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興味あることを伸ばす教育は本当によいのですか?
教育方法で、興味あることを伸ばすようにすることで、人が伸びることはよくわかります。但し興味ないこと嫌だと思うことをしなければならないときに、のちにその経験が生きてくることってありませんか? 興味あることだけをさせてきた結果、割と自己中心的な人間になってしまいませんか?世の中の理不尽さを受け入れる強さとかそういうことって大事ではありませんか? 興味あることを伸ばすという教育方法は本当によい方法といえるのでしょうか?
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- sanori
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補足ありがとうございました。 以下、回答いたします。 1.興味のあることを伸ばすこと、嫌なことでもさせることについて 私は理工系卒のオヤジです。 小学校のときは、国語算数理科社会音楽家庭科、全部好きでした。 中学に上がってからは、英語も好きでした。 ですから、勝手に自分で勉強して、勝手に伸びていきました。 親は勉学のことについては、全く口を出さず、成績が良くても悪くても何も言いませんでした。 家庭教師や塾を利用した経験も無しです。 何でやる気が出たかというと、(漠然とした記憶ですが) 上の兄弟のために買った色々な文献が、家の中の本棚にあったので、 それらの本を好奇心から読んだからだと思います。 ただ、文学作品を読むのは苦手でした。 また、母の実家が近かったので、よく遊びに行きましたが、 じいさんが、よく、面白いことを講釈してくれました。 数学関係、歴史関係、色々です。 ノーベル物理学賞を受賞した小柴先生が、最近テレビ出演されていましたが、 東大の物理学科を目指し合格できた理由を話されていたのが面白かったです。 大学の先生が「小柴には物理学科は無理だろう」という陰口を言っていたのを 偶然耳にしたからだそうです。 何を言いたいかといえば、 やる気が大事。 やる気を出させる環境が大事。 競争心、怒りも、やる気につながる。 ということです。 ただし、 嫌いなことをやらない人間になってしまうか否かとは関係ありません。 学業については、やる気を出させるのが重要であって、 やる気の無いのに無理矢理勉強させるのは、よくないと考えます。 食べ物の好き嫌いを無くす、礼節を身につけさせる、根気を持たせるという類のものに関しては、 嫌がっても教えるべきですが、 勉学に関しては、そうでないと思います。 私の場合、高校時代に英語と物理の教師と授業中に喧嘩して、 その後、成績は地をはいました。 復活したのは、やはり、受験が間近になった頃です。 2.「今までの日本の教育では天才は育たない」について 私が天才だということではありませんが、 私は、こう思ったことがあります。 「微分積分およびその物理学への応用を、なぜ中学校で教えてくれなかったのだろう」 と。 理系志向の子供たちであれば、理解させるのは決して無理ではないと思います。 アインシュタイン先生や湯川先生が偉大な功績を残したのは、20代の頃です。 (アインシュタインは、12歳ぐらいのときに独学で微積分を習得したらしいです。) 幕末~明治維新で活躍した人たちも、20~30代です。 学生には「時間が残されていない」と思います。 3.個性を出す教育について だいぶ前なので、正確に覚えていませんが、 ビートたけしがテレビで 「個性というのは、周りのものとぶつかりながら形成されるもの。 縛られたり制限されたりしている環境で、自分の角っこが壁に ぶつかって、そのプロセスの中で個性が育っていく」 という意味のことを言っていました。 私は全く同感でした。 俗な例えを挙げますと、 制服や校則に縛られた学校生活を強要されることで、かえって、 その枠からはみだそうとする力が湧く場合があるということです。 放し飼い、自由奔放で伸びる個性は、おそらく中途半端になると思います。 ただし、これは小中高の通常の勉学には、あまり当てはまらないと思います。 当てはまるのは、人間性や芸事(習い事)だと思います。 4.嫌だからやらない人間になってしまわないか について 売れないお笑い芸人が、いわゆる3Kのアルバイトをしながら 夢を追いかけている、という話はよく聞きます。 自分が好きなことのためであれば、嫌なことでもやれるものですよ。 自分が守るべき人がいる場合もそうですね。 自立した心、責任感が育つような教育が必要ですね。 それは、勉学とは別のところにあると思います。 ちなみに、手前味噌ですが、 私は小学校のとき、募金活動の先頭に立って、自作の募金箱を手にして 街頭で大声を張り上げていました。 中学校ぐらいの頃は、母のアルバイトを手伝い、苦労を分かち合いました。 大学のときは食うのに困って、3Kのアルバイトをしました。 ですから、3Kの仕事をされている方々の大変さが分かりました。 以上、冗長な文章で失礼いたしました。 1行だけでもご参考になれば。
