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アムネスティは?
オウム裁判などで死刑判決が出された時に、被害に遭われた多くの関係者のコメントがメディアで紹介されていましたが、その一方、死刑絶対反対の運動を推進しているアムネスティ日本支部と日弁連人権擁護委員会の意見を聞きたかったのですが、この判決に対し何らかの抗議の意思表示をしたのでしょうか?または、メディアが取り上げなかっただけなのでしょうか。 以前、イーデスハンソンさんがアムネスティ日本支部長としてよくメディアに登場し、ご自分の意見を主張されていましたが、今も死刑制度には絶対反対されておられるのでしょうか?また、被害者遺族の前で同じことを主張する勇気がおありでしょうか?ご存知の方がおられたら、教えてください。
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専門家ではないので、私見です。 アムネスティや日弁連の立場としては、個々の死刑判決について意見を述べることはしないと思います。それは、死刑問題と裁判(罪状)の問題を混同させたくないからだと思います。死刑判決後に「死刑反対」というと減刑を望んでいるように感じられ、それは彼らの意図するところではないからです。罪としては極刑だが、死刑という方法が妥当ではない、と言うところを、ニュースなどで「反対の意見を出しました」などと要約されて報道されるのは遺憾なんだと思います。(だから、もし表明していたとしてもメディアで取り上げなかったかもしれません) また、死刑が極刑として妥当かどうかですが、死刑が妥当と考える方は、被告の死をもって償うという考え、被害者の憎しみや悲しみに応えたもの、事件の終止符を打つという意味などに意義を求めるところと思いますし、それはそれで理解できます。 しかし、池田小児童殺傷事件のように、被告人(今は死刑囚)にしょく罪の意識がない、死ぬことで世間から逃れようとしている、罪と向き合っていない場合は死刑に意味があるのか、考えさせられます。特に彼は、上告を拒否して死刑を積極的に選んでます。死を持って償うという類のものでは(口ではそういっているようですが、態度として)到底ないです。 死刑を極刑として定めている以上、罪の重さで死刑が決まりますし、死刑囚が反省していようがしていまいが刑は(時が来れば)執行されます。それならば、一生罪に対して向き合う機会を与え続ける終身刑の方が意味があるのではないか、という考えが死刑反対の考え方のひとつです。 ただ、この点はアムネスティとは考えが違います。アムネスティは、まず人を殺すという行為が残虐であるという考えです。これは誰でも理解できると思います。 でも、凶悪犯には当てはまらない、とか、死刑囚は他人の人権を踏みにじっており、人権などない、と考える人もいるでしょう。 確かにそう思いますが、アムネスティでは死刑囚も人間で、人権がある、という考え方なんです。これを理解するのは非常に悩ましいのですが、ひとえに「報復の排除」ということではないでしょうか。(ストックホルム宣言で言う、「死刑が暴力的行為であり、暴力は暴力を誘発しがちであり、」の意味するところです) 目には目を、歯には歯を、のような報復は、ある程度の犯罪抑制にはなりますが、憎しみや悲しみの増幅を招き、戦争のような「正当的な人殺し」へと発展することがあるかもしれません。事実、歴史上どれだけの「報復攻撃」がなされてきたでしょう。イラク攻撃も表面上は「フセイン政権(=悪)の駆逐」ですが、心情的には「報復」です。 このような、広い考えに基づいたところでの「報復反対」から導かれる「死刑反対」は、個々の事件において説明できるわけではないので、個々の「死刑」という判決に反対するのではなく、制度として反対したい、という立場だと思います。 長文、持論展開失礼しました。
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- makochi
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今回の麻原判決について、アムネスティ日本からは公式的なコメントは出ていないようですね。 > また、被害者遺族の前で同じことを主張する勇気がおありでしょうか? 死刑廃止の主張を、そんな単純なものと考えて欲しくないですね。 「被害者だったら麻原を<私刑>にしてもよいのか?」 という問いについては、nihaoさんはどう答えられますか? アムネスティの死刑廃止に関するサイトです。参考にしてください。
お礼
ご回答ありがとうございました。アムネスティ日本支部は個別の判決に対して、コメントは出してなかったのですね。死刑制度に賛否両論あるのは当然だと思いますが、どうもアムネスティをはじめとする人権擁護団体の主張は、口先のきれい事にしか聞こえてこないのですが・・。自分が被害者の立場になっても同じ主張ができるのか、本当のところを聞いてみたいものです。たしか、日弁連の岡村・元副会長がある事件でその立場になられ気の毒でとても憤慨したと同時に、事件の影響でご自身の信念を変えられたと聞き、複雑な気持ちになった記憶があります。また、もし被害者家族がどうしても判決に不服ならば、何らかの形で仇討ちできる制度を復活する事も考えねばならないかも、と思います。もちろんそんな事は時代錯誤であり、世界の趨勢に背を向ける事になり、国の恥になると思いますが・・。
お礼
真摯なご意見本当にありがとうございました。おそらく死刑制度に対する結論は永久にでないかもしれませんね。たしかにアムネスティやその他人権擁護団体が主張するような死刑は残虐な刑罰であり、国家による殺人行為だという反対意見も充分理解しているつもりですが、今のような「罪を憎んで人を憎まず」とか「犯罪者にも人権がある」という趣旨の判決が続けば「やられたら、やりかえす、せめて一矢報いたい」という人間の本質的感情は、どうやってもクリアーできないのでは、と思います。極端な場合、近代刑法導入により放棄したはずの仇討ち制度の復活まで視野に入れねばならないのでは・・。もちろん、私はそんな時代にならないことを心から希望します。 本当に死刑制度を廃止するのであれば、口先のきれい事や空理空論・偽善的意見に終始する事はやめて、どうやったら犯罪者に対する憎悪を解消できるか真摯な議論をしてほしいと思いますね。