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クビライ・ハンが鎌倉幕府に送った国書に出てきた「中國」という表記について

昨日、NHKで、日本と朝鮮の2000年に関する番組がありまして、その中で、クビライ・ハンが鎌倉幕府に送った国書の中に、「日本は中國との交易がさかんだが、元とも交易せい」という内容の国書が届いた、とありました。 その国書の写しの資料が公開され、確かに「中國」と記載されていました。 ここで疑問なのですが、この時代、今の中国に存在した国は「南宋」という国で「中華人民共和国」ではないはずなのですが、この当時から南宋のことも「中國」と呼んでいたのでしょうか?

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  • pri_tama
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回答No.1

 中華思想に基づいた「中国」という言葉は有りました。  (孔子も使用しています。)    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD

uissu
質問者

お礼

昔から「中国」という言葉はあったんですね。 wikiとても参考になりました。 そうしますと、漢民族が自称としてつかっていた「中國」という言葉は元宋でも日本でも認識していたということでしょうかね。 納得しました。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • isa-98
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回答No.3

対等な貿易をした過去が無い。 が歴史的な認識です。 朝貢貿易とも言います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81 足利義満も冊封を受けて貿易をしています。 秀吉は冊封(朝貢)は認めるが貿易は認めないと言うので激怒したのです。 その為、 江戸時代には明との正式な国交回復は成らず、 民間レベルでの交易を許す形になります。

uissu
質問者

お礼

ということは、日本は今まで対等な貿易をした過去がないから、「中國」という表記の記述が出てこなかった、ということでしょうか? 足利義満が冊封を受けていたということは知りませんでした。 ご回答ありがとうございました。

  • okormazd
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回答No.2

すでに、「魏志倭人伝」で「中国」といっています。 http://www.webtelevi.com/yamataigisi.htm 男子無大小皆黥面文身自古以來其使詣中國皆自稱大夫夏后少康之子封於曾稽斷髪 文身以避蛟龍之害今倭水人好沈沒捕魚蛤文身亦以厭大魚水禽後稍以爲飾諸國文身 各異或左或右或大或小尊有差   和訳:男は、大人も子供も、みんな顔にいれずみをして体に文字を書いている。     昔よりこの国の使いは中国へやってくると皆自分のことを太夫という。 、     昔 夏王朝の少康王の子は、会稽の領主にされたとき、髪を切って、体に刺青をして、     蛟龍の害を避けた。今の倭人は、魚やはまぐりを捕るために好んで潜ったりするが、     体にいれずみをするのは大魚や水鳥を追い払うためのまじないとしている。     後にこのいれずみは、飾りとなる。国によって体のいれずみの模様が違う。     身分によっても左に右に、あるいは大きく、小さくと差がある。

uissu
質問者

お礼

そんな昔に記述に「中國」という言葉は現れていたんですね。 日本がどの政権にかわっても「日本」と自称していることと同じなんでしょうかね。 「魏志倭人伝」の和訳ほ面白いですね。 ご回答ありがとうございました。

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