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譲位と上皇

天皇は譲位により幾つかの自由度を得て上皇となりますが(後継天皇の指名など)強制されての譲位もあり、この場合どのような自由度があったのでしょうか? また為政者に対し抗議や反対の意思表示としての譲位も見られますが実権のない天皇にとって為政者にどのようなダメージがあったのでしょうか?

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  • fujic-1990
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回答No.1

 後継天皇を指名できることを「自由度」の例にあげてあるので、質問者さんの考える「自由」がなんであるのか、よく分からないのですが、私に言わせると、  退位により自由になったことの第一は、「誰とでも会えるようになること」だと思います。天皇はそれなりの位の人にしか会えません。春日局が「局」と認められたのも、天皇に会う資格を急造するためだったと記憶しています。  下々と会って、平氏や討伐や倒幕の策謀を重ねることが、譲位によって可能となります。  第2は、上とも関連しますが、玉体に傷を付けることはできないので、天皇だと治療がままなりません。上皇なら治療は自由自在です。  これらは譲位を強制された場合であっても同じです。  抗議としての譲位が持つ意味は、象徴ということではないかと思います。つまり、時の権力者である○○に「天皇を譲位させた」という汚名を着せる、歴史に汚名を残すことに意義を感じたのではないかと思います。  権力者はそれによって、後世延々と「僭越」のそしりを受けるわけです。すくなくても天皇はそう思っていたのではないかと。  あるいは、「位打ち」という考え方があったそうです。  どういうことかというと、気に入らないものをドンドンと昇進させるのです。すると、身に合わないほど高い「位」がかえって祟って、どんどん昇進させられた人は死ぬんだという考え方らしいですよ。ま、一種の「呪い」ですね (^_^;  「位」でさえ祟るのですから、天皇を譲位させた人間・親族が祟られないことがありましょうか・・・ なんてね。これは私の空想です。

komes
質問者

お礼

ご回答有り難うございます。 確かに天皇は格式を重んじて直接問答など難しかったと思います。 上皇となればかなり自由に振る舞うことが出来た事は納得です。 玉体に傷を付けられないというのは新見解です。 それ程神聖視されたとは思いにくいのですが・・・ 譲位を強制したという後世の批判を恐れたとは考えにくいのでは・・・ 天皇の地位は為政者はともかく、国民にとって雲の上の存在であり毒にも薬にもならぬ存在で殺す意味もない空気のような存在であったというのが別の質問での大方のご意見でした。 タタリを恐れたことは十分かんがえられます。 私は直接的なダメージが為政者にあったのではないかと疑問を感じました。 たとえば即位の大礼の費用など。 天皇家の自己負担ならそんなに度々結構し難いのでは・・・

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