- ベストアンサー
市場原理主義で環境資源の最適配分は行えるのか?
こんにちわ。 環境資源のように有限であるのもを配分する時に 市場原理で解決できるのでしょうか? 例えばCO2排出量を排出権取引市場を作り、そこで解決しようというような ことが行われようとしていますが、それは環境問題を抜本的に 解決する枠組みとなるのでしょうか? もしも市場原理が誰にでも納得いくようなものならば、 南北問題は問題として顕在化しないし、9月11日のようなテロは 起こらなかったのではないでしょうか? 長くなりましたが質問した事は2つです。 市場原理は環境問題を解決する上で万能か? もしもだめならどういう枠組みが必要なのか? よろしくおねがいします。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
>市場原理は環境問題を解決する上で万能か? >もしもだめならどういう枠組みが必要なのか? 結論: 環境資源に限らず、「顔の無い個人」を前提としている以上「万能どころか、悪い方」の部類でしょう。 南北問題に似た現象は、日常生活で誰もが遭遇している。 例: <ネギが高い→安い外国産ネギ輸入増加→国産ネギが売れず、農家に打撃→輸入ネギに農薬など問題発生→消費者・メディアが「輸入許可を非難」→輸入一時停止(セーフガード)→輸出国農家打撃で対抗措置のセーフガード> この例などから「市場原理の価格」と「輸出入の国際法」つまり『農業(等)気候条件に左右される価格&その結果を考慮した国際取決めの不在』なる構図で【市場原理の根本問題・原理を支える矛盾】が露呈されてる。 大気汚染などは「市場原理に内在する矛盾」が、多少現れているだけ。 市場原理はダメ・地球規模で国家が消滅するか、社会主義が思いつく程度。 ・勿論「個人的にも、市場主義生活でダラダラ生活し、社会主義(統制経済≒社会主義・国家権力が人権を圧倒する枠組み)などマッピラごめんで絶対反対。」 「また、国家の消滅も『人』を一つの生物と捉えるなら<国家=テリトリー>(類人猿のそれに似た)で、『現実問題としては夢物語=不可能』だけでなく、『種としての人』には不可能な限界かもしれない」 P.S.発展的な意見を全く述べずすいません。 しかし、ずっと以前から「アフリカでは、食料難から毎日数○人が飢え死にしている。その一方でアメリカは、食料が溢れパイをぶつけあっている現状がある」 この問題は『国際政治の問題で、解決を妨げてるのは「市場原理」でしょう!』 だから、「国際政治(国連などの国家の上位機関)がキチンと機能するなら『市場原理』でも、ノープロブラムでは?」 でも現状は「国際政治(国家=顔のある個人の集団、仏教色の顔など)に期待するのは当分無理」 「市場原理も、『社会主義=人を同じ顔に矯正する』経験から「自由・人権」とほぼ同値(?)で『個人の自由が可能でかつ、統制経済(めいた市場)の共存』は不可能と思う」 だから回答は「国家の消滅か統制経済」といった類の事を上記に書きました。 勉強不足なので、足りない点だらけもお許しを! では~♪♪♪
その他の回答 (5)
- TANAKA1942b
- ベストアンサー率49% (25/51)
環境資源のように有限であるもの(希少性のもの)を配分するのに、市場のメカニズムが有効である場合は多いでしょう。CO2排出件取引はその1つです。 環境問題を抜本的に解決するとはどういうことか?で評価は少し違い、もしCO2をとことん厳しく規制するとなり、「経済成長を止めよ」「くたばれGDP」となると、これは経済学の問題ではなく、哲学・思想、いや新興宗教で扱う問題でしょう。 市場経済とは、民主制度と同じように、熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく、個人の自由を尊重し、人々が豊になるための「功利的」な制度と考えるべきです。つまり市場経済は「原理主義」とか「万能」とは縁遠い制度なのです。 経済成長をストップしてまで国家が強制したり、それを全世界で実施しようとしたり、人々に「豊になるより大切な事がある」と教育(マインド・コントロール)しようとするよりは、CO2排出権取引は現実的な政策です。 また南北問題、サブ・サハラの貧困は市場のメカニズムが働かないことにこそ、問題があると考えます。経済成長がなくても、人口が毎年2%も増えるのは、市場経済では考えられません。ここでは市場経済の基本「交換」とは違う、先進国からの「贈与」が大きいこと、自由貿易を妨げる先進諸国の農業補助政策に問題があると考えます。
