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何であのタイミングで無条件降伏したの
ミッドウェー海戦でボロ負けしてもへこたれなかった日本が。 一億火の玉となって最後まで戦い抜く大和魂はどうして消失してしまったですか?
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すでに出ているようないろいろがあったそうなのですが、 本土決戦までしたかった人々と早く終戦に持ち込みたかった人々とがいて、指導層の中でも何やかやいろいろあった末にあのタイミングで終わりになったみたいですよ。 精神だけでは飛行機は飛ばないし、船も進まないし、腹もいっぱいにならないですから、ムリだと思うんですけど。 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=t&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-22,GGLD:ja&q=%e6%9d%be%e6%a0%b9%e6%b2%b9
- Kiriyama-taicho
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鈴木内閣が発足した時から日本は戦争終結の機会を模索していたのです。 ポツダム宣言により日本の全包囲網が出来上がった時点ではもはや 遅すぎたのです。 それとソビエトの参戦により日本にとってもアメリカにとっても アメリカ一国の支配権という状況下での降伏が必要になってしまったのでしょう。
お礼
ありがとうございます ソビエトの参戦が理由なのですね
- jamiru
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戦いは勝ってる時よりも、負けてる時の方が分かりやすいのですよ。
お礼
確かに切実になりますね。 まだ大丈夫、と思えるのも押しているときだけ、か。 回答ありがとうございます。
- Tacosan
- ベストアンサー率23% (3656/15482)
昭和天皇が望まなかったから. 軍上層部には「本土で抗戦」という意見もあったらしいんですが, 昭和天皇が拒否しました. で終わると美談っぽくなりますが, 実際には「国体の護持」という目的もあったとか. 彼我の差はいかんともしがたく, 実際に「本土で抗戦」となると三種の神器を全て (あるいは 2つ) 奪われる可能性はかなり高かったので, それを避けるためにも陸戦をするわけにはいかなかったという説もあります.
お礼
というより、それまで昭和天皇は望んでいたんですね。 見栄っ張りのために何人も死んだことを思うと悲しくなります。 回答ありがとうございました。
「大和魂!」・・・こんなものを持っている人は少なかったんです。 「生きて虜囚の辱めを受けず」と習った軍人、兵隊で捕虜になった者がいかに多かったことか。 大和魂を持っていた人はごく一部です。そういう人は何も言わず、死んでいきました。 大和魂が消失したのではなく、初めからなかった、あったとしてもカラ元気でホラを吹いていただけです。 天皇陛下が「もう止めよう」と言ったら、待ってましたとばかりに降伏しました。そして、ゲリラ戦をする人もなく進駐軍には完全に服従しました。とても現在のタリバンさんの足元にも及びません。 それでも当時の人は、腰が抜けてしまった戦後の若い人よりは、チョッとマシだったと思います。
- PENPENMAKKY
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アメリカが講和を望んだからです。 日本政府が悩んだのは勝ち戦をしているアメリカが終戦条件を提示したということです。所謂ポツダム宣言。 ソ連による周旋は参戦した以上は望めないし、米国側から終戦に向けた条件が提示された以上はこれが終戦のタイミングだっただけです。 尚、日本は無条件降伏していませんので。ポツダム宣言の条件付停戦をしただけです。無条件降伏したのは陸海軍です。
お礼
ありがとうございました。 ANo.6さんと同じ条件のある降伏ということですね。 興味がわいてきたので調べてみます。
- fujimaru00
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ミッドウェイ海戦は大本営発表では大勝利だったんです。 国民はそれを鵜呑みにして「勝った、勝った、大勝利!」だし、御前会議でも海軍が嘘の報告をして昭和天皇はそれを信じたのでは。 日本中の都市が焼け野が原になり、広島・長崎に落とされた新型爆弾の威力を知るや「もはやこれまで!」と相成ったんでしょうなぁ。
お礼
ありがとうございました 爆弾の開発競争に負けてやる気が出なくなってしまったのですね。 参考になりました
- rin00003
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簡単に言うと、同盟国の敗戦、原爆の投下、ソ連の参戦。 ゆえに、ポツダム宣言が条件付であったため受諾しました。 ソ連の参戦は、ソ連が和平の仲介はしないということが決定されるので、さすがに戦争継続は不可能と判断されたのだと思います。
お礼
回答ありがとうございました。 2対1ならば敗北でもしょうがないと言う理由になりますね。 原爆投下だと思ってましたのでソ連参戦が理由なかたが多く驚きました。
- guekfbd
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元々終戦の数ヶ月前の段階で、裏では昭和20年8月頃に降伏する予定だったという説があります。 その説によると、確か瀬島龍三という参謀(後の伊藤忠商事会長)がいろいろ米国やソ連の戦力・戦局等を分析していて、沖縄戦の敗北やソ連からの日ソ中立条約の不延長を申し入れが重なった昭和20年の4月の段階でソ連が攻め込んでくる可能性を分析し、「最短で昭和20年8月以降に米国とソ連に挟み撃ちされる可能性がある」という分析結果を上層部に報告していたそうです。 そして、その状況になったら耐え切れないと判断した上層部は、その意見を取り入れて、8月中の降伏のための調整(国体維持等のより有利な条件下での降伏)を裏で極秘に行いはじめたとのことでした。 この説が正しいとすれば、元々日本は8月中に降伏する予定であったということになるので、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下やポツダム宣言は、敢えて誤解を恐れずにいえば「元々降伏する予定だった8月に"たまたま"発生した」ことと言えます。 というわけで、降伏の理由は「国力低下」に伴う「米国とソ連の両国と同時に戦うことへの危惧」が原因といえます。 よって、「"8月7日の"ソ連参戦」「原爆投下」「ポツダム宣言」は降伏の直接的な原因ではないと思いますよ。 あと、太平洋戦争の日本の降伏は、「有条件降伏」であったのか「無条件降伏」であったのかは未だに議論されているところです。 学校教育等では「無条件降伏」という表現が多々見受けられますが、厳密に言えばまだ確定していないので、場合によっては単なる「降伏」という表現に留めておいた方が良いかもしれません。
お礼
詳しい回答ありがとうございます。 「有条件降伏」は初めて聞きました。 最大の理由は「米国とソ連の両国と同時に戦うことへの危惧」だったのですね。 端的なまとめありがとうございました。
- tando471
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アフリカ戦線で戦力的に劣勢で連敗続きであったイタリアが本土を脅かされるまでへこたれず勇敢に戦い続けたように、別に不思議でもなんでもないのではないでしょうか。 ようは、もう講和すら望めない、無条件降伏以外に手は無いと判断したからでしょう。
お礼
わかりやすくありがとうございます。 なるほど、どこでも自分の領土に被害が出て初めて降伏を意識するのですね。
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お礼
ビビってしまったのですね。 残念です。 回答ありがとうございました