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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:朝鮮族、在日、他親韓派の方に質問です。)

戦時中の日本と朝鮮について、実際に行われたことと残った50万人の理由

このQ&Aのポイント
  • 戦時中の日本と朝鮮には強制連行、虐殺、差別などがありました。しかし、具体的な詳細や根拠については韓国系の記事は避け、日本側の記述や第三国の情報を参考にしてください。
  • 戦時中に朝鮮人に対して行われたことについて、具体的な詳細や根拠は中立的な視点や加害者の立場から記述された情報を参考にしてください。
  • 終戦時、200万人の朝鮮人のうち50万人が日本に留まった理由についても調査してください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • tiuhti
  • ベストアンサー率66% (447/668)
回答No.1

私は、朝鮮・韓国籍ではないし、自分の事を「親韓派」と思った事は一度もありませんけど、誰も回答されないようなので、回答してみます。以下は、強制連行に関する日本側の資料です。(堤岩里事件に関する英米領事館の反応などの資料もありますが、長くなりすぎるのでパスします。) 戦争が次第に苛烈になるにしたがって、朝鮮にも志願兵制度がしかれる一方、労務徴用者の割り当てが相当厳しくなつて来た。納得の上で応募させていたのでは、その予定数になかなか達しない。 そこで郡とか面とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲い、或いは田畑で働いている最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくして、それらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果たすという乱暴なことをした。但、総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺う朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやってのけたのである。 (以上、鎌田沢一郎『朝鮮新話』・創元社・1950年) 蓋し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさること乍ら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である。 徴用は別として其の他如何なる方式に依るも出動は全く拉致同様な状態である。其れは若し事前に於て之を知らせば皆逃亡するからである。そこで夜襲、誘出、其の他各種の方策を講じて人質的略奪拉致の事例が多くなるのである。何故に事前に知らせれば彼等は逃亡するか、要するにそこには彼等を精神的に惹付ける何物もなかったことから生ずるものと思われ。内鮮を通じて労務管理の拙悪極まることは往々にして彼等の身心を破壊することのみならず残留家族の生活困難乃至破壊が屡々あったからである。殊に西北朝鮮地方の労務管理は全く御話にならない程惨酷である。(以上、内務省嘱託小暮泰用内務省宛『復命書』1944年7月31日。アジア歴史資料センターのWebで閲覧可能) 半島労務者の労務管理には幾多の問題が存している。(中略)何となれば朝鮮に於ける募集状況を見るに、曽ては野良で仕事最中の者を集め、或は寝込みを襲って連れて来る様な例も中にはあって其の誤れるや甚しい。計画的に募集の準備をして供出することが切に要望される所以である。(以上、協調会文書『思想対策係「半島人問題」』、水野直樹編『戦時期植民地統治資料』第7巻 柏書房 1998年。1944年8月頃に作成されたもの。原本は法政大学所有) これらの資料のうち、最後のものは「有名」でない為か、あるいはケチのつけようがないからか知りませんが、少なくともネット上では、その信用性に疑問符をつける意見は見つかりませんが、上の二つは結構有名なので、ケチがつけられています。その典型的なものが、参考URLに入れたものです。「3.朝鮮の強制連行について」をご覧下さい。私は単なる素人の「歴史好き」に過ぎませんが、参考URLのWebのような「批判」は、私から見ても、普通の「学問としての歴史の世界」では考え難いレベルなので、あまり参考にはならないと思いますが、一応入れておきます。 それ以外の批判は、一番上の「上司の鼻息を窺う朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやってのけたのである 」を根拠に、朝鮮人が勝手にやったことだ、という主張がありますが、参考URLに入れたWebでちょっと触れられている三菱鉱業(直島精錬所労務係石堂氏の) 「第一次朝鮮人労務者募集誌」や、住友鉱業「半島鉱員募集関係書類 」(「在日朝鮮人」 小沢有作編 新人物往来社 1978 )などを見れば、労働者の募集に警察署や役所が深く関わっていた事がわかります。(「何日に迄に何人集めるから報酬をよこせと要求する」、「募集する側の企業の接待を受ける」、「駐在所の署長が対象者の家を訪問」、「警官の命令を対象者に送付する」など) また、より明確に警察の関与を示しているのは、住友鉱業「半島人移入雇用に関する件」(1939年9月22日)で、「募集は募集取締規則に基づく各社の募集従事者による募集と言うことになって居るが実務は前記事由により朝鮮官権によって各道各郡各面に於いて強制供出する手筈になって居る」というものがありますが、これは朴慶植編「戦時強制連行・労務管理政策(1)」(アジア問題研究所・1982)にある資料なので、日本側が作り、日本人がアクセスできる資料でも、韓国人が編集した本に載っていたら、「加害者側の資料」という条件に当て嵌まらない、という事であれば無視してください。 よって、「拉致まがいの募集があったのは確実な事実」、「労務管理の問題としてわざわざ取り上げられるのだから、決して特殊例ではない」(全体の何%、何十%かはこの資料からは推測できない)、「圧力をかけて労務者を集める事に警察&役所の上層部が深く関与していたのも確実で、拉致まがいの事を『実行』したのは、現地人官吏だったとしても、それは、植民地支配に共通して見られる、『植民地政策の実行部隊は、多くの場合現地人』というだけの事。」というのが私の考えです。 尚、何故戦後多くの朝鮮・韓国人が帰ったかについては、単純に「自由募集、官斡旋、徴用、いずれにせよ、生活基盤が半島側に残っていた人達は、当然のように帰り、残った人は生活基盤がこちらに移っていたから」と考えています。長くなり、失礼しました。

参考URL:
http://www.jiyuu-shikan.org/goiken/05/09/gmain.html
noname#27088
質問者

お礼

詳しいご説明ありがとうございました。しばらく誰も書き込んではくれなかったので、回答メールの確認もおろそかになっていました。私が疑問に思ったきっかけは70代半ばの祖母の言葉でした。祖母は昭和5年生まれ、北海道におりました。まだ戦時中、近所に朝鮮人の夫と日本人の妻の夫婦がいたと話してたことです。いまで言うドメステックバイオレンスの夫婦で朝鮮人の夫はいつも妻を部屋の隅に追いやり暴力を振るっていたと聞きました。まあ、こんな夫婦は今でも国籍問わず居るのでしょうけど。ただ一般には強制連行、強制労働という奴隷的役割として日本に連行された朝鮮人と日本人が夫婦関係を許されていたことに驚きを感じました。それで当時の真実の朝鮮人の日本での立場、扱かわれ方を知りたく質問した訳です。参考になりました、ありがとうございました。