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柔軟になる方法

私は頭が固いです。 時にそれが災いする事もあります。 出来れば、もう少し柔軟な思考が出来るようになりたいと思います。 その方法をご教授ください。

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  • aster
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回答No.5

  >私は頭が固いです。 >時にそれが災いする事もあります。 >出来れば、もう少し柔軟な思考が出来るようになりたいと思います。 「頭が固い」ということで、どういうことを表現されているのか、はっきりと分からないのです。個人によって色々な意味で使われるので、どういうケースがあるのか、また「災い」になったのは、どういう場合なのか、具体的な説明があると、もう少し、どういう意味での「頭の固さ」か分かります。 「柔軟な思考」も同様で、例えば、こういう風な考え方ができません、という風に具体的な例でもないと、これも色々に考えられます。 まず、一つの考え方として、「頭が固い・思考に柔軟さがない」というので、「災い」になるのは、どういうことかと考えてみます。 「頭が固い」というのは、社会の決まりごとに通じていない、社会常識をあまり弁えていない、社会常識は知っているが、個人の意見などが強く出て、何かの場合、社会の常識に従わない主張や行動をしてしまう、こういう場合にも、「思考に柔軟性がない・頭が固い」と言われます。 脱税をしてもよいのか、ということを考えると、現実の世界では、かなり多くの人が脱税をしています。1億円も脱税しているのではない、せいぜい、年間で、5万円程度をごまいかしているだけだ、という人だと、他の人に指摘されて、そういえば、これは脱税というのかも知れない、しかし、別に普通にみなやっていることではないか、という考えをすることがあります。 それに対し、小額であっても「脱税は脱税だ」と主張すると、「君は常識がないね。世間を知らないね。もっと柔軟に思考しないと世のなか渡って行けないよ」という意見があることがあります。 法律に違反していないが、道義的にどうかと思えることを,企業がしている例はたくさんあります。そういうことを指摘すると、逆に、「世間知らずだ、頭が固い、もっと考えを柔軟に、世のなかに合わせていかないと、だめだ」ということがあります。 ある文化、ある共同体、グループなどで、決まっている習慣や、考え方や価値観というものがあります。「郷に入れば、郷に従え」という言葉がありますが、このグループや共同体の習慣や価値観や考え方と調子を合わせることができないと、「頭が固い・思考に柔軟性がない」ということになります。 しかし、官公庁の役人勤務をしてきた人が、よく典型的にあるのですが、官公庁のなかでは通用する方法を、退職後も墨守していると、一般企業で経験してきた人からは、あの人は「頭が固い」と言われます。 しかし、そう言っている人も、その人の経験で知っている「常識」の範囲が、新しい状況に対し不適切である場合、やはり「頭が固い」ということになります。 子供や若い人は、頭が軟らかく、思考が柔軟だと一般に言いますが、最近の小学・中学・高校・大学生たちは、十年前、二十年前、四十年前、五十年前のそれら生徒・学生に比べ、頭が固く、固定観念が大きいともいう批判があります。 経験がなく知識がなく、なのに、自分たちは「一人前」だ、「大人は頭が固く、ものごとが分かっていない」と馬鹿にしていると、ものすごく底の浅い、ワンパターンの一人よがりに陥ることがあります。 ある特定の知識や経験を持っていないため言われる「頭の固さ」と、知識や経験を持っているが故の「頭の柔軟さ」と、特定の知識や経験に縛られるが故の「頭の固さ」では、「頭が固い」とか「柔軟」というのは、どういうことなのか、よく分からないことになります。 色々な考え方ができる、色々なことを知っていて、色々判断できる、という人は、思考が柔軟ということかも知れませんが、それは何かを決定するとき、「無定見」として否定的に出てくることがあります。また、知識について、博識であることは、必ずしも、思考の柔軟性を意味しません。 「思考の柔軟性」というのは、知識や経験の豊富さも、重要なことかも知れませんが、無定見な雑学を大量に持っている人が、柔軟な思考ができるかというと、疑わしいところがあります。 考えるに、思考の柔軟さは、その前提として、明確な、自立・自律した個人というものが必要になると思います。この「自立・自律」は、価値観や倫理観、人生観など、Way of Life(生き方)において、その人がその人として自立した判断基準や価値観を持っているかということです。 「生き方」というのは、「広義の宗教」だとわたしは考えています。「アナタにとって宗教とは?」という質問に答えた回答があります。そこでは、教団宗教や教義を前提にするので、宗教が生活と表裏になっているということが見えないのだというようなことを記しました。 先に文化や共同体の約束事、習慣、ルールに通じているかいないかが、「頭が固い」に関係あるということを述べました。