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江戸時代。僧侶に成るには。
浄土真宗を除く宗派では、僧侶は妻帯を禁止されていました。 ということは、わが子に寺を継がせることはできません。 そこで、僧を必要とする寺には上位の寺から僧侶が派遣されてくるシステムだったそうです。 質問ですが、どうすれば僧侶になれたのですか。 例えば、近くの寺に頼んで、宗派の僧養成所のような所に入所させてもらうとか。 また、僧侶は魅力ある職だったのですか。 次男坊・三男坊にとっては、魅力があったのでは、と思いました。 成り手の希望者が多ければ、競争も激しかったのかな、と思いました。 よろしくお願いします。
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昔々、鑑真和上が苦労の末み日本に来られました。これは、時の朝廷が招聘したのですが、その理由はそれまでは正式に僧になるための戒壇と僧として認めることのできる資格者がいなかったためでした。彼が来て、初めて正式な僧が排出される制度ができたわけです。 その後は、その資格者と戒壇が増え、僧も増えていきます。具体的には、マンガ一休さんのように、寺に預けられ小坊主として使われ、後にその宗派の本山で受戒ということになります。石田三成も秀吉に見いだされた時は、近江の寺の小坊主でした。ただし、受戒も受けずに僧体になって勝手に僧侶として活動する私度僧もたくさんいたようです。 僧侶は、江戸時代まで身分制の枠外であり出自による差別は基本的には無く(仏の前では皆平等ですので)、各階層から尊敬を集める存在でしたので、人気はあったでしょうね。
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- jkpawapuro
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ほぼご想像の通りかと思います。 もちろん菩提寺を通してですが、上級武士の次男坊三男坊等が寺に入るんです。 足利将軍家などは、僧籍に入ったり呼び戻されたりがすごく多いですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 上級武士の次男坊三男坊なら基礎教育ができていますからね、なるほど。
お礼
ご回答ありがとうございます。 僧侶は、「出自による差別は基本的には無く」「各階層から尊敬を集める存在」だったのですね。 分かりました。