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吉田松陰の渡航失敗について
吉田松陰の伊豆の下田での渡航の試みについて詳しく書いた本と、松蔭がそのことについて記録した(他人が記録したものも)本を読みたいのですが、いい歴史書はありますか。小説やHPのものはいりません。
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米艦から追い返されて、松陰と金子は地元の庄屋さんみたいな家に「私どもは国禁を犯そうとしました」と言って出ましたね(わざわざ!)。で、突然のことにびっくりしたその家では役所へ連絡し、2階で2人に休むように言います。その家がそのまま公開されていると、見学した人のエッセイで読んだことがあります。下田市にお住まいの方なら、よくご存知のことかもしれませんね。たぶんそこの庄屋さんちの人が記録した何がしかの資料があるんじゃないですかねぇ。日本人はよくこまめに記録に残しますからね。そのお家に今無くても、市の資料館とか、市史とか、図書館とか。きっとあると思います。 他にも、本人が書いたものを含めてありそうな気がします。松陰が書いた書簡は365通だったか、635通だったか(6と3と5だけうろ覚えで覚えてます)、驚くほど多く残ってるので、ありそうですよ。このところ忙しくて図書館まで行けないもので、具体的にご紹介できなくてすみません。きっとあります。 余計ですが、2人は米艦へ行くのに下田の漁民の漁船を盗んだんですよね。これってどうなのよ?って思うんですけど。ま、よく知られたことですけど、その小船をこぐのにどうやって漕いだらいいかわからなかったらしいですし(松陰は船をこいだ事がなかった模様)。もうちょっと具体的な計画を立ててから実行しろよって気がするのは私だけ?しかも船は2人が甲板に上がってる間に波に流されて、はるか沖へ消えてしまった。生業の手段である船を盗まれなくされてしまった漁民は、すぐさま生活に困ったことでしょう。美容師さんからハサミを取り上げるようなものじゃないですか。あるいは、タクシー運転手さんからタクシーを取り上げるような。 もしお時間がおありでしたら私が以前、こちらの歴史カテゴリーでおすすめした「吉田松陰全集」なんかもちょっと探してご覧になるのも良いかもしれませんね。
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- nogul2n
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松陰、金子二人のその夜の行動を、ペリーが「ペリー日本遠征記」の中で大変に褒めているとよく聞きますから、ペリーの記述の方から接近なさったら何か見つかるかもしれませんね。 また、こんなページがありました。下田市村山邸(松陰が隠れていた家)です。庄屋さんでなく、お医者さんでした。2番の方が御指摘のように皮膚病だったのは本当だったんですね。松陰の顔は大変にでこぼこだったとよく言いますし、一見して皮膚病とわかる程だったんでしょう。ペリーが拒否したのも当然ですね。 もし、松陰が欧米を直接見ることが出来ていたら、どんな事を考え、どんな文を書いたでしょう。残念ですね。 本人の記述としては、渡航失敗の翌年、1855年に「江戸獄記」というのを書いてるので、それの最初あたりに書いてそうな気がしてますが、どうでしょうか?
お礼
お礼が遅が遅くなり申し訳ありませんでした。参考になりました。ありとうございました。
- kitakanjin
- ベストアンサー率35% (215/612)
何かで読んだ逸話ですが、松陰ともう一人がアメリカ船に乗り込み、 アメリカ渡航を申し出ましたが、彼らが疥癬(ヒゼンダニ)に感染していたために、渡航を断られたと、書いてありました。 出典は不明ですが参考までに。
- dulatour
- ベストアンサー率20% (327/1580)
その当時の一次資料が残っているとお考えですか (+_+) マスコミがこれほどまでに発達した現代に於いても、難しい問題です。 まず、吉田松陰関係の、文献をお探し下さい。 取材は、脚で稼ぐものです。
お礼
お礼が遅れて申し訳ありません。参考になりました。ありがとうございました。