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夢からアプローチする唯物主義の否定の反駁募集

あまりの文字数制限に唖然とした。脳の覚醒時と睡眠時では、覚醒時の方が高い能力を有する筈。睡眠とは脳が寝ている状態だからだ。レム睡眠時には夢を見る。これは特殊な事だ。何故なら、夢は映像体験である。眼を閉じているのに“見る”という感覚体験をするからだ。覚醒時に眼を閉じても“見る”事は不可能である。覚醒時の思考は睡眠時の夢に遠く及ばない鈍い“気がする”程度の事である。それは感覚体験でなく、神経のパターンの再現である事による、脳の能力の限界ではないのか。それなのに、能力の劣る筈の睡眠時に、覚醒時を遥かに凌駕する力(映像体験能力)を発揮するのはおかしいではないか。もし、脳が夢を見る能力を有するなら、覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である。

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  • ringouri
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回答No.20

質問者さんは長文にて色々説明されていますが、どこが「夢からアプローチする唯物主義の否定」になっているのか理解に苦しみます。 覚醒時に夢を見る能力を持っている人がいますが、通常、その人達は有能者とみなされるのではなく、逆に「精神病」「夢遊病」などのネガティブなレッテルを貼られて廃人扱いとなります。(能力が劣っている?)多数が正常者となり、(能力が高いかもしれない?)少数が異常者として扱われる現状をあなたも無意識のうちに前提としているのではありませんか。あなた自身を含めて「正常者」の範疇で「覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である」などと議論しているだけです。 この点では、あなたの言う「矛盾」など何もありませんよ。 ただし、「正常者」と「異常者」との間でコミュニケーションがほとんど不可能なため、「正常者」には「覚醒時に夢を見る」ことが理解できないのです。 さらに、脳が生物的に死んでも意識が残るのではないか、と言われても、確かめようがないのです。脳が生きている「正常者」にとっては、受け止めて(認識して)理解出来るのは、具体的な物質的刺激しかないのですから。つまり、この場合も、死んだ脳に存在していたであろう意識と生きている別の脳との間には、コミュニケーションの手段が無いわけで、通常の手段では、検証も反証もしようがないのです。 反証可能性を持たない言説はポパー流にいえば疑似科学です。従って通常は専門家の誰からも相手にされません。(別に、だから悪いという意味ではありません。専門家よりも素人が真に科学を進めることがありますから) あなたの説(脳とは別に意識が存在し生き続ける?←あまり正確な要約ではないかも知れませんが)を検証するのであれば、あなた自身が「意識」となって、直接生きている他人の脳とコミュニケーションをして意識の存在を説明することでしょう。いわゆる「テレパシー」とか呼ばれている方法でです。そして、物質界と直接コミュニケーション可能な生きている(他人の)脳を通じて、「正常者」に理解し納得してもらえるような説明をすることです。 今まで、そういうことを試した人がいるのかもしれませんが、私は寡聞にして説得力のあるそのような「共同作業」「共同著作」があることを知りません。 従って、やはり今のところ、個人の意識は個人の脳に帰属しているもので、脳が機能しなくなれば存在しなくなるもの、という理解を変更する必要性を感じていません。

