- 締切済み
名詞の単数・複数。
先日ある所で初歩の英語教育を見学していた時、名詞の単数・複数の授業で、「I like apples.」という文が出てきました。もう文法などすっかり忘れてしまいましたが、国光と紅玉は好きだけど他の林檎は好きじゃないというのなら、この文も有り得るかも知れないけれど、単に林檎が好きと言うなら複数形にする必要は無いと思うのですが如何なものでしょうか。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- Milancom
- ベストアンサー率41% (117/285)
おじゃまいたします。 皆さんのご意見を、楽しく拝聴いたしました。私は、特に言語学者ではありませんが、英語・フランス語・外国人に教える日本語に興味があり、さまざまな機会に恵まれて勉強してまいりました。これまでの理解の範囲で、ご質問の「~というもの」という表現について整理してみます。 おそらく、tyogiさんにとっては、applesといっても必ずしも何種類ものりんごを好きですといいたいわけではなくて、単に「りんごというものを好きです」というときはこういうのです。というだけで十分なお答えなのだろうと推察いたします。 しかし、初歩の英語教育を見学なさっていたのですから、小さいお子さんを育てていらっしゃるのか、それとも英語教育に興味がおありになるのかでしょう。ほんの少しだけ専門的な話をお聞きになっていても、決して損はないと思います。 まず、皆さんがおっしゃるように、一般的なものを表す場合は、可算名詞であれば、無冠詞+複数形で、付加算名詞であれば、無冠詞+名詞(変化なし)です。特に口語では、これでまちがいありません。 しかし、可算名詞の場合、文章などでは、a/an+単数、the+単数で「~というもの」を表すこともあります。その使い方の違いは以下の通りです。 1)無冠詞+複数 漠然と「その種類のもの」を表すもっとも、口語的な表現です。書き言葉であっても、「~が好きだ/嫌いだ」とか習慣的行為を表す動詞の目的語になる場合は、まず、これが用いられます。 2)a/an+単数 「~というものならどれでも」という意味で、不特定の1つを代表として取り上げ、その種類のものすべてについて特有の性質を述べるときに好まれます。科学的な話などでよく用いられるほか、ことわざにも見られます。 例: A square has four sides (=all squares have four sides) . 正方形は4辺を持つ(すべての正方形は4辺を持つ)。 A child needs love and affection. 子供には愛情が必要だ。 A cat has nine lives. 猫は九の命を持つ。 この用法は、種族全体を一まとめにして考えるときは使うことはできません。それは、「どの1人/1個/1匹etcをとっても」という意味だからです。 例: パンダはほとんど絶滅しかけている。 X A panda is becoming almost extinct. ○ Pandas are becoming almost extinct. ○ The panda is becoming almost extinct. 3)the+単数 「その種族の典型的な1つの個体(the...)を取り上げれば」という意味で、その種全体を表す。 もっとも形式ばった表現。学術的な文章などで好まれる。 例: The tiger is without doubt the most magnificent of the big cats. トラは疑いもなく、大型ネコ科動物中立派な動物である。 The computer has changed everyone's lives in so many ways. コンピューターは、多くの面で人々の生活を変えた。 すこし込み入った説明になってしまいました。すみません。 こんな話も、どこかでお役に立つと幸いです。
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
#1で回答した者です。 誤った例の誤り(笑)があったので、訂正させてください。 訂正前 (b) I like an apples. 訂正後 (b) I like an apple.
