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日本での天動説について

西洋ではガリレオ・ガリレイによる地動説の提唱が有名ですが、日本では天動説を唱える事があったのでしょうか。また、地動説に対する偏見もあったのでしょうか。 天文学について素人ですので解り易く回答願えればよろしいのですが

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • buchi-dog
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回答No.2

西洋文明に触れる以前の日本では、 1. 太陽、月、5つの惑星の存在は当然知られていた。 2. 太陽と月の動きを観察し、太陰暦を作成する技術はあった。 3. 日食や月食に周期があることも知られていた。 という所までは行きましたが、「地球と、太陽、月、5つの惑星、その他の星がどういう位置関係にあるか」を考察することはなかったようです。 逆に言いますと、私などは「西洋の天文学者はよくまあ『天動説』などという複雑怪奇な仮説を組み立てて、太陽、月、5つの惑星の動きを説明したもんだな」と感心するばかりです。 要するに「日本には天動説も地動説もなかった。そういうことを考えていなかったから」というのがご質問の答です。 なお、 「日本では古来から天文に関する事は興味がなかったようです」 というわけではなく、現存する貴族の日記や正式な歴史書に 「見慣れない星(超新星)が現れた(これが分かるということは、普段から星空をしっかり見て、主要な星の位置をちゃんと掴んでいたということを意味します)」 「ほうき星(彗星)が現れた」 「日食があった」 などという記録は多く見られますので、天文現象はきちんと観察していたようです。

whawha-pon
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「日本には天動説も地動説もなかった。そういうことを考えていなかったから」と言うことですか、だから信長が地球儀をもらって地球が丸い事を素直に受け入れることができたのですね。

その他の回答 (2)

noname#58790
noname#58790
回答No.3

>地動説に対する偏見もあったのでしょうか。 日食、月食、ほうき星は、天皇や国家の一大事の前ぶれとされました。 予測、観測されました。 日本では、陰陽師でした。^○^ 安倍晴明が有名です。占いに凝ってたんですね。 (安倍晴明は、一応天文学者です。)^^; 戦国の世でも戦は 祈祷師の良い日、方角に大きく左右されていたようです。 神仏や、神頼みを嫌う織田信長の箸も、親指以上の太さの箸でした。 折れると死ぬ。思いのほか、縁起はかついでいたようです。

whawha-pon
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね、日本人の気質から縁起をかつぐことがすきですし、その領域から出れなかっただけかもしれませんね

回答No.1

日本では古来から天文に関する事は興味がなかったようです。 地動説が日本に紹介されたのは江戸時代でした。確かアメリカの独立戦争と同じころだったと思います。(1770年前後?) 日本の天動説は暦にだけ使われていたはずです。 ですのでごく一部の人だけですが、日本は地動説支持の国でした。

whawha-pon
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 西洋では国を揺るがす事柄だったのに日本では無関心でしたか・・・ 宗教性が強かった事柄だったのでしょうか。

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