noname#42771
質問者

お礼

なるほど、覚醒夢ですか。今となっては、あの、仏国土の方も、そういう様な事を言いたかったのかな、という気もしますね。 とても良い意見でした。有難うございます。

noname#42771
質問者

補足

ご投稿有難うございます。あなたの文章は、とても読み易いです。助かります。 >覚醒時に夢を見る人について 覚醒夢の事ですか。私は覚醒夢という言葉を、この質問で初めて知りました。だから、「正常者」の存在しか考察の対象になっていません。 覚醒夢というのがあり、起きている時、眼を閉じると夢を見る。それが本当なら興味深い事ですね。だとすると、「覚醒時夢の能力を使用出来ないのは矛盾である。」という言葉は成立しませんね。 「正常者」の記憶の再現は、夢と比較にならない鈍いものです。それが脳の仕組みではないかと思い、覚醒、睡眠を問わず夢は脳ではないと思われますが、覚醒夢についての知識があまりにも無いので、何とも言えません。これから情報を得て、考察の対象にしたいと思います。 >死後の意識継続を確かめようが無い・・・ 分かっていますよ。論証(問題が出て来ましたがね。)はしましたが、確証などあると言ってません。 >疑似科学・・・ 専門家を相手にしようと、何故私が言いましたか?疑似科学結構。何とレッテルされようが、どうぞ。論理のつもりですが、現在の科学のルールなどどうでもよいです。 >テレパシーについて 私は常人です。意識をコントロールして他人の意識まで行けません。  脳を離れた時は、通常無意識と呼ばれている部分が意識の領界内に広がると思われます。  そして、無意識というのは実はあらゆる魂が共有する無限の広大さを誇るものと考えます。脳を離れたとき、意識は広大な共有世界の、どこを自分の意識の領界とするか、自由に泳げ、相手の意識まで辿りつくのです(この部分は論証出来ない推測です)。  常人は覚醒時脳という牢獄の中で物質世界の修行をしており、逃げる事が出来ません。だからテレパシー出来ません。  飛躍した話ばかりして、申し訳ありません。お話しするには、それしかないかな、と思い・・・ >あなたの理解を変更する必要はありません。

その他の回答 (23)

noname#82286
noname#82286
回答No.3

>あなたの心は振動ですか? 心は、物質世界では永遠に説明のつかないものではないのですか? そうですね心は振動ではないです。ただ夢そのものは心の反映でありそれが神経や脳と比例しないというのはいえるのではないでしょうか? >脳が夢を見る能力を有するなら、覚醒時それを使用出来ないのは矛盾である。 夢の能力を覚醒時に使用できないのは覚醒というのが夢の能力以外の能力を使っているからではないでしょうか?もしくはコントロールが難しいのではないでしょうか?

noname#42771
質問者

補足

>神経や脳と比例しないというのは・・・ 夢が脳から独立しているという事でしょうか?それなら、私がまさに主張したいところです。詳しくは次の方の時に述べます。 >夢の能力以外の能力を・・・  私は覚醒時、心は脳というコンピュータを使用する事により物質世界に現れる事が出来ている、と考えている者です。夢とは心が脳という鈍い五感の牢獄から開放される状態と考えています。夢の記憶とは、五感の牢獄から解放された時の経験の一部を、脳に刷り込ませたものではないか、と考えています。  そういう意味で、夢の能力と覚醒時の能力が、全く次元の違うものではないか、と考えています。 その根拠が最初の文章だった訳ですが、文字数制限についての誤解によって、結論まで述べられなかったので、次の方の時に述べたいと思います。

noname#40152
noname#40152
回答No.2

大乗仏教のですかね。

noname#42771
質問者

補足

この考察にジャンルなどありません。私のオリジナルなものです。が、何に似ているとかいうレッテルなどどうでもよろしいです。 否、あなたはもしかして、「覚醒時それを使用出来ないのは大乗仏教の矛盾である」と、私が述べているか?、と私に聞いているのですか?。 眼を閉じて映像体験出来る能力があるなら、睡眠時より能力が高い筈の覚醒時に、それを発揮出来ないのはおかしいではありませんか? だから、眼を閉じていながら映像体験をするという特殊な状態は、脳の能力の範疇を超えると解釈するのが自然ではありませんか?無理矢理脳が全てを取り仕切ると、難解な語句をこねくり回して唯物主義の成立をこじつけなくて良いのではありませんか?

noname#82286
noname#82286
回答No.1

それは多分意識の世界が解明できていないからではないでしょうか? 睡眠の意識と覚醒時では構造が違い構造によって意識が連動するからではないでしょうか?つまり神経的能力とで意識の連動が比例しないという画期的な証明なのではないでしょうか?

noname#42771
質問者

補足

脳という物質が、意識世界という非物質を解明出来るとお考えですか? 脳が、何億個の神経細胞を有するのか、私は知りません。しかし、数など全く関係ありません。神経のバイブレーションは神経のバイブレーションに過ぎませんね。それ以上に何があるのですか?それがどうして心とリンクするのですか? 脳研究は進めば進むほど、脳という物質の仕組みを解明して行きますね。しかし、物質の仕組みは説明すればするほど、脳という機械を暴くに過ぎませんね。神経の振動が、何故あなたの心なのか、解明など出来る見込みは無いのではありませんか?あなたの心は振動ですか? 心は、物質世界では永遠に説明のつかないものではないのですか?

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