですよね。 まず、「信号刺激に対する反応」といいますのは遺伝情報として先天的に獲得されているものです。そして、その遺伝子は生存競争などの環境に曝され、「自然選択の淘汰」によって生き残されたものですよね。 生後、後天的に習得されなければならないのは信号刺激に対する反応そのものではなく、「その反応をどのような状況で発生させたか」という結果です。ですから、インプリンティングといいますのは生まれて初めて接触する産みの親からの信号刺激に対し、「生得的に定められた反応を繰り返した結果が学習される」ということです。このため、その学習結果といいますのは「生得的な遺伝情報の戦略に則ったもの」として、その個体の生存に有利に働きます。 質問者さんがご指摘をなさいます通り、遺伝子だけでは生後環境に対してそれほど木目細かな適応はできなのではないかというのが動物の行動学者さんたちの一貫した主張であります。このため、生得的な反応を基にして行なわれる生後の「プログラム学習」という概念が広く適用されるようになりました。 >従って同種、親兄弟(?)、危険な動物は判断できた。人間が蛇を初めて見ても恐れるのは、人間の祖先がこの時代にプログラムされていたのでしょうか。 そういうことだと思います。 誰にも教えられなくとも危険と判定できるのは、これはヘビという信号刺激に対する反応が先天的に獲得されているからです。そして、危険に対する反応が獲得される経緯には生存競争などの「選択圧」が関わっていることは間違いありません。 ここで、自然選択説に基づく解釈を簡単に整理しておきますと、「ヘビを怖がるための遺伝子」といいますのは突然変異によって偶然に獲得されたものであり、特にヘビに襲われたからではありません。ですが、その偶然によって、たまたまヘビに襲われる危険が少なくなり、生き残った個体が子供を作って「ヘビを怖がるための遺伝子」を子孫に伝えました。 >その後、ある程度淘汰、棲み分けが進み、孵化後の安全が確保された時点で、どうもプログラムだけの情報では、大雑把で誤差が大きく間違いが発生しうる、たまに共食いもする、後天的に精度よく教育しないといけないということで、大脳皮質が発達しインプリンティングや、子育てが始まった。 前回の私の説明が悪かったのですが、インプリンティングは大脳皮質で行なわれるものではありませんので、大脳皮質の発達によってそれが可能になったという部分は排除して下さい。大脳皮質を発達させなかった爬虫類でもインプリンティングは行なわれます。 そして、インプリンティングに必要な「遺伝子のプログラム情報」、即ち「信号刺激に対する反応規準」といいますのは、突然変異によって偶然に獲得されたものです。ですから、環境が安全になったことがインプリンティング能力の発生・獲得の理由とすることはできません。インプリンティングといいますのは生得的な反応の組み合わされた本能行動ですから、その結果が種の存続に有利に働いたというのがその理由となります。 先に延べました通り、後天的により精度を高めなければならないといいますのは、これはインプリンティングの生物学的意義としてそのまま正解ですよね。 >逆に言えば、プログラムの比率が下がった分、ひな鳥の刷り込み現象が起こったりするのでしょうか。 ですから、ここで「プログラムの比率」といいますならば、それは信号刺激に対する反応を発生させるための「遺伝的なプログラム」のことですよね。「雛鳥の刷り込み」というプログラム学習といいますのは、この遺伝的なプログラムを使って行なわれるものです。プログラムの比率は別に下がっていません。遺伝的なプログラム通りに行なわれるのが「プログラム学習」です。そして、それは生後の行動の精度を高めるために役立っています。 >この段階で、コミュニケーション(声か怒声か、においかなどの)能力が備わってきたということでしょうか。 そうですね、 動物の「非言語コミュニケーション」には「鳴き声」「臭い」「フェロモン」「身体的特徴」「表情」「ジェスチャー」など様々なものが用いられます。 「インプリンティング」や「フェロモン伝達」といいますのは「本能行動を実現するための非言語コミュニケーション」でありますから、そのために用いられるのは遺伝的に獲得された信号刺激でなければなりません。このようなものは、既に存在するものが信号として選択されるか、あるいは新たに発現した機能がたまたま役に立つか、そこには様々な進化の歴史があると思います。 同じ鳥類のインプリンティングでも、「親鳥の嘴(視覚刺激)」である場合や「親鳥の鳴き声(聴覚刺激)」など、種類によっても様々です。カモメやペンギンは何万羽という群れの中で、鳴き声たけで自分の伴侶の居場所を尽き止めることができます。 詳しくは説明できませんが、生殖相手を誘うための「求愛ダンス」というのは「プログラム学習」なんだそうです。インプリンティングとは違い、こちらはその個体が生まれてから性的な成熟期に達するまで覚えるということはありません。つまり、生理的な目覚まし時計が掛かっているということですね。更に不思議なことに、これが複数の動作を組み合わせた複雑な行動であるにも拘らず、成長した個体はみなそれをマスターします。そして、これがメスにとっては信号刺激となり結婚が成立するわけですね。「プログラム学習」といいますのは、このような動物の複雑なコミュニケーションを解釈するためにはどうしても必要な概念です。 生物っていうのは本当に不思議ですよね。

