- ベストアンサー
感じが生じる過程について
ある感覚器官で受けた刺激によってある感じ(クオリア)が生じるまでの脳の過程というのはどのようなものなのでしょうか? ご教授お願いします。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
とりあえず否定論者が出てこない内に書いておきますが、証明がつかないじゃないかという人がいたらぜひここを読んで頂きたい。 まず否定論者が何を言いたいのか 「脳の働きで入力から脳へそして出力へこの一連の動作で動いており意識の証明はつかないのです。」 と要約するとこんな感じです。 では私の考えです。 「証明が付きませんか?あなたが見ているその世界は何ですか?脳の電気信号ですか?いいえそれは意識の世界を見ているのです(汎神論)違いますか?そこに脳の電気信号が見えますか?見えませんね、じゃあ証明付いているじゃないですか」証明終わり・・・・
その他の回答 (5)
ええ~これはですね追随性という過程が存在しますね、電気信号が意識界と間接リンクしている状態の事を言います。 電流を流したときに磁界が生じるのに似てますね ただ電気信号がどのような時に意識が生じるのかというのは未だ未解明です。 また、あなた以外の人間には意識は発生しておりません。 なにか認識番号みたいなのがあるみたいです。w(本当かな?) あなたの番号がA~としましょうで私のがB~にしましょうそうするとあなたにとって意識というのはA~以外にはありえないのです。また私にとっても意識はB~以外はありえないのです。それを魂とも言います。
お礼
確かにこんな感じで納得した方がいいですね。勉強になりました。 ご回答ありがとうございます。
kaitara1です。少し気になるので追加させていただきます。最近になって自然科学の対象としてクオリアという名の下に研究が可能ではないかという考えで研究が行なわれています。しかし対象が対象であるだけに脳科学者の中でもそういう難しい問題に取り組むより他にやることがあると考えている人も多いと思います。自我意識の問題は古来多くの人が考えてきたものです。ざれごとではありません。少し外れますが精神活動を量子力学の考え方で説明しようとしている人もいます。個人的にはこういう試みというのは大変大切なものだと思っています。それと哲学すなわち戯言とお考えだったらそれは違うと思います(言葉の使い方の問題でしょうが)。せっかくご興味を持っておられるのですからいろいろご検討いただきたいと思います。
お礼
でも、知らなくても大丈夫なようなものですよね。どうもそれを知ろうとするができないときの葛藤を治したいから、意識についての好奇心というものがでてきてしまったのではないかと思います。 なので、そういう好奇心がなくなったときざれごとに感じるのだと思います。 ご回答ありがとうございました。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
No2です。 すいません、質問者が私なのでよく分かりません。 生物学のカテで質問すれば彼らが答えてくれると思いますよ。
お礼
生物カテですか、ここで、分からなければ、行ってみようと思います。 ご回答ありがとうございます。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
ANo.8あたりが参考になると思いますよ。
補足
>ですから、我々の脳内における「意識の発生」といいますのは、圧倒的にこの「NA投射」が関わっているということになります。 どの領域で、NA投射が行われているのでしょうか?
これはまだわかっていることではないと思います。仮説すらあまりないのではないですか。今はむしろ哲学の問題のように思います。
お礼
>これはまだわかっていることではないと思います。仮説すらあまりないのではないですか。 そうだったんですか。そうすると自分の追及していることはざれごとであるような気がしてきました。 ご回答ありがとうございます。
お礼
確かに、因果関係の間にまた因果関係を想像してしまいますから、考えるのがめんどくさかったら、どっかの因果関係で納得した方がいいんですね。 ご回答ありがとうございました。