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科学で存在が証明できないモノは存在しない、と唱える方へ。
以前、とある大学の教授が、宇宙から来た空飛ぶ円盤や 霊の存在は科学では証明できない。よって存在しない。 と力説されまして、私は以下の様な質問を致しました。 「アナタに知性はありますか 良心はありますか 責任感はありますか 信念はありますか 教養はありますか …あるのならば、科学でその存在を証明してクダサイ」 その教授は、怒って退席されました。 科学に明るい方で、この教授と似た考えをお持ちの方、 私の問いに答えてクダサイ。 尚、実際に霊やUFOが存在するか否か、 の議論には関心がありません。
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#17です。面白い議題をありがとうございます。 >そういうもの=事象、と考えると、私の理解を越えます。 私の文章の中で、そういうもの≠事象です。 "そういうもの"というのは「知性、良心、責任感、信念、教養」を差します。 "事象"とは「ある人がいいアイディアを言う。」と言うようなことです。 >なぜ「ない」モノを切り取るコトが出来るのか。 これはとても深い内容だと思います。 まず一つ、我々は「言葉」を使って思考していると言うことを考慮に入れなくてはなりません。 思考は常に言葉に縛られています。 そしてその言葉の意味を学習や経験から習得しています。 次に自分の行動を、教育された「言葉」に当てはめて評価しているのです。 最後にその行動の起因となる感情を「~心」「~感」などと定義づけます。。 今はどうか分かりませんが、私が小学生の頃には「道徳」と言う授業がありました。 子供に善悪を教えています。宗教教育にもその側面があります。 だから、育った環境によって、「良心」は変化します。 イスラム原理主義者の良心と呼ばれるものをを、私は理解することが出来ません。 そして二つ目、言葉が無かった時代、どうやって言葉は生まれたか。 これはまだ研究中なのではないでしょうか・・・(逃げ逃げ) ただ一ついえることは、知性、良心、責任感、信念、教養は全て評価だということです。可・不可、有り・無しの応用であり、相対的なものです。 #無知な人間がいるから物知り人間がいる。 (皆が同じ知識を持っていたら、教養という言葉は無かったかもしれない。) #頼まれたことをやる奴とやらない奴がいる。 (やることが当たり前という行動しか出来ない種族なら、責任なんて言葉は生まれなかったかもしれない。) #善悪(良い・悪い)とは、自分たちの集団にとって、利益になるか不利益になるかということに起因します。味方を殺すのは罪になりますが、敵を殺すと英雄になれます。 また、我々日本人にとって、無視できないのが外来語です。 多くの言葉が中国(漢語)から輸入され、その概念を学び、思考のバリエーションを広げました。 もちろん、英語だってそうです。プライバシーと言う言葉を知ってから、日本人は孤独化していったのでは? と大袈裟ですが思います。 言葉があるせいで、我々の心や感情は数パターンに分類分けされ認識されてしまうのです。 新しい言葉を知ることで、思考世界が広がります。 (認識学とかそういうジャンルの話になると思います。) これって科学と言うより哲学かなあ。 夜も遅いので駄文になっているかもしれませんが、 なぜ駄文か・・科学的に証明出来るはずです・・・・・。
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えーと、それなりに科学には明るい方だと思います<どの程度か?などのツッコミは勘弁してください・・。 質問の趣旨とは異なる回答になるのですが、自分が思ったことを書かせてもらいます。 宇宙から来た空飛ぶ円盤や 霊の存在は科学では証明できない。よって存在しない。 <まず、空飛ぶ円盤が宇宙から来たと決めつけているところがすでに科学的ではないと言えますよね。 自分は登山が好きでして、一人で夜空を眺めたりしているとそんなに珍しくはないんです。 航空機や光の写り込み、人工衛星のどれでもないであろう飛行体=未確認飛行物体というものは。 実際に観測できる物を調べもしないで「宇宙から来たうんぬん」というのが科学的姿勢ではありません。 なにが言いたいのか上手く書けないのですが、もし自分がその教授に論を唱えるなら、 「では、空飛ぶ円盤や霊の存在を科学的に否定してください」と言うでしょう。 おそらく否定出来ないはずです、科学的には。 それに、その教授が言っているのはあくまで「現行科 学」でして、いつまでも科学で証明できないとは限らない訳で。 必ずしも証明できるとも限りませんが。 自分的には世間で一般的に事実のように唱えられている理論(例えば、ビックバン)ですら仮説でしかない以上、現行科学絶対主義の人を科学者とは呼びたくないですね。 すいません、回答じゃなくて感想で。
お礼
> すいません、回答じゃなくて感想で。 いえいえ、ありがたいですよ、反応だけで。 カテゴリー的には「良きコト」ではナイかも、ですが…。 > 空飛ぶ円盤が宇宙から来たと決めつけているところ すみません、コレは私の書き方のせいかもしれません。 空飛ぶ円盤は全て例外なく宇宙から来る、 という意味ではなく、あらゆる空飛ぶ円盤の内、 宇宙から来たと思しきモノに関して、を略しています。 コレは「UFO」と書くと 「未確認の飛行する物体」の存在は証明できる! とのツッコミが増えちゃうかな、と杞憂した結果です。 すみません、曖昧で。 > 「では、空飛ぶ円盤や霊の存在を科学的に否定してください」と言うでしょう。 なるほど、この方が彼の“科学魂”をくすぐる上では 有効だったかもしれません。またの機会に、ぜひ使ってみます。(笑 > いつまでも科学で証明できないとは限らない訳で。 > 必ずしも証明できるとも限りませんが。 要するに「今はワカラン」というコトですよね? 断言するのは早い、というコトですよね?
- mike1192
- ベストアンサー率23% (3/13)
科学に明るくはないので有りとの証明は出来ないのですが、私なりに思いますに、 すべてのことを数値化する(して考える)というのが科学の究極のところだと考えます。 質問の答えですが、 まず、知性、良心、責任感、信念、教養についての定義付けをし、これを数値化します。つぎに、これに対応する脳の反応を数値化して確認できれば有りという証明ができます。対応する反応がなければ無いということになります。 しかしながら、現時点において人間の英知が数値化するに及んでいないために証明ができないというだけであって、将来人間の英知が進めば、もしくは現時点でも進んだ英知のもとでは数値化できないものはないと考えますから、科学での証明は必ずできると思います。
お礼
回答ありがとう。 > つぎに、これに対応する脳の反応を > 数値化して確認できれば有りという証明ができます。 この説明には納得ができます。 > 数値化できないものはない なるほど、いずれ「霊」等も数値化されるワケですね、 存在していた、とするならば必ず。
補足
…あぁ、また中途で書き込んでしまった。 マジですみません、読みにくいコメントで。 アナタのお考えは、 「現時点では知性や良心を数値化するに及んでいないため 現時点ではそれらが“存在する”と断言はできない」 というコトですよね?
- physicist_naka
- ベストアンサー率63% (45/71)
私は教授の言いたいことは良くわかります。 つまり、こういうことでしょう。 ある男と女が結婚したとする。そのとき、「目に見えない赤い糸で 結ばれていたのね。」(これでよかったかな?)と言うことがあり ますね。科学的に考えるとこれは何かおかしい。 単に偶然出会って、運良く気が合って結婚したに過ぎないのでは。 確かに赤い糸がないという証明は出来ないが、わざわざ赤い糸を 持ってこなくても、ちゃんと理解できるではないか。 赤い糸を持ってくるなら持ってこないといけない理由を教えてくれ。 ということになりますね。 つまり、科学では、不要なものはないものとして扱うという、暗黙の 了解があると思います。そうしないと、まずそうだということは、 上の例からわかると思います。 教授はたぶんこういうことが言いたかったのだと思います。 もちろん「ない」と断言するわけにはいきませんが。 それから、「アナタに知性はありますか・・・」についてですが、 まず、これがちゃんとした命題である必要がありますね。例えば、 これを、「アナタはこれこれしかじかの試験で、地球上の 全人類の平均点より良い点をとりますか。」とでも言い換えて、命題に しておくと、答えやすくなります。 答えの例を挙げると、 「知性があると思うが、証明はとてもじゃないが出来ない。」 となります。こういう命題では「知性がある。」と断言は出来ません。 もし、「あなたは6を素因数分解できますか。」と言い換えて 命題にしておいた場合、答えの例は、 「知性はあります。」となり、証明は6を正しく素因数分解すれば いいでしょう。 言いたいことは、ちゃんと命題にしないと答えられないということです。
お礼
回答ありがとう。ですが、納得できません。 > 確かに赤い糸がないという証明は出来ないが、わざわざ赤い糸を > 持ってこなくても、ちゃんと理解できるではないか。 理解できるか否か、と証明できるか否か、は別の問題と思います。 > 科学では、不要なものはないものとして扱うという、暗黙の了解があると思います。 科学の流儀に合わせる必要性を感じません。 > これがちゃんとした命題である必要がありますね。 私は教授の言った「存在を証明できないならば、存在しない」 という命題に具体例を挿入しただけです。 「コレが存在するのなら証明できる、って意味?」というコト。 私は「ちゃんとした命題である」と思います。 教授の論が「ちゃんとした命題」であるならば。 > 私は教授の言いたいことは良くわかります。 > 言いたいことは、ちゃんと命題にしないと答えられないということです。 私の質問が命題でナイなら、アナタが書いた この二つの文は矛盾します。私の思い込みでしょうか。 もし私の認識が誤りならば指摘してください。
- yukarikihara
- ベストアンサー率11% (42/359)
とある大学の教授って大槻教授のことですか? だとしたら彼はそうは言ってないと思うのですが...(もし違ってたらごめんなさい) 彼が言うには 「現在、科学でで解明出来てないものは沢山あるがそれが全て霊だとか宇宙人の仕業とするのは 科学的ではない、もしそうだと主張するのならそれを証明するべきだ」 と言う事だと思います。 私は科学で説明できないものはない、と思っています。 自然の摂理は人間が思うほど無秩序なものではなく、もっと数学的にある秩序を持って存在している..と思うからです。 それに科学は先にあるものではなく現象のあとにあるものだからです。 ちょうど「理論で説明できない音楽はない、なぜなら理論は先にありきではなく単なる説明だから」と同じだと思います。 しかし現象の全てを科学で説明するのは当分無理だと思います、もしかしたら人間は永久にできないかも。 しかしそこになんらかの摂理は存在すると思います。 ちなみに「恋愛感情」はほぼ信号レベルで説明できるそうです。素人なんで詳しい説明はできません、ごめんなさい。
お礼
えーと、この場で個人を特定するコトに意義を感じないので まぁそれはイイじゃないですか、と逃げつつ回答ありがとう。(笑 大槻氏ではありません。もっと無名の方です。(失礼な意味でなく > 私は科学で説明できないものはない、と思っています。 と断言された直後「自然の摂理は…」と断ってらっしゃいますが、 世の中には「自然の摂理以外のモノ」は存在しないのでしょうか。 …とこの議論を始めるとドンドンそれますね、忘れてクダサイ。
- gimpei
- ベストアンサー率33% (262/782)
教授の科学観は間違った科学万能主義とか科学信仰に 近いとは思いますが、その質問も科学的ではないかも 知れませんね。自然科学は計数化・計量化することで 研究対象を理解しているようですが、刺激に対する 心電図や脳波の数値で良心を説明しても、あなたは 納得しないでしょうから。 科学に限界があることは、例えば不確定性原理で ハッキリしていることです。プランク定数以下での 現象は科学では証明できませんが、だからと言って プランク定数以下の現象は存在しないと言うので しょうか?ちょっと考えればわかることですよね。 質問の主旨に近い内容で質問を修正して補足します。 私がその場に居れば、科学の対象となりそうなものを 例にあげますね。「重力は明確に確認できる現象だと 思われますが、科学でその運動法則は証明できても、 運動そのものの仕組みを証明はできてませんね。 では、重力は存在しないのですか?」と質問して、 教授の矛盾を指摘しますね。科学が現代において、 どれだけ貢献しているかは否定の余地がないですが、 一方で「重力って何?」って単純な疑問にすら、 回答できないことにも注目しないといけないですね。 アインシュタインは重力を「空間の歪み」としました が、これは計算したという方が正解なのではないで しょうか。彼が研究の後世で重力の研究をして失敗に 終わったのは有名な話です。 ちなみに、この重力に関する質問の回答において 「重力波」という用語を使う人には「それは、 証明されてないことにおいて霊やUFOと同じ」と 言いましょう。
お礼
回答ありがとう。 私の質問が科学的でナイというご指摘には納得できます。 ただ、私は科学者じゃナイし…という愚痴も同時に。(笑 > 刺激に対する心電図や脳波の数値で良心を説明しても、 > あなたは納得しないでしょうから。 私は科学の知識を何ヒトツ持っておりませんが、 見ての通りの理屈屋ですので、ロジックが通っておれば、 心情的に賛同はできなくとも、納得はします。多分。 > 科学でその運動法則は証明できても、 > 運動そのものの仕組みを証明はできてませんね。 運動法則が証明されている=運動するコトは既知、 =運動をする何か、の存在も既知、と考えると、 この場合の「運動そのものの仕組み」と 私の言う「存在」は同義ではナイ様にも感じるのですが。 > この重力に関する質問の回答において「重力波」という用語を > 使う人には「それは、証明されてないことにおいて > 霊やUFOと同じ」と言いましょう。 ありがとう、またヒトツ利口になりました。
#2ですが >ところで概念化したモノに過ぎない >というコトは、イコール科学では >その存在を証明できない、というコトでは? 返答すると たとえば「信念を持つ」という状態は 「特定の事物に執着心を持って行動する」と言えます。 つまり人間のもつ感情の一辺です。 こう考えていくと 「良心」や「責任感」などは全て「感情」に収束でき 人間の「感情」は全て脳内の化学反応で説明できるので それらは存在してると証明可能となります。 ただ、上記の中で「教養」は「感情」とは別で 「知識」と「知恵」の集合体ですが 「知識」も「知恵」も脳内の化学反応で説明できるので 同様に証明可能です。 でも、どうでしょうね?論理的に言うと 本来なら「良心」や「責任感」の定義から入らなければ この問題は議論できない面もありますので アナタの質問が適切であったかどうか?という事には 私自身、少々疑問を感じます。 ただ怒って席を立ってしまう教授は、正直イタダケナイですね(苦笑
お礼
2度目の回答ありがとう。 > 「良心」や「責任感」などは全て「感情」に収束でき > 「知識」も「知恵」も脳内の化学反応で説明できるので では、例えば「経験」や「習慣」だったら、どーなのでしょう。 という疑問は尽きません。 私個人は、私が挙げた例の何れも「存在する」と考えています。 そして、それらの存在が科学で証明された、と見聞したコトはありません。 けれど、それを理由に「よって存在しない」と言われても、 なんか受け容れられない、て感じです。 > 本来なら「良心」や「責任感」の定義から入らなければ > この問題は議論できない面もありますので > アナタの質問が適切であったかどうか?という事には > 私自身、少々疑問を感じます。 例えば「霊」の定義が明確に共有されていない時点で 「証明できないから存在しない」と断言した彼を、 アナタはどの様に思います? > ただ怒って席を立ってしまう教授は、正直イタダケナイですね(苦笑 逆に私は「人間くさくてイイじゃん」と思いました。(笑
- acacia7
- ベストアンサー率26% (381/1447)
良心」「責任感」「信念」「教養」と言ったものは哲学的には 存するものと思います。 これまで、これらのものの存在を科学的な手法の元で検証したという文献を 寡聞にして知りません。 ということで、科学的な基礎研究からはじめなければならないと思います。 残念ながら、私には時間も資金も足りませんので実行できませんが、 興味がおありでしたらどうぞ追求してみてください。 その「好奇心」が科学の原動力なんです。 ・・・・・・ぐらいの余裕は欲しいですよね。 ま、とりあえず、「存在を証明できないものは存在しない」っていうのはナンセンスですよね。 「命題の『真』を証明できなければ『偽』である。」と等価でしょう。 「真か偽かを証明できない命題が存在する以上、それはどちらの値をもとる」って言いたいんでしょうかね・・(--; 背理法が使えなくなっちゃうじゃないですかねぇ。(--; さて、教授の知性についてですが・・(ぉぃ) ちょっと偏りが心配ですね。(ぉぃぉぃ) 良心ですが・・ 講演の放棄は指導者の良心にもとるかと・・ 信念は・・あれでしょ・・「科学的に証明できない物は存在しない」でしょ? ちょっと反証できそうですけど。 教養について・・ 教養も偏ってるかなぁ・・ え?科学的に証明するんですか?・・ 残念ながら、私には時間も資金も足りませんので・・・・・ お後がよろしいようで。(てけてんてん)
お礼
回答ありがとう。 私の考えと共通する部分を幾つか見つけました。 教授の論理がナンセンスだ、という点が特に。 私の質問に対する教授の答えとして、 最も彼らしい答えは「知性や良心は私にはナイ」 でしょうけど、それを名言するのは流石に、ねぇ。(笑 というコトで、私の場合は科学より哲学向きかな、 と自分で思い込んでるんで、ま、そんな感じで、 お茶を濁しつつ、コレを以てお礼と致します。はい。
- sakikumo
- ベストアンサー率26% (36/138)
U_TAさんのおっしゃる「私の問い」の論点が「科学的(明確)」ではないような気もしますが… とりあえず…。そして、例えば、 良心はあります。責任感はあります。信念はあります。教養はあります。 その証拠として、私は科学者だから。自己分析も科学的だ。 …というのもひとつの答えではないでしょうか。 さて、これは科学の問題ではなく「永久回帰的パラドクス」に帰還しますね。私の中では文学論に近い事象かもしれません。 決して「教授」の肩を持つわけではありませんが、 「皆に認められる地位と暮らし」は、 彼の中では「正解」なのではないでしょうか? そういう気持ちの中で「科学」ではない質問は普通に「いや」でしょう。 U_TAさんは教養のある方とお見受けいたします。 パラドキシカルな応答は不毛ということも世間一般論においてご理解できると存じますが、いかがでしょうか。
お礼
回答ありがとう。 では順に…。 > 「私の問い」の論点が「科学的(明確)」ではない 教授の唱えた「科学で存在が~(このスレの表題)」が科学的であるならば、 私の問いも科学的、と考えるのは科学に疎い私の身勝手でしょうか。 教授の言葉は「存在する=証明が可能」と解釈できます故。 永久回帰的パラドクス、ですね、やっぱり。 そして仰る通り「極めて不毛」です。はい。 でも、興味を持っちゃったンですよ。(笑 かの現場で、こんな質問をしちゃお、と思い立った時点で 教授が嫌悪を抱くコトは承知しておりました。 ひょっとして、このサイトにこうした質問をするコトも、 他の利用者の皆様に対して失礼なのでしょうか。 お時間ありましたら、ご教示いただきたく。
補足
あ、すみません。肝心の回答に対するコメントを 忘れておりました。ホンマすんません。 > その証拠として、私は科学者だから。自己分析も科学的だ。 > …というのもひとつの答えではないでしょうか この論理が科学的であるとしたならば、 1人の科学者が「霊は存在する。その理由は私が科学者だから であって、私の分析は科学的だ」と喋るコトが科学的な証明 として充分だ、という理屈も通る気がします。 合点がいきません。
- nikubo
- ベストアンサー率32% (80/247)
私が小学生の時「水1リットルと砂1リットルをたしても2リットルにはなりません。」などと言って先生を困らせたのを思い出します・・・。
お礼
イヤな子ですねー。(笑 とても純粋だなぁ、とは思いますが。 …てゆか私より遙かにマシですね。 すみません。 今度は、その先生の立場で一言どうです?(笑
何か一休さんみたいですね。 私なら、 「あるかどうか調べて証明しますから、あなたの言うところの ”知性”、”良心”、”責任感”、”信念”、”教養”、の定義を 具体的かつ定量的に教えて下さい。」 と言いますね。 もし、そこでお答えがないようでしたら自分で勝手に基準を作って、 その基準をクリアしているか、いないか、を証明できる事実か 自明な事柄を用いて証明します。 こんなのではだめですか?
お礼
回答ありがとう。 一休さん…確かに。これは科学というより ディベートの分野かもしれません。 さて、逆に補足をお願いしたいのですが、 科学で何らかを証明する際、 その定義は他から与える必要があるのでしょうか。 また、自分で勝手に作った基準は「仮説」と呼ばれ、 最終的に、その仮説が正しいコトを 科学的に証明する、のが「科学的な証明」と 私は認識しておったのですが…。違います? 教えてクダサイ、ぜひ。
お礼
夜分にどーも。そして丁寧な補足を頂き、ありがとう。 本来なら「キミの勘違いだよん」で終わって良いのに。 > 面白い議題をありがとうございます。 えへへ、なんか照れますね。(阿呆か(笑 > 私の文章の中で、そういうもの≠事象です。 お、コレはコレは、失礼しました。 以降の説明を読み、確実に仰る意図は理解しました。 > 自分の行動を、教育された「言葉」に当てはめて評価しているのです。 > …は全て評価だということです。 > 可・不可、有り・無しの応用であり、相対的なものです。 これは核心に触れたっぽいですね。 非常に納得できます。 > プライバシーと言う言葉を知ってから、日本人は孤独化していったのでは? ですねぇ、ウイットという語の和訳がどれもしっくりこないコトこそ 日本人にウイットがナイことの証明、なんてよく言いますよね。 …言いませんっけ?(笑 > なぜ駄文か・・科学的に証明出来るはずです・・・・・。 科学者らしい一言ですね。これはウイットと呼ぶべきものでしょう。 偉そうに評価しましてすみません。