dreamer121
質問者

お礼

恐れ入ります。丁寧な回答をいただきまして。おかげさまで、長年の疑問が氷解した気分です。 そうしますと、誤解を恐れずにもの凄く単純化して言いますと、 生物には、まず起動用のROMがあり、下等生物の場合は、基本的な入出力(信号刺激に対する)はこのROMのみで対応している。しかし、このROMはよくbitエラーを起こし(突然変異)プログラムの内容が書き換わるが、環境にマッチしたエラーが起きた場合、幸運にもそのROMは生き延びていく。 少し高等になりますと、さらにフラッシュメモリーを積んでおり、生後ある部分タイマー化された書き込み可能或いは実行可能な時期があり、インプリンティングや求愛ダンスなどを行うことができる。 さらに高等な生物になると、そのレベルに従い、DRAMを積んでおり、演算即ち計算、推論、判断、感情等を持つ或いは行うことができるということでしょうか。 単純化しすぎかもしれませんが。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.3

こんにちは。 #1です。回答をお読み頂き、ありがとうございます。 >とすれば、何らかの同種だというコミュニケーション手段があったのでしょうか。 我々動物の「同種間コミュニケーション」といいますのは、生得的な本能行動の選択により、他種とは遺伝的に線引きされていると考えて良いと思います。 コミュニケーションといいますのは外界との接触です。そして、本能行動を発生させるために外界から与えられる刺激入力を「信号刺激」といいます。「信号刺激」といいますのは、特定の刺激入力に対する反応の規準というものが遺伝的に定められており、これが本能行動を選択するための切っ掛けとなります。 どのような行動を選択すれば良いのかは遺伝的に決まっていますので、外敵からの信号刺激に接近行動を選択する動物はいませんし、同種に対して慌てて回避行動を行なう必要はありません。これだけで、「外敵」と「同胞」といいますのは遺伝的に線引きが成されていることになります。そして、それは行動として現れますので、同じ状況において同じ行動が選択されるならば、誰が号令を掛けなくてもそれは群れになります。極端な話ですが、鳥や魚の群れといいますのは、同じ反応ができで同じ速度で泳げるだけで簡単に成立してしまいます。 生殖行動の切っ掛けとなる性的刺激といいますのは同種の異性から得られる信号刺激であります。例えばそれは、性的に成熟した身体的特徴であり、性フェロモンの分泌であったりするわけですが、これらはその動物にとって特有のものでありますから、信号が違えば発情することはできません。ですから、生殖行動においては同種からの信号刺激に対する接近行動だけしか設定がされていませんので、当然のことながら他種の全ては反応の規準外ということになります。 このように、本能行動においては同種からの信号刺激に対する反応といいますのは多くのものが予め定められていますので、我々動物にとって同種間コミュニケーションが特別なものであることは様々な生得的な既定によって必然的に裏付けられていることになります。 これに加えまして、このような、反応の結果が生得的に定められた「信号刺激」に対して行なわれる学習を「プログラム学習」といいます。 雛鳥は親鳥の嘴の色や角度などに反応し、餌を求めて口を開きますが、これは単なる本能行動です。では、このような親鳥とのコミュニケーションによって行なわれるプログラム学習が「インプリンティング(刷り込み)」です。この場合、雛鳥は「同種からの信号刺激」によってその個体が自分の親であるという「位置付け」を学習することになります。 この特殊な学習は生後三十数時間という極めて短時間で急速に完了します。そして、一旦学習が完了してしまいますと、それ以外の個体を親と学習することはできなくなります。これがどういうことかと申しますと、特定の個体を親と位置付けることにより、雛鳥は「群れにいる者は全て親と同種」という判定基準を必然的に獲得してしまうということです。そして、その判定基準は生涯に渡って変更されることはありません。 インプリンティングは卵を孵す動物でははっきりとした行動として確認されていますが、哺乳動物には高度な学習能力とたっぷりの育児期間というものがあります。親と同種のものが外敵や食料であったりするわけがありません。動物にとってそれは同胞であり、生殖相手です。ですから、そこには産みの親が設定されるのが動物にとって最も安全であり、生物学的な利益に適っています。そして、この学習結果といいますのは「生得的に定められた信号刺激に対する反応の結果」として、その動物に与えられた遺伝子ときちんと繋がっているわけです。動物の行動学者は、このようなプログラム学習は動物の生後の同種間コミュニケーションにおいてたいへん大きな意味を持つと指摘しています。

