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吉田松陰の言葉とは?
- 吉田松陰の一日一言について、訳を読んでも理解できない状況に困っています。
- 現代的な解釈や意味が知りたいです。
- 吉田松陰の言葉は皇国への報恩と武士の職務について語っています。
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「皇国の恩」を「天皇の恩」と解釈しただけでは、なにやら怪しげな個人崇拝で、北朝鮮のようなことを想像してしまうかもしれませんが、そうではありません。 昔は「生きている(今、命がある)」ということは、現在とは比べものにならないぐらい幸運なことだという認識があったのだと思います(人として当然の道徳ですが)。 その命在ることの感謝を、社会のため国のために力を尽くすことで報いたい、というこれまた人として当然の道徳感情が、言葉の基盤にあります。 当時、諸外国の圧力が高まり、幕府の統治能力に翳りが見え始めた頃、なにを日本と考えるかとした時に、立ち上ってきたのが天皇の存在です。日本の独立は、聖徳太子が隋皇帝宛ての国書に「天皇」号を使った所から始まるのですから、至極当然です。 天皇を敬うなどというと、直ぐに集中管理型の絶対王制のようなものを想像しがちですが、そうではありません。日本は古来八百万の神を奉じてきました。今で言うところのインターネットのような自律分散型の発想です。ですから、天皇と言っても絶対的なものではなく、全体を象徴するようなものなわけで、それは昔も今も変わりません。 当時、国の為に尽くすということは、武力行使も覚悟しなければならなかったと思います。進歩主義的に解釈すると、野蛮なことのように思えがちですが、現代日本の欺瞞的な平和にどっぷり使った私たちには想像ができないほど、当時の情勢は緊迫していたのだと思います(ここから百年に渡って)。 ですからそうしたことを考えると、「日本のために命をかけたい」という想いでいっぱいだったのだと思います。類比することは不謹慎かもしれませんが、東日本大震災・福島原発事故に際しても、「日本のために」と命懸けの働きをしている人たちは沢山いるかと思います。 そうした想いと基本的には変わらないのではないでしょうか。
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『自分が考え目標とするところは、天皇陛下の恩に報いるため、 武士の本来のしごとをしようと思っている。 この気持ちは死んでも変わることはない。』 と言うことです。武士はもともと天皇家を守るのが仕事でした。
吉田松陰は江戸時代末期の志士達の精神的な支柱となった人物で、 黒船などの西欧列強の来訪に対処できず、 他のアジア特に清国のように西欧の植民地と化すかも しれない幕府の不甲斐なさに怒り、 それでも、国内では未だに絶対的な権力を握っていた 幕府に対して、 死んでも、幕府を倒し、勤皇のために命を投げ出す。 と言っているわけです。 実際、この文章がいつ頃書かれたかは分かりませんが、 彼は西欧列強に対抗するには、まずかの国の戦力や国情を 知ることが急務と、国禁を犯してまで、 黒船に乗りこもうとしたり、さまざまな過激な 行動で、最後は投獄、処刑されています。 「皇国の大恩に報い」とは、 当時流行した思想で、この国のあり方、 天皇こそがこの国の真の支配者であり、 世情がおかしいのは、武士がその正逆を違えて、 この国を支配しているからだという勤皇思想によります。