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霊は信じていませんが、知らない人が当てるのはどうして?
私のはとこは霊感が強いのです。 魔除け的な意味合いではとこ(実母の妹の息子の娘でまだ5才)のいう事を信じて神棚に拝んでいますが、私自身、霊は見たこともないので、この世に霊が存在するのか疑問です。 しかしながら、今の科学では証明できないものも沢山あるのも事実です。 TVで霊能力者がよく出演しますが、ほんとに見えるのでしょうか。 見えるとしたら、何故俗人は見れないのでしょうか。 動物は本能で生きています。人間は違います。神様というのも人間が作った言葉です。 色んなHPを見ましたが、立証されるものは一つもありませんでした。 友達はきっと、そこの親が言わせているんだよと言いますが、それだったら、 何故地鎮祭をするのでしょうか。 何故祈祷するのでしょうか。 何故神社仏閣が点在するのでしょうか。
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ma1025さんへ こんにちわ。 >いではとこ(実母の妹の息子の娘でまだ5才) 子供は特に見えやすいと聞いた事があります。 俗世に汚れていないから見えやすい感じやすいのだそうです。 子供の頃、そのような力が多めに有った子も、大人になっていって実生活の中で 有利、不利(現世欲)を計算しだす年齢になると、その能力が塞がってしまう事も 又、多いと聞きます。 >自身、霊は見たこともないので、この世に霊が存在するのか疑問です。 私も、見えないのですが、霊はいると思います。 友達や周りの人には見える人もいます。私は感じる事はないですが、 今まで人生の中で、音になり聞いた事はあります。 霊と読んでいる物は、人間側からの呼び名(名称)で、多分私達でもそうですが 死んでしまっても、心(魂)はどこに行くのか?解りやすく説明が出来るとすれば そのエネルギー体の事を指すのだと思っています。 >TVで霊能力者がよく出演しますが、ほんとに見えるのでしょうか。 紛い物の人もいると思います。 見えるのだけが(たまたま与わっていたり長けている)能力ではなく、 肌で感じるだけの人もいると思いますし、瞬間霊そのものが見える人もいるし、 仲介役として、もの申したい内容を、聞き分けられる(耳)の能力の人もいます。 後、見えはしなくても、頭の中に、文章となって伝えた方が良い事が、 パンッと出てくる人もそれぞれです。 ちょっとそのような長けた能力がある人はそれを使い分けできる様にしなければ いけないのだと思います。 >見えるとしたら、何故俗人は見れないのでしょうか。 本来、この世や俗世で強く生きてゆくには、それ(能力)に頼りすぎる事無く 自分で人生を切り開いていく為に、見えなかったり感じなかったりした方が 良いからではないでしょうか。逆に、邪魔になったり、人生を切り開く際に この世でいききる時に妨げになり、人間的に生きる事で伸びて行く事に 歯止めがかかることのほうが、俗世(欲)の中では多くなってしまうからです。 全てが全てではないと思いますが、私はそう感じています。 だけど、人間は彷徨いますよね、そのときに見えない世界と、見える世界(俗世)を 繋ぐ仲介人的・道案内的な人も(能力を封じ込めない事もあり)いるのだと思います。 見える世界だけ(俗世)では、どうにも運ばない事もありえるからです。 私達の命はやはり、過去から現在までの沢山の命のつながりであるし、 命と同時に、命の舵を切る心(魂)を与えられているからです。 命が(現世)で尽きたとしても、魂の帰り場所も、今の私達には確認する事は無くとも あるんです。 繋がっているんです。 >何故地鎮祭をするのでしょうか。 まだ私も、理解をつけてお話が出来るほどの学力もこの件に対してありませんが 思うところから感じたまま、話せるとしたら、磁場(地場)歴史があり歴史の分 携わった者たち環境の、念が溜まっているということです。 又、地場を見守ってきた先人達(生きていた人間だけではありません。)の 思いも場所には篭るという事です。それに対しての