dreamer121
質問者

お礼

こんにちは。更なる詳しい回答ありがとうございます。 お陰で、かなり深い理解ができて来ました。 こういうふうに洞察したのですがよろしいでしょうか。 即ち、その種が発生した時代が壮絶な弱肉強食の生存競争の時代で、言い換えれば卵から生まれた瞬間から自力で防御しないと生き延びていけないほど、外敵が多く修羅場であったなら、信号刺激に対する反応は、後天的に習得したのでは間に合わず、従って全てプログラムされて生まれてきた。従って同種、親兄弟(?)、危険な動物は判断できた。人間が蛇を初めて見ても恐れるのは、人間の祖先がこの時代にプログラムされていたのでしょうか。 その後、ある程度淘汰、棲み分けが進み、孵化後の安全が確保された時点で、どうもプログラムだけの情報では、大雑把で誤差が大きく間違いが発生しうる、たまに共食いもする、後天的に精度よく教育しないといけないということで、大脳皮質が発達しインプリンティングや、子育てが始まった。逆に言えば、プログラムの比率が下がった分、ひな鳥の刷り込み現象が起こったりするのでしょうか。この段階で、コミュニケーション(声か怒声か、においかなどの)能力が備わってきたということでしょうか。

  • mauchi
  • ベストアンサー率20% (25/123)
回答No.2

個体の識別は他の人に任せるとして。 種の保存ということでは子孫を残すことで共食いするかは別だと考えます。 共食いするということは、自分と同じくらい相手が強く、危険なことであり捕食しにくいのだと思います。より捕食しやすい相手を選んだ結果共食いしないのではないでしょうか。

dreamer121
質問者

お礼

回答ありがとうございます。確かに同種での共食いに勝つ確率は50%でしょうから、そんなことをしていたら、いずれその種は死に絶えてしまいますよね。

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.1

こんにちは。 実際に個体の識別をしているかどうか分かりませんが、それが可能なのは「鳥類」及び「哺乳類」といった高等動物からということになると思います。 この場合、「高等動物」とは爬虫類から進化をする過程で脳内に「大脳皮質」や「大脳辺縁系」といった「新皮質」発達させた動物のことであり、それは「鳥類と哺乳類だけ」です。ですから、動物界では新皮質を発達させなかった爬虫類以下の動物は、脳の解剖学的区分において全て「下等動物」となります。 「個体の識別」といいますのはかなり高い学習能力を要します。大脳皮質と大脳辺縁系といいますのは学習を専門とする新皮質であり、高等動物と下等動物ではこの学習能力に格段の差があります。 動物同士が相手を識別しなければならないのには以下のような理由があると思います。 「種の識別:同種とそれ以外」 「親の識別:親とそれ以外」 「配偶者の識別:配偶者とそれ以外」 「群れの識別:群れの仲間とそれ以外」 ところが、個体の識別というのはこれとはぜんぜん違います。 「個体の識別:AさんとBさんとCさんの違いを識別する」 このように、自分の親や配偶者を識別するだけでしたら「Aとそれ以外」といった単純な判定が下せれば良いわけですから、爬虫類以前の下等動物であってもインプリンティングなどの「生得的なプログラム学習」によって行なわれているという例はたくさんあると思います。ですが、「個体の識別」といいますのはA、B、Cのような複数の特徴の違いを学習し、それをちゃんと比較できなければなりません。そして、これが可能なのは大脳皮質だけです。従いまして、個体の識別という高度な学習行動は、その脳内に大脳皮質、もしくは大脳機能(鳥類の一部では松果体を代用)を持つ鳥類と哺乳類において初めて可能ということになります。 あまり正確な回答でなくて申し訳ありません。 どの程度の高等動物ならば実際に個体の識別をするだけの知能を持っているのかというのはちょっと分かりませんが、では、質問者さんが疑問に思われますように、「縄張り:群れ」を作るためにはどうしても個体識別の能力が必要であるかと言えばそうでもありません。只今述べました通り、縄張りを守るためには必ずしも群れの個体全てを識別する必要はなく、「群れの仲間か余所者か」この判別ができればそれで十分なわけです。 イヌやサルは知能が高く、間違いなく固体を識別していると思います。ですが、飼い犬が自分の家族以外のひとに吠えるのは、これは侵入者に対して威嚇するという習性からであり、恐らく個体識別はしなくとも、臭いだけで余所者と判定することができるのではないかと思います。 鳥の群れには、その囀りの中に「群れ独特の特徴・なまり」というものがありますので、鳴き方が微妙に違うだけで余所者と知れてしまいます。鳥はこれによって侵入者の撃退という集団行動が可能になりますので、個体識別ができなくても縄張りを守ることができます。但し、これは飽くまで可能であるということでありまして、全ての種類の鳥がこのようにして縄張りを守っているということではありません。

dreamer121
質問者

お礼

丁寧な回答ありがとうございます。 なるほどと納得しました。 もうひとつ疑問が生じてきたのですが、例えば哺乳類、鳥類の誕生以前、全ての生物は、個体の識別は出来なかったとしても、種の保存本能があるわけですから、同種か否かの判断ができて共食いは避けてきたはずです。 とすれば、何らかの同種だというコミュニケーション手段があったのでしょうか。当然、鏡はないわけで、自分の姿がどうか知っているはずもなく、相手が見えたとして自分と同系だとは分からなかったでしょうから。

関連するQ&A