共同体のルールというのは、広義の意味の文化宗教の規範だとも言えるのです。あるいは、その宗教・文化での価値観や判断基準です。 個人として自立した判断基準や価値観や人生観を持つということは、所属する社会や文化や宗教などの規範・教義に必ずしも密着するということではないでしょう。 自分なりの判断や価値観や思考を持っているということは、「柔軟な思考」の前提にあると思います。 子供は経験や知識の欠如故に、大人が習慣的に考えたり見たりしているのと違うものの見方や考え方をすることがあります。時にこれは驚きで、これを「子供は柔軟な思考・ものの見方を持っている」と表現することがありますが、これは、「思考やものの見方の柔軟さ以前」の話だと思います。 知識や経験を積んだ上で、どれだけ柔軟な思考や、柔軟なものの見方ができるかが問題になるのであり、そのためには、自分の知識や経験を捨てるというか、一旦、他者や別の知識や経験にも重点を置き、考慮することができるということが重要でしょう。 知識や経験について、他のそれらに重心を移しても、なお、個人として冷静な判断ができるには、上に述べたように、個人としての価値観や判断基準の自立が前提にあるということになります。自分自身に自信があって、はじめて、他者の考えや、色々な意見に耳を傾けることができるということなのです。 自分のなかで、確かといえる、自信の持てるものは何かあるか、ということになります。それは結局、個人の経験や知識を元に築かれます。しかし、そうであるとしても、他者の心や、違った文化での考え方に対し、どれだけ「理解」できるか、歩み寄れるか、ということが重要になります。 自分自身の自立した価値観や世界観、人生観を持ちつつ、他の人の考えや、違った文化や社会の考え方にも、相手の立場や視点に立って、「理解」できるということ、これが柔軟な思考ということだと思います。 新しい知識に対し、心を開く準備があるなら、違った知識や考えと出会っても、それを自分のものにすることもできるし、また、そういう考えもあるという「事実の承認」ができるでしょう。 色々な本を読んだり、色々な人の意見を聞いて見ることは、知識を広め、判断の多様さを知り、視点の多さを知るということですが、「外部への理解」という基本スタンスがなければ、そういう知識もある、こういう考えもあると、単に、知識や判断のパターンをたくさん知っているというだけになります。 まず、自分の価値観や人生観、世界観、判断の基準など、自分自身に確かな、これといえるコアを築くことが重要なのでしょう。そのような価値観や判断の基準の長所と欠点をまた、できるだけ客観的に把握するということが重要でしょう。 自分自身や自分の信念や価値観を、客観的に眺めることができるようになることが、自己の生き方の自立・自律ということになるでしょう。この「自立・自律」は生活能力の自立とは違う訳で、生活するため、人はしばしば、自分自身の考えや判断の基準を失って行くとも言えます。 自分を思考や判断や価値観、人生観において自立させ、客観的に自分を眺めることができるようにすること。それは、「心の広さ」を生み出すことでもあり、他者や色々な社会や文化に対する「理解の態度や心」を自由に活発にすることにもなるのです。 結局、しっかりとした「自己」を持つこと。自分の考え、自分の価値観、世界観、人生観、判断の基準を持つこと、そして、そのような自分を客観的に眺めることがせきるようになることでしょう。そうすると、「他者を理解する広い心」もまた、備わって来るでしょう。 自分を客観的に眺め、反省できるということは、色々な人やその立場や考えを、自分の心に住まわせるということなのです。 世のなかや会社のなかの「常識」を知らないので、頭が固いといわれるのであれば、そういう「常識」を知るということから始まるでしょう。しかし、世間で「常識を知っている」というのは、常識に従って行動するという意味も含んでいることが多いです。 しかし、世間の常識や習慣が道義的に正しいかというと、間違っていることも多々あるのであり、自分の判断では、そういうことは認められないということについて、世間の常識に従わない場合、それは「頭が固い」ということとは違うことだと思います。 自己の自立的判断なしに、状況の常識に従って判断し思考し行動していると、結局、無定見となり、また、「自己の確立」ということになりません。真の自己の確立があって、他者の理解や違う考えへの理解なども可能な訳で、状況に流されて生きていると、確かな自己というものが、なくなってしまい、もはや造ることもできなくなります。 だから、以上のことをまとめると、柔軟な思考のためには、確かな自分、確かな自分の考えを持つということです。そして、その考えや自己について、客観的な吟味や反省を忘れないということです。他者や違う考え、異なる文化や風俗・習慣に対し、理解する「広い心」を持つということです。 こういう基本的な「自己の生き方」を確立すれば、知識は少なくとも、新しい知識があれば、それに耳を傾ける心の柔軟さができるでしょう。単に、たくさんものごとを知っていても、思考が柔軟ではないでしょう。   >No.317450 質問:アナタにとって宗教とは? No.15 >http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=317450  

