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動物の生得的行動と記憶、脳について
こんにちは。 動物の生得的に見える行動について、現在の脳科学での見解を教えていただきたく、投稿いたしました。 動物が天敵に対して示す本能的な回避反応、たとえば霊長類が蛇を怖がること(これは学習の要素が確認されていますが)、初めて猫を見たラットが竦むこと、鳥の雛がワシの陰がよぎると身を伏せること、などについてです。 私はこれらが、神経に関わる遺伝子の突然変異によって生じ、定着したのではないかと考えていますが、祖先の記憶が何らかの形で定着したのではないかと考えている方もおられます。 その方は、現在の脳科学では「対象を認知分別するには記憶との照合が不可欠」とされている、と言うのですが、人間の認知についてならともかく、動物の行動も含めるのなら、不可欠と言うのは無理があるように思えます。 このような見解、もしくは類似した見解が、脳科学や神経生理学の分野には存在するのでしょうか? また、その方は祖先の記憶のようなものは脳科学の分野でも取り扱われていると考えておられるようです。 根拠は、リタ・カーター著「脳と心の地形図」の次のような文章です。 【恐怖はなぜ起こるのだろう?どうしてコントロールが難しいのか?ある種の恐怖は、私たちの脳にしっかり刻みこまれている。進化の歴史を遠くさかのぼった昔、人類に危害をおよぼしていたものがかすかな記憶となって残っているのだ。(ビジュアル版では133頁)】 このような「記憶」も、脳科学や神経生理学の分野で「記憶の一種」として取り扱われるのでしょうか? なにぶん脳科学や神経生理学については一般教養書程度しか読んでおりませんので・・・、よろしくお願い申し上げます。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 疑問に思われるのは尤もであり、これは質問者さんのお考え通りで全く間違いないのではなかいかと思います。 >私はこれらが、神経に関わる遺伝子の突然変異によって生じ、定着したのではないかと考えていますが、 こちらが現在の生物学では事実であり、 >祖先の記憶が何らかの形で定着したのではないかと考えている方もおられます。 生後記憶の遺伝、即ち「獲得形質の遺伝」といいますのは、既に進化論の段階で間違いなく否定されていますし、こればかりは脳科学といえども例外はありません。 従いまして、 >進化の歴史を遠くさかのぼった昔、人類に危害をおよぼしていたものがかすかな記憶となって残っているのだ。(ビジュアル版では133頁) このような論説がまかり通るというのは常識ではちょっと考えられません。 >このような「記憶」も、脳科学や神経生理学の分野で「記憶の一種」として取り扱われるのでしょうか? ですから、私の知る限り、現在の脳科学や生理学においてこのようなものが認められているという事実はありません。 全ての生科学においてそれは「記憶の一種」ではなく、飽くまで「遺伝情報として獲得された記録」として扱われなければなりません。 >その方は、現在の脳科学では「対象を認知分別するには記憶との照合が不可欠」とされている、と言うのですが、 これが前提であるとしますならば、そのリタ・カーターというひとの論説には明らかに欠陥があります。何故ならば、確かに「認知分類」には記憶情報との照合が不可欠であるわけですが、果たして「対象の分別」ならば本能行動において当たり前に実現されているからです。そして、このようなものは遺伝情報として獲得されるものであり、我々動物がこのような「生得的な判定基準」に基づいて与えられた環境の変化に対し「状況判断」を行うというのは生物学上の歴然とした事実であります。 「恐怖」という感情は生後体験に基づいて学習されるものです。ですが、生得的な「嫌悪刺激」や「回避行動」というものが先天的に存在しなければ、そもそも特定の体験が恐怖として学習されるということはどう考えてもあり得ません。ならば、恐怖という因子が獲得されたために回避行動が選択されるようになるというのは原因と結果が全く逆さまです。従いまして、ご質問の引用を拝見する限り、対象の分類には学習記憶が不可欠であるから恐怖という感情は体験情報として獲得・記録されていなければならないというこの論説は、前提の段階から完全に間違っていることになります。 質問者さんが疑問に思われるのは当然のことであり、このような論説が一般に公開されているという事実が私にはちょっと信じられません。
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- 24blackbirds
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獲得形質は遺伝しない。これは常識と考えられています。しかし、いわゆる「本能」とみられるものが果たして生得的なものなのかどうかは単純に判断すべき問題ではないようです。 個体発生は系統発生を繰り返す、とされています。でも、その中に、「学習」の要素が組み込まれているとしたら? 例えば、ほ乳類では母親と子供は臍帯血により結ばれています。そして、子供は母親の食べ物の成分をへその緒を通じて知る、つまり、生まれる前に学習することが可能な訳です。子供の食べ物の好みは、生まれる前から母親の実際に食べている食べ物を通じて形成されるのです。遺伝子を介した獲得形質の遺伝はなくとも、このように母親の「生き様」は、子供に継承されうるのです。 本校執筆にあたり参考にしたのは以下の一般向け書物です。ぜひお読みください。 本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源 (単行本) マーク・S. ブランバーグ (著), Mark S. Blumberg (原著), 塩原 通緒 (翻訳)
お礼
アドバイスありがとうございました。ご紹介の本は、私も読んだことがあります。 仰るように、どこまでが生得的でどこからが学習によるものなのか、とても興味深い事柄だと思います。視覚に関する神経の事例などを見ていると、生得と学習とを分けることは無意味なのではないかと思えます。また、獲得形質遺伝が仮に過去にあったとしても、現状からそれを見分けるのは容易ではなかろうと考えています。 今回は、「脳科学によれば対象を認知分別するには記憶との照合が不可欠」という理由で、突然変異に起因する生得的行動を否定的に捉える意見があったので、本当に脳科学分野にそのような知見が存在するのか確認したく、質問させていただきました。
やや抽象的かもしれませんが木下清一郎さんの「心の起源」中公新書には記憶に関して精密な考察が展開されています。あまり具体的即物的な答えを早急に求めると返ってドグマ的になる可能性があると思います。
お礼
早速のご回答、ありがとうございました。突然変異云々については、私も具体的な結果を得ることなど出来ないと考えております。しかし、「対象を認知分別するには記憶との照合が不可欠だから」の理由で否定的に捉えられていますので、本当に脳科学でそのように言われているのか確認したく、質問させて頂きました。ご紹介の本、また探してみます。
お礼
全体にわたって詳細にご説明くださり、どうもありがとうございました。 仰ることは私にはとても納得のゆくものです。議論ともなれば1人対1人ですし、私も「自分が今までに読んだ本の範囲では、そのような知見は見当たらなかった」としか言えませんので、このような場で他の方のご意見を伺えるのは、非常にありがたいです。 お時間を割いてくださったこと、重ねてお礼申し上げます。