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あなたの抱く《これぞ 日本人》をおしえてください
神話・伝説・物語など虚構上の人物でもかまいません。有名・無名も問いません。反面教師として悪名高き人物も受けつけます。 思想に焦点をあてたいとは 思っていますが 思想と言っても 気持ちや癖(エートス)から生活態度そして世界観までを含むわけですから 広く自由に紹介してください。 呼び水のごとく たとえばの話です。昔の日本人は立派だったと言わんばかりに 司馬遼太郎は 日露戦争までの日本人を讃えています。特に中国侵略と太平洋戦争時の日本人が異常であるという脈絡で言うのだと思いますが 立派さのほうについては 司馬に呼応して 山折哲雄が紹介している例があります。 山折の挙げる長谷川伸著《日本捕虜志》からの引用を そのまま掲載します。《日露戦争における上村彦之丞とリューリック〔号〕乗組員救助》の中の話だそうです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 出雲〔号〕に収容されたリューリック乗組員の一ロシヤ将校が 艦内に飼われている小鳥は前々からここにありしかと問うた。 日本人通訳が いやいやあれはリューリックの溺者を救助にいったものが 救い漏れは最早ないかと 救助艇をあっちこっち漕ぎ廻していると 浮いていた板にあの小鳥がとまっていた。大海の中だし放って置いては 小さい翼では飛べまい 可哀そうだと捕えてきて ああして飼っているのだと答えると ロシヤ将校は涙をうかべ あれは私の飼っていた小鳥でした。われわれは北海で奈古浦丸を撃沈して以来 金州丸・常陸丸・和泉丸と撃沈し 佐渡丸も破壊したのだから その報復を今こそ受けると思いの外(ほか)かくも優遇をうけつつある。日本人はどうしてかくまで義侠なのかといい 神に黙祷を捧げた。 (長谷川伸《日本捕虜志》昭和37年版 p.169――司馬遼太郎・山折哲雄:《日本とは何かということ―宗教・歴史・文明》1997 所収。読みよいように 段落分けなどしました。) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ・上村彦之丞→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E6%9D%91%E5%BD%A6%E4%B9%8B%E4%B8%9E 昔は 余裕があった・いやいや 今が捨てたものではないうんぬんを どうぞ。
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- littlekiss
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お礼
littlekissさん ご機嫌よろしきにて 大慶に存じ・・・。 吉田松陰ですか。しかも しぶく しぶく これでもかというほど しぶく 甘い玉露をお示しなのですね。 災害では 当方は 伊勢湾台風に遭った口です。家の前まで水が海が押し寄せて来ました。街の中ですが 少し高いところなので その分助かったという情況でした。 口がわるく ひょっとすると根性もわるいかも知れないということになるかも分からないのですが 松陰の粗探しとしては 国家を絶対的な社会単位と捉えていたところでしょうか。 例のペリーの船に乗せてもらってアメリカへ行きたいというその理由は いろいろあるでしょうが 外国の兵制を学ぶという目的だったという見方があるようですね。 《自ら兵学家であった松陰は、国家の独立を維持するためには、何よりも欧米の軍事力に追いつかなければならないと考えた。決死の密航は、そのためのものだったのである。》 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog038.html 《5.決死の密航の目的》 今でも 国家の次元と市民社会の《お風呂》次元との二正面方針で行かざるを得ないとは思います。 ご回答をありがとうございました。 お滝さんに乾杯!! *この種の質問は 幅広すぎて――わたしが知らない場合は その場で一応のことを勉強すると考えていましたが―― 事例が特定しづらいかも知れないと感じました。お滝さんは たのしいですね。みなさんにそこのところの技量をためしているようなかたちになっていますね。たしかに吾輩は根性がきたない!!(いまごろ わかった)。(つまりは みなさんに 工夫していただきたいと言っていることになります)。
補足
珈琲をどうぞ。(20071006記) 馬のひとみを流れるしずくが・・・ 夢ならば醒める 雨ならば落ちる 雲ならば流れる 無常がコマーシャル・フィルムならば 木魚の音に混じって 新たなる夢に落ちよ 落ちて流れよ 傷まざる河を 読経の雨が白み始め つばめたちが降りてゆく 石段をはずさず 照源寺の墓地を駆け抜ける 馬のひとみを流れるしずくが 病葉を集めて 注ぎ込む大河を * * * ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お滝は 馬に飼料をやるのは初めての経験だった。・・・(中略)・・・ お滝ははじめ馬が怖かった。怖かったと言えば良人(おっと)も幾分は怖かったし 自分自身も怖かったが・・・。 しかし 今ではもう 良人や馬を怖いとは思わない。わずか一ヶ月あまりのうちに 人間はこうも環境に馴れるものであろうかと つくづく馬の顔を見直していた。 怖くなくなって見る馬の顔は いかにもおとなしい人懐っこいものに見えた。そのつぶらな眸の中にお滝の姿をそのまま映して 今にも何か話しかけて来そうな明るさに見えた。 とその瞬間だった。 (そうだ。風呂がよい!) (山岡荘八:『吉田松陰』 〈母系草・六〉) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お滝さん(つまり吉田松陰の母)のご紹介にうなってしまっていて そのうれしさとお礼の気持ちを伝えつくしておりませんでした。 お滝さんを知って 冒頭の詩は もう古いと思いました。