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=317450
noname#231898
質問者

お礼

ありがとうございます。 大変素晴らしい御回答を頂きましたのにも関わらず「自己の生き方」が未だ確立できません。 広い心を持つべく肝に銘じておきます。

その他の回答 (4)

  • ririas
  • ベストアンサー率25% (8/31)
回答No.4

こんばんわ。 「頭が固い」と自分自身の事を思っていらっしゃるようですが、 周りの方に言われた、等のご経験がおありなのでしょうか? 基本は「固定観念に囚われない事」だと思いますよ。 大人になって行くほどに、固定観念、常識、という考えは大きく なっていきます。 例えば、こんな話があります。 小学校1年生の子供に、立方体に点を打って…俗に言う「さいころ」 の絵を黒板に書いて見せました。 「これは、何の絵?」尋ねると、すぐにその子は 「さいころの絵」と答えました。 次に、全く同じ絵をもう一度描いて、 「これは何?」と尋ねると、その子は考え込んで答える事が出来ませ んでした。 何故だかお分かりでしょうか? 子供達の頭は柔軟だ、と良く言われますが…要は固定観念が強く影響して ないんですね。 「これは何?」と聞かれた為に、絵のことを聞かれているのか、チョーク の跡の事を聞かれているのか…それとも、黒板の事を聞かれているのか 悩んでしまったわけです。 「この「絵」は何?」だと、答えが確定できたんです。 答えは、 「さいころの絵」かもしれないし、 「チョークで描いた線と点」かもしれないし、 「黒板の白い汚れ」かもしれないし……。 cafedemochaさんもおっしゃってますが、 そういう風に、一つの物事を多方面から観察できる能力が柔軟な思考だと 理解しています。 こんなもの、釈迦に説法でしょうねきっと…(汗)。 私もクリエイティブな仕事に就く事を目標にしていますので、 柔軟な物の考え方を身に付けようと頑張っています。

noname#231898
質問者

お礼

ありがとうございます。 「頭が固い」と言われることは結構あります。常識に囚われない考え方を心掛けたいと思います。

  • Singollo
  • ベストアンサー率28% (834/2935)
回答No.3

・行き当たりばったりに本を読む ・まじめに屁理屈を考えてみる ・酢を飲む(w)

noname#231898
質問者

お礼

ありがとうございます。 本と屁理屈は好きですが、酢を飲むのはホントご免蒙りたいです。

回答No.2

大きな、疑問ですね・・・ 頭が固い、と言われるのですが、ホントにそうですか? ホントにそうなら、このサイトに尋ねに来る事も無いと思うし、まず、尋ねた所で、その意見に耳を傾ける事も無いと思います つまり、ご自身で、そう思い込んでいるだけであって、実際には、別の理由から、他の見方を受け入れ難くなっているのではないですか? 基本的には、全ての可能性を同時に考える様にすれば良い筈ですし 様々な角度から物事を見、検証する事ですが、そんな事は、既に百も承知の事でしょうから、やはり、ホントの原因を探した方が良いと思いますよ

noname#231898
質問者

お礼

ありがとうございます。 ホントの原因は私の心の狭さにあると思います。直すべく努力します。

noname#4242
noname#4242
回答No.1

こんにちは。 まずは、自分が頭が固いんだって、思いこまないようにする事から、始めないと無理なので、頭が固いと自分で決めつけないこと、ここから始めましょ。 で、次に、いろんなものに触れて、なんだこれは、と考えてみましょ。 そうすると、長所と短所は表裏一体だって気づくようになるかもしれません。 まずは、こんなところからぼちぼち、始めるのがいいかなぁって思いますよ。でも、頭が固いというよりも、自分なりにしっかりしたヴィジョンを持っているということだけかもしれませんよ。それはそれで、立派なことでしょう。 あんまり、考え込むと、それこそ凝り固まります。 役に立たないかもしれないけど、こういうのって、自分なりの方法でしか、解決できないんですよ。でも、ちょっと、おいらの書いたことが、役に立てば幸いです。では~。

noname#231898
質問者

お礼

ありがとうございます。 考え込まない程度に自分なりに考えてみます。

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