- Ama430
- ベストアンサー率38% (586/1527)
ご心配はもっともです。 しかし「興味あることを伸ばす」ということだけでも、実は、そんなに簡単なことではないのです。 興味のあることを足がかりにして「全力で何かに取り組む」という体験が重要なのですが、「好きなことばかりさせては本人のためにならない」と考え過ぎて、過剰な負荷をかけて自信をなくさせているケースが多いということがわかってきました。 そこで、特に「好きなことを通じてがんばらせる」という方法が強調されているのです。
補足
「全力で何かに取り組む」という体験を好きなことを通して行うという意味ですね。 納得しました。
興味のあること、得意なことを足がかりにするのはたいへんよい教育方法だと思われます いやなことを我慢してやることが協調性のある、柔軟な人間になるとは思えません 逆に無力感が出るのではないでしょうか まず、「成功体験」を小さいうちにたくさん身に着けることが やればできる、という自信、自尊心の醸成につながり 少々のことではくじけない強い心を養うのではないかとおもいます ただし、それには、きちんとした指導者(親でもよい)が必要かと思います
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
よろしければ補足をお願いします。 「教育方法」とありますが、 ご質問文の、この部分 >>興味あることだけをさせてきた結果、割と自己中心的な人間に >>なってしまいませんか? >>世の中の理不尽さを受け入れる強さとかそういうことって >>大事ではありませんか? を拝見するに、 学業でも芸事でもない、道徳教育のことを質問されているのでしょうか? それとも、たとえば、数学が不得手でやる気が無く勉強もしない場合、 将来、自己中心主義者になる懸念があるということですか?
補足
補足が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。 まずは教育とは何かということについて、 質問者である私が漠然と捕らえている感があり、 いわゆる教育論とか学問的ものには、正直ついていけません。 しかし興味はあるので、今後時間の許す限り勉強をしてみたいと思っています。 わかりやすい例でいうと、一般論として今までの日本の教育では天才は育たないなどと評価されていると思います。 つまり、受験教育であったり、型にはめた教育です。 これとは反対に興味をもったことを伸ばす教育、個性を大事にする教育というのがあると思います。 もちろん私も後者の方が理にかなっていると思いますし、個人としてもそういう教育環境で育ったならばハッピーでしょう。 しかし、そこで疑問が沸いたわけです。 好きなことを伸ばして育った子供が大人になったとき、嫌いなことをやらない人間になってしまわないか? 例えば、いわゆる3Kのような職業は嫌だからやらない。これは嫌だからやらない。 ということがまかり通ってしまうような気がしたのです。
興味のあること=達成が楽である、というわけではありません。 どんなに好きな事でも何かをやり遂げようとしたら努力が必要です。 大切なのは興味のある事をとことん突き詰める姿勢だと思います。 そして達成感を味わうことが目的です。 それによって、興味のなかった事に対しても取り組む姿勢を持てるようにもなるのです。 興味のある事だけをさせる、という意味ではありません。 子供の教育は年令に応じた段階が大切です。 最初から興味を持てない事をさせてもあまり効果が上がらないばかりか拒絶心を植える事になるのでそれを避けるために、まず無理なく入れる物から入るようにするのです。
補足
なるほどですね。回答者様のご意見にも納得できます。 ついつい興味あること=達成が楽であるかのように錯覚しがちでした。 ありがとうございました。
- unfreezer
- ベストアンサー率13% (7/51)
”教育”対象者の年齢や学習習熟度、その他個性等、もろもろの要因による。 こんな単純な二元論法でどの教育方法がいいとか悪いとか評価できるわけが無いと思うけど?
- massie
- ベストアンサー率17% (46/265)
両方をバランスよくやれば相乗効果があると思いますよ。どっちか片寄ると指示待ち人間や自己中になりやすいかもしれないですが。
お礼
アドバイスありがとうございました。 参考になりました。 まずは質問者である自分が教育と学業、芸事、個性などそれぞれのキーワードについて整理されていないことに気づきました。 テーマが深すぎる質問であることも確かなようです。 確かにいやなことではやる気がなくなりあまりよくないことではあるとは思います。 質問者の私の心理状態もこの質問に影響していたかもしれません。 自分の場合、どちらかというといやなことでも無理やりやっていくうちにひねくれた根性がついてしまった経験から、好きなことを自由にやっている人に嫉妬心があるのかも知れません。 とにかくいろいろ考えることができ有意義なものになりましたので、改めてお礼を申し上げます。 事情があり長い間、応答できずすみませんでした。 またよろしくお願いいたします。