お礼
ありがとうございました
- ranx
- ベストアンサー率24% (357/1463)
「市場原理」という語にどこまでを包摂するかにもよるとは思うのですが、 この原理がこれほど広範に普及した背景として、旧来の道徳観による束縛からの 解放という面があったと思います。つまり、近代以前の大抵の社会・宗教において 自分の利益のみ追求する行為は悪だという考え方があったと思います。ところが、 「市場原理」という考え方は、この前提を覆してしまったわけです。一人一人が 自分の利益を追求すれば、社会全体としても、最も良い状態に落ち着くと理論づけ られたことで、個人の利益追求がおおっぴらに解禁されたわけです。理論は間違い ではありませんでした。資本主義化された社会は爆発的な発展を遂げました。 ところが、このシステムが全地球上を覆い尽くそうかという段階に至り、その 限界も顕在化してきたように思います。「外部不経済」というもので、正確な定義は 専門家に譲りますが、要するに、市場経済は、システムの内部を最適化しますが、 システムの外部に与えるマイナス効果をコントロールできないというものです。 ですので、 > 市場原理は環境問題を解決する上で万能か? については、環境問題は市場システムの外にあることなので、万能どころか無能である ということになると思います。 > もしもだめならどういう枠組みが必要なのか? については、時間を逆行させるものだという批判があるかもしれませんが、個人の 利益のみを追求していたのではダメなのだという、旧来の価値観を復活させるしか ないように思います。
お礼
ありがとうございました
- Singollo
- ベストアンサー率28% (834/2935)
> 再生紙を使った割高製品を消費者に買って > もらうためにはどうしたらいいんでしょう > か 2つのアプローチがあると思います 1つは『よいもの』の定義に『環境への負荷が小さい』ということが含まれるように、広報、啓蒙、教育を行っていくことで、もう1つは環境税を導入し、『環境への負荷が大きい』製品を『安いもの』でなくしてしまうことです 手っ取り早いのは後者ですが、環境への負荷の評価が当局任せになくなってしまうという難点もありますので、長期的には前者による消費者の意識改革や判断能力の向上の方が重要だと考えます
お礼
ありがとうございました
- Singollo
- ベストアンサー率28% (834/2935)
環境問題にしろ、南北問題にしろ、市場原理に解決させるには、市場、ひいては消費者ひとりひとりが、環境や南の人権を評価できる必要があります つまり、再生紙を使った割高な製品を買うかどうか、といったことです(排出権取引市場の場合は少々特殊です。まだプレイヤーが国家になるのか企業になるのかもはっきりしていませんが、国家が事後に不足分を買い取る、というシステムなら、まったく歯止めになりませんし、事前に購入した排出権を国内企業に割り当てるとすれば、最終製品の段階で、『この製品は他国から買い取った排出権に基づいて生産されました』と表示されたところで、消費者には、南への援助となる、と考えるべきなのか、南に死蔵されるはずだった排出権が活用され、温暖化が進む、と考えるべきなのか、判断は難しいでしょう) 環境問題に限って言えば、消費者の意識は少しずつその方向に向かってはいると思いますが、まだまだ時間は掛かる、といったところが実情だと思います
お礼
ありがとうございます。 現在の状況をみているとどうしても消費者の意識や行動様式の変化が 必要だと私も考えています。 再生紙を使った割高製品を消費者に買ってもらうためにはどうしたら いいんでしょうか? 今までの市場原理ならば、消費者の需要にあった、安くてよいものを 企業は作りつづけなければならないのですが これからは企業も環境配慮製品を作り、消費者に理解を求めるという行動が 必要になるのでしょうね。 企業や消費者はがこれからどうかわるべきか、ということに関して なにか良い本をご存知ですか? ご存知でしたら宜しく教えて下さい。 宜しくお願いします。
知ってはるかもしれませんが、 市場の失敗 を検索キーワードにしてみてください。
お礼
ありがとうございます。 さっそく検索してみます。
お礼
ありがとうございました