- ベストアンサー
幕末期の洋式軍事学伝習が行なわれる前と後の戦い方の変化とは?
西洋音楽の日本での受容について調べているのですが、 このことと開国後の軍事システムが密接に関係していることがわかりました。 西洋音楽が日本に伝わり、その後組織的に発展されるようになったのは、開国後に西洋軍事システムと共に輸入されたことを発端としているようです。 1854年に長崎海軍伝習所においてオランダ人教師から軍事学の一環として行進の際に隊の足並みをそろえるため、集団秩序における合図・号令のために西洋式のラッパや太鼓を使用したのが西洋音楽の始まりだそうなのですがここで質問です。 1.開国以後伝習所において初めてラッパなどで隊を整えるという方法を学んだということはそれ以前はラッパなどがない状態だったという意味だと思うのですが、 ではどうやって隊に所属する大勢の兵たちを統率していたのですか? それとも、もともと隊で行動するという戦い方が日本にはなかったということですか? (武士は一対一の戦法をとっていたという話はなんとなく聞いたことがあるのですが・・・) 2.開国以前は海軍は存在しなかったのですか? (でも、鎖国中の対外政策としてあったとは思うんですが・・・) よろしくお願いいたします。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (6)
- komes
- ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.7
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.6
- hukuponlog
- ベストアンサー率52% (791/1499)
回答No.5
- komes
- ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.3
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2
- kawakawakawa13
- ベストアンサー率25% (514/2010)
回答No.1
お礼
大変丁寧な詳しい回答どうもありがとうございます! なるほど、「音」とはそういうふうにして戦闘中に使われていたのですね。おもしろいです。 マウリッツ公という人のことは知らなかったので、調べてみました。 オランダ人だったということですが、鎖国中に出島でオランダと貿易していた頃 時期的にもそういった最新鋭軍事学の情報が日本に入ってくるチャンスがあったと思うのですが 実際には、受容が始まったのは開国後の伝習所でですよね? 出島での貿易というのは、そんなに制限されていたものだったのでしょうか? 「千石船」の話も大変興味深く読ませていただきました。 何の気なしに今まで目にしていた浮世絵などに描かれている日本の舟というのは確かにマストが1本だけですね! そういった理由があったことを知って、おもしろいなあと思いました。 どうもありがとうございました。