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許す方法

今「プラス思考」とか「許す」とかそういうことがはやっているように思います。 そして私もそれを実践したいなーと思っています。 しかし、どうしても許せないことというか、頭ではいろいろ理由づけて許そうと思うのですが、結局心から許せてないことがひとつあります。 具体的にいうと、昔いじめられていて、そのボスというか、率先していじめをしていた一人を許すことができません。 時もたったので、思い出して怒りはそこまでないけれど、今でも会うのは恐くて避けたいし、友達が「あいつは根はいいやつだよ」というと「あんなにひどいことを言っていたのに??」とか思って悔しくなってしまいます。 そしてそう思う自分ももうどうにかしたい…。 こういう時どうすればいいのでしょうか??

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回答No.3

人を許すことは良いことだと思います。 でも無理に許そうとするとことは、自分が許せていいないことを より自分に感じさせてしまうのでしないほうがいいでしょう。 相手を許すことよりも簡単なことがあります。 それは自分を許すこと。 いま誰かを許せていない自分のことを許すのです。 誰かに対して怒りの気持ちを持つことを許す。 ただそう感じる自分のことを当然のこととするのです。 でも感じるだけで、何か行動に移すことはやめておきましょう。 行動をすることで、感じたことに力を与えることになり それに捕われることになるからです。 誰かを許せていない自分を許せるようになると、誰かのことは 気にならなくなっているかもしれません。

kusako32
質問者

お礼

ありがとうございます! >いま誰かを許せていない自分のことを許すのです これは考えたこともありませんでした!でもこれならできそうです。とても助かりました!

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回答No.6

そのままでいいんじゃないかな? 絶対に嫌いなやつって数名いるの普通。 私も殺したいやついます。 勿論実際には殺さないけど、そいつが事故とかで もし死んだら、表向きは平然とお葬式とかいっても 「かわいそうにね」ぐらい(嬉しくて) かえって平気で演出して悲しいふりして言えますよ。 世の中ヤなことや、乗り越えないといけない事は 他にも沢山あるので「プラス思考」とか「許す」 は別に使えばどうでしょうか?  まぁ、嫌いなやつの空気を覚えて、他にやつから 二度と同じ目に合わされないようにするためにも 「敵」って認識や記憶があるほうが、 私の場合はかえって安全弁になっています。 普段はそんな事はすっかり忘れていますが、 似たようなタイプに会うとチョロっとよぎるね。 NO3の方の いま誰かを許せていない自分のことを許すのです。 というのは素晴らしい言葉です。

kusako32
質問者

お礼

ありがとうございます! そうですね、別に使おうと思います。 >私の場合はかえって安全弁になっています こういう考え方をすると気持ちがいいですね!参考になりました!

  • fksswlh
  • ベストアンサー率60% (3/5)
回答No.5

別に無理して許す必要は無いと思いますよ。 全ての人間を許し、愛する・・・なんて、仏様でないのですから。そんな人が居る方が驚きます。 >友達が「あいつは根はいいやつだよ」というと 根が良かろうが、悪かろうが、関係ないですよね。どんなに根が良い奴でも、悪いことしてる奴は悪い。 友達が「良い奴だよ」と言っていても、皆から「良い人」って思われてる人なんて僅かです。結局評価の仕方なんて人それぞれです。 質問者さんにとって、そのボスのことを考えるのは時間の無駄だと思います。 上で書いたように許す必要もありませんし、自分のレベルを今更そんなやつの為に下げる必要はありません。(考えていた所で得るものはありません) それよりも、その時間を趣味や休息(自分にとってプラスになること)にあてる方が有意義です。

kusako32
質問者

お礼

ありがとうございます。 きっぱり言ってもらえて、すごく助かりました。 そうですね、時間の無駄だと思って時間を他のことにあてようと思います!

noname#30331
noname#30331
回答No.4

>率先していじめをしていた一人を許すことができません。 なんと律儀な質問者さまでしょうか・・・。 志はすばらしいと思いますが、自分を苦しめた人間を 「努力して」許す必要なんてまったくないと思います。 自然にできるならとてもすばらしいことですが・・・。 「あいつは根はいいやつだよ」という人には、 「あなたにとってはそうなんだね」て言って別に肯定も否定も しなくていいと思います。 >今でも会うのは恐くて避けたいし 人間として当たり前のことですし。 >「プラス思考」とか「許す」 どちらも幻想です。文面からお若いとお見受けしましたが、 もう少し経験をつめばわかります。 無理をして実践すると心が狂います。 もちろん、自然にできればそれでかまわないですが。 私たち弱い人間がせめてできることは、 嫌いな人間を完全に許したり、暗い気分の時に前向きな 心になろうとすることではなく、 嫌いな人間の前でせめて人間的な対応をしたり、 暗い気分のときでもなるべくできることをする、 というささやかな行動だと思います。 こころは思うまま、流れ行くままでよいのではないでしょうか。 何かに対してネガティブになるのもポジティブになるのも 質問者さまの個性なのですから。

kusako32
質問者

お礼

ありがとうございます! なんだか読んでて泣きそうになるような気持ちでした。そういうふうに言ってもらえると楽になります。 「ささやかな行動」というのもいい考えだと思いました。 思うまま、流れていくままでいこうと思います。

回答No.2

こんにちは。 私も最近「許す」ということに興味というか、質問者様のような思いを 抱いています。 そこで、もし私と同じような考えをお持ちでしたらお役に立つかと思い 回答させて頂きました。 具体例の直接的な回答にはならないのですが、私の場合、些細なことに イラッとしてしまうときなど、同時に自分の小ささに呆れたりします。 そんな思いを抱えていたとき、ある本であることばに出会いました。 「あるひとによって自分の怒りを支配されているのは馬鹿馬鹿しい」 というような内容でした。 私はイラッとしたときなどに、相手に感情を支配されているなど考えも 及ばなかったので、目からウロコのような考え方でした。 文章がうろ覚えなので伝わらなかったらすみません・・・。

kusako32
質問者

お礼

ありがとうございます! >「あるひとによって自分の怒りを支配されているのは馬鹿馬鹿しい」 確かにそうですね。いらいらした時など、そういうふうに考えれば少しはおさまりそうです。

  • kyesK
  • ベストアンサー率67% (147/217)
回答No.1

今はまだ許せるココロの状態に至ってないのだとしたら… 私の知り合いが私に言った言葉を借用いたします。 「今はそのままでいいと思う。無理してまで怒りを手放す必要もないと思う。いつか時期が来れば自然と手放せる時がくると思うし。」 私自身もこの言葉に救われて今に至ります。 私にも、今まだどうしても許しがたい知人がいるんですが、昔よりも今の方が穏やかに考えることもできるようになりましたし、恨みや怒りを自分の中で育てるのでなければ、こんな感じでいてもいいのかなって思うようになりました。嫌なことがあったのは変えられない事実。それを許せないと感じた自分の感覚を捨ててまで許そうとも思わない、けどその人のことを考える時間は確実に減りました。忘れている時間のほうが多くなったくらいです。そうやって、嫌なことも数ある思い出のひとつに「風化」していくのかな…と私は思っています。何か参考になることがありましたら幸いです。

kusako32
質問者

お礼

ありがとうございます! とても参考になりました。「風化」というのがいいのかもしれません。 気が楽になりました。

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