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国際人と歴史
世の中はどんどんグローバル化されている。この世界に通用する国際人を作らなくては日本は生き残れない、という主張を聞いてもう大分経ちます。そこで質問です。次の主張のどちらな正しいのでしょうか。 (1)国際人を作るためには高校で世界史を必須にして、世界の事を教えなければだめだ。日本史は選択でも良い。 (2)自分の国の事を外国人に説明できないような人間が国際人だとは言えない。だから国際人を作るためには高校で日本史を必須にするべきである。世界史は選択でも良い。 このどちらを選べと言われましたら、皆さんはどちらを選びますか。教えて下さい。
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世界史が必修になった裏側に、そんな立派な理念なんてないそうです。 実は、教科書を採用する時点で論争が少ないのが世界史だからそうなったにすぎません。 教科書というのは、歴史書の中でも一番のヒット商品となります。 必修科目となれば、ほぼすべての子供が購入する事になるわけです。 印税も馬鹿になりませんね。 で、この印税ほしさに沢山の学者先生が先を争って教科書執筆に手を挙げるんです。 当然、それには論争になっている分野ともなると誰に依頼したらいいか分からないほどになるんだそうです。 そこで、取り合えず日本史は必修科目から外して(必修科目から外れれば、印税が減るので、仕事を増やしたくない人は手を挙げない)選考も楽になるんだそうです。 、、、と以上はウチの大学の教授が暴露していました。 その教授は世界史が専門なのですが、そんな学者の私利私欲と、役人の仕事減らしの為に世界史が必修になってもと嘆いていました。 日本の歴史教育の理念なんて、そんなものです。 国際人云々なんてのは、後からのこじつけに過ぎません。 さて、前置きはさておき、個人的な意見としては日本史・世界史よりも歴史学の歴史をまずやるべきだと思っています。 もちろん、深くやらなくてもいいのですが、さわり程度はやるべきだと思います。 歴史とは、自然科学分野みたいに誰もが認める真理が見つかる事なんて稀な分野です。 それこそ、歴史は科学ではないとの批判があるほどです。 それを知らずに、「○○が本当です」と信じ込まされる。 それが進めば、所謂「思想教育による全体主義化」ですね。 プラス面で言えば、歴史ほど自分で考える(どの情報が信頼できて、どれが間違いかや、どうやって真実に近づくか)を養うのに良い科目は無いのではと思っています。 この歴史学の基礎をやってからでも、各論に入るのは遅くない。(逆に、教科書を信じ込まされるのは恐ろしい。中国や韓国との歴史問題を引き合いにだすまでもないでしょうね) それに、世界史の中で日本史を捕らえるのも重要であり、国際人を作るにはこれが出来ないことには無理とも思う。 参考になれば幸いです。 後、参考にいくつか私が答えた関連質問のOKWebの過去ログを。 http://okwave.jp/qa2501403.html?check_ok=1 http://okwave.jp/qa3170977.html ↑とくにこっちのなかで、「歴史はしょせん現在の反映である」との批判は教えて欲しい。
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- 352350
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私の回答は 「世界はグローバル化が進みそのために国際人になりたいと思う人は何が必要かを考え,日本史,世界史いずれかを選択しなさい。もし,いずれかを選択し間違ったと考えるなら選択し直しなさい。」 とします。 なぜなら,他の方々と同じように,教育の考え方が間違っているように思えます。 ある特定の知識を教え込んで特定の目的のための人間を作ることではないのでしょうか。 現在まで知り得た人類の知識を学ぶことでこれから誰も知らないことを人それぞれが見つけてもらうことだと考えます。 先生は教科書が絶対正しいと教えているのではなく、(口には出せませんが)生徒に将来,教科書の間違いや書いていないことを見つけてほしいと願っているのです。 ですからここで教育者が生徒に教育の後期待することは 「ああ,これで私も国際人」と思う人間よりも 「歴史だけ学んだって国際人になれるの?だいたい国際人てどんな知識があれば国際人っていえるの?そもそもグーローバル化は本当に進むの?グローバル化とは正しい?経済競争力がなくグローバル化に生き残れない人々はどうするの?」 と言う広い視点を持つ人間になってもらうことです。
お礼
貴方の意見に賛成です。私はこの質問をしてみていろいろ教わりました。 大変有り難うございます。
- riderfaiz
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日本史というと必ず出てくる「イイクニ造ろう頼朝さん」。 しかし現在の日本史教育では1192年に鎌倉幕府が成立したとは言わなく なりました。というのは何をもって「鎌倉幕府」とするのかの定義が 諸処議論があるからです。外国人と付き合う場合、自国の歴史を知らないと いけないと言われますが、1192年に頼朝が征夷大将軍の任命を受けたという 事実は外国人と付き合う上ではどうでもいいのです。肝心なのは何をもって いつをもって日本には「武士政権」が成立したと説明できる思考力と 知識です。 今はかなり改善されているようですが、日本の歴史教育は事件史、政治史、 年号の丸暗記が中心でした。もちろん外国人と付き合う上で一般常識と される世界の出来事は知っていたほうがいいので、事件史も必要ですが。 うちの子供はイギリス系のインターナショナルスクールに行っていますが、 歴史の授業は小学校1年生からあります。事件史や出来事を教えるのでは なく、昔と今を比べるとはどういうことか、昔にはどんな人たちが どんなことをしてきたのだろうというそういう歴史の見方、考え方を 教えているような感じです。中学校になると近代史を日本の世界史の ような感じで教えていますが、中世以前の歴史は事件史、政治史を 細かく教えることはないようです。 世界史にしても日本史にしても教え方を変えなければどちらを必修に してもあまり違わないように思います。
お礼
世界史と日本史のどちらかだけを必須にするという発想は意味がないと言う事ですね。そんな事よりもっと大事なのは、歴史をどう教えるかと言う事ですね。同感です。有り難うございます。
- komes
- ベストアンサー率29% (147/494)
国際人というのは先ず国境を無視できなくては成らないと思います。 国境は人間が自分の都合で勝手に地球上に書いた記号に過ぎないのです。 その知識に必要なのはおおくの文明、人種に対し寛容である認識を持てる事です。 従って日本史や世界史は単なる知識の一端にしかすぎません。 その点でご質問は基本的に正解とは言えません。 道程の一部です。
お礼
歴史はこの地球上に存在する多くの異なった文明や文化や人種に対して寛容になれるための知識の一つなのですね。だから世界史と日本史のどちらかだけを必須にするかという質問は正しい質問ではない。同感です。有り難うございます。
- outerlimit
- ベストアンサー率26% (993/3718)
例えば USAや西欧諸国いわゆるキリスト教圏と交渉するには、キリスト教の歴史を知らなければなりません、彼らの意識はキリスト教の基盤の上にあります(USA大統領就任式をお調べください) 同様にイスラム圏に対してはイスラムの歴史を、相手の歴史を知ることが必須です 人々は過去の歴史を背負っています、それが行動原理であり文化です 同様に、自国の歴史を知らなければなりません 孫子の兵法 「敵を知り己を知らば百戦危うからず」 二者択一しようとする姿勢こそが問題です 質問は、両方とも不十分です 「生兵法は大怪我の元」
お礼
歴史はどちらも知らないといけない。世界史と日本史のどちらかだけを必須にするという発想は意味がないと言う事ですね。有り難うございます。
- koon1600
- ベストアンサー率51% (200/390)
英語教育についてのひとつ意見として、「英語が話せるからといって国際人とは思うな」という意見があります。 これはたしかにそのとおりで、原語ツールが使えるからといって、それは相手の文化を理解したことにはなりません。 つまり、国際人というのは、英語が話せるか、相手国の歴史を知っているかではなく、「本質的に相手の文化を理解しているか」が重要です。 学習世界史は所詮暗記科目であり、はっきり言ってしまえば、真の国際人を作るのにはほぼ寄与しないと考えられます。学習日本史も同様。 歴史を覚える、というのは、文化を理解するという行為の、ひとつのツールにはなるでしょうが、「世界史を覚えたからといって国際人とは思うな」という話です。歴史を覚えるのではなく、相手の歴史を理解するのが重要です。 もうひとつ重要なのは、自国が他国からどう思われているのか、という視点を持つことです。これについて、日本史がなんら寄与するとは思えません。というのも、学習日本史も結局暗記項目であり、「日本史覚えたからといって日本の文化を理解したと思うな」という話だからです。 外から見た視点というのは・・・たとえば、よく「日本は西洋みたいに好戦的ではないから~~」とか、そういったことを言う人をよく耳にします。 しかし、実は日本人という種族は東アジア地域において、歴史的に見て凶暴な(好戦的な)種族で通っているというのを知っている人は、どれくらいいるでしょうか?本当に凶暴かどうかはおくとして、他国がそう思っているのは事実です(補足しておけば、別にこれは近代における戦争で導き出されたイメージではなく、倭寇や朝鮮出兵、琉球征服など、それ以前の長い歴史から導き出されているイメージです)。 また、日本という国が、はるか昔より典型的な軍事国家であったのは、紛れもない事実です。なにせ平安末から幕末までは、武家(つまり軍事勢力)がずっと政権を握っていたのですからね。ほかの東アジアの国において、ここまで長く軍人が権力を握り続けた例は、なかなかありません。 つまり、世界史を学んだからといって、外から見た日本の視点を理解できるわけでもないですし、日本史を学んだからといって、日本がはるか昔から軍事国家であったという事実を導き出せるわけでもない、ということです。 ですので、私はどちらを選んでも大差ないですし、あえて言えばどちらも「国際人を作る」ことには無意味であると思っています。
お礼
成る程良く分かりました。「国際人を作る」等との大げさな名目で高校教育をするのは意味がないと言う事ですね。歴史音痴にしないのが目的なら、世界史と日本史のどちらかだけを必須にするという発想は意味がないと言う事ですね。説得力のある説明でした。有り難うございます。
お礼
大変説得力のある説明、有り難うございます。 私は物理学を専門にしている者ですが、私の先生はノーベル賞を戴いた外国の方です。その先生を見ていて感心されたことが幾つもありました。その一つに、彼が講演会で質問を受ける時に、良く整理が付かず何を聞いているのか判らなかったり、あるいは表面上くだらない質問とも思える質問に対して、こちらが聞いていて感心するような深い見事な回答をしてくれるのです。私の先生は質問者の言葉そのもとよりも、その質問者が思い付いた意を汲み、その意の中から本質的なものを探り出し、それに付いて答えてくれるのです。ですから「何を馬鹿な質問をしている」と思っていた他の聴衆も思わず引き込まれてしまうような答えを聞くことができました。大分べた誉めですが、貴方の過去ログのご意見に似たようなことを感じました。有り難うございます。 そこの過去ログで、歴史の「客観性」と「主観性」について触れておりましたが、精密科学と言われる物理学が、実は「物理教」と言っても良いくらい「神懸かり」を要求する学問であるという側面について私が過去ログで論じて居りますので、参考にして見て下さい。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3307037.html の#2と#3です。