- jayoosan
- ベストアンサー率28% (929/3259)
日本語が単複同形が多いこと。また、過去の英語の記憶で、This is a pen. 的な文から入った昔の教科書と、不加算名詞の「不」の意味は、数えてはいけないという意味ではないことを説明しない、学校英語の影響。そして外国で生活をしたことがない教える側の英語に対しての現地感覚の欠落。 これらの影響なのか、多くの日本人は英語の文章において、applesのような形が多く出現することを知りません。(複数形だが、林檎の個数のことではありません) むしろ会話では、ある話題に特化しない雑談、おしゃべり、伝聞、一般論のような場合、特定の対象にフォーカスしない言い方として、applesのような形が多く出現します。 ある特定のりんごにフォーカスしたときには、sが取れます。
お礼
メール有難うございました。
I like dogs. 犬が好きです。 I like a dog. 犬(の肉)が好きです。 I like a child. 怖くて訳せませんね。 これでお分かり頂けましたでしょうか。
- Parismadam
- ベストアンサー率65% (2756/4211)
はじめまして。 1.appleに冠詞がつく理由: (1)appleは普通名詞です。 (2)普通名詞には単数には通常冠詞がつきます。 (3)冠詞には、不定冠詞aと、定冠詞theがあります。 (4)普通名詞が複数になると、不定冠詞はつきません。 (5)以上の理由から、 I like apple. は間違いになります。 appleを複数形にしないのなら、 I like an apple. と冠詞が必要なのです。 2.何故applesと複数になるのか。: (1)一般に「あるものが好き」という場合、「あるもの」とはある種類を総称して指しています。その場合、No.2で回答されているように、「総称としての複数形」を用います。 例: I like apples「林檎というものが好き」 I like children.「子供というものが好き」 (2)その理由は、「林檎」と名のつく果物は世の中に沢山あるからです。例え、ある特定の林檎をさしたとしても、1個ではありません。国光も紅玉も沢山あります。 紅玉が好きと言いたいのなら、 I like the apples of Kogyoku といえますが、やはりapplesには複数のsが必要です。 定冠詞theがついているのは、ofで限定しているからです。 以上ご参考までに。
お礼
メール有難う御座いました。 貴方の「総称としての複数形」という言葉で、私の疑問は氷解しました。
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
>単に林檎が好きと言うなら 複数形にするのです。こういうのを「総称の複数」と言い「一からげにまとめてどれということなく」という意味で使います。 I like cats. I do not like dogs. このような時は「冠詞をつけないで複数」にします。 一方で単数が使われることもあります。 I like wine. I eat chocolate. などですが「冠詞をつけないで単数」になっています。このような名詞は「決まった形がない」ものです。言い換えれば入れ物や形成法でどんな形にもなり、どんな形でもワインでありチョコレートです。こういうものは「数えられない」と考えられ複数形がありません(特殊な場合は除く)。 話は戻りますが、複数形のある名詞を「冠詞のない単数」で使うとどういう印象があるでしょうか? やはり「形がないもの」という感じがします。果物ならすりおろしたり刻んだりして料理の材料に使うような感じです。動物ならもはや生き物の形をしていない「肉」です。a chicken (chickens) なら「(ひな)鶏」ですが chicken なら「鶏肉」です。 果物を果物として食べるときはそのままかせいぜい包丁で切り分ける程度ですのでまだ「形」が意識されます。 I like an apple. こういうときは普段訳さない a(n) が逆に目立ってきます。「あるリンゴ」「一つのリンゴ」「(素性は明かせない)某リンゴ」のようなことになり何だかわけありな感じがします。 I like the apple. これは単に「そのリンゴ」という以上に「あなたが知っている、もちろん私も知っている例のリンゴ(1個)」ということになり、I like に使うには不自然です。Let's eat the apple. ならまあありうるかなという程度ですか。 >国光と紅玉は好きだけど他の林檎は好きじゃない かえってややこしくなります。 I like some kinds of apples.「ある種のリンゴが好きだ」 数えられるものは「冠詞なし複数」、数えられないものは「冠詞なし単数」で総称的・一般的な意味になります。
お礼
メール有難う御座いました。 貴方の「総称の複数」という言葉で、私の疑問は氷解しました。
- sanori
- ベストアンサー率48% (5664/11798)
あんまり深く考えたことはないですが、 (a) I like apples. (b) I like an apples. (c) I like the apple(s). (a)は自然。 (b)と(c)は不自然。 です。 なぜかと言うと、(b)や(c)は、経験上、聞いた記憶が無いからです。 (b)だと、 「昔むかし、あるところに、1つのリンゴがありました」 のリンゴというような感じを受けます。 (c)のほうは、 (強引ですが) 「僕(達)が、あの日あの場所で見た、あのリンゴだよ!」 のリンゴ、という解釈はできるかもしれませんが、んー・・・ こちらもご参考。 http://www.ishikawa-tv.com/cgi-bin/cool-eng/index.cgi?mode=review&id=20060704
お礼
メール有難うございました。