- 締切済み
黒田官兵衛 孫子兵法の具現者
智謀の将・官兵衛の恐るべき才智・才腕によって戦略・戦術思想を見事なまでに具現化した事例をご紹介下さい。 特に,以下に示す時期を中心とします。 1)中国征伐 天正4年5月~10年6月(1576~1582年) 2)四国征伐 天正13年5月~13年8月(1585年) 3)九州征伐 天正14年10月~15年4月(1586~1587年)
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
みんなの回答
- a-koshino
- ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2
黒田孝高の一番得意は、敵を寝返らせる調略ですが、これは孫子を知らない人でもやってるような。特に地元の播磨では、国人を次々と毛利から離反させる大活躍でした。やりすぎて別所氏がへそを曲げちゃいましたけども。 四国攻めの折は讃岐攻略軍の軍監となり、長曾我部が讃岐の要害で豊臣主力を食い止め、間道を使って後方を遮断しようとした作戦を見抜いて「讃岐はほっといて阿波を叩こう」と進言し、後に長曾我部元親が悔しがった、との話もあります。
- takatukireds
- ベストアンサー率30% (89/292)
回答No.1
こんばんわ。 黒田如水は、実はあまり戦乱では活躍していないのです。 では、なぜ豊臣秀吉に恐れられるようになったか? それは、秀吉がかなりの時間をかけて出した結論を、黒田如水はほんの一瞬で思いついたことにありました。 秀吉自身がそのように書いています。 天下統一にまい進した秀吉ですから、秀吉が出した答えは間違えてなかったのは周知の通りです。 だから、秀吉は怖がったのです。 高松城の水攻め等、如水が考え付いたとありますが、果たしてどうなのか、実は疑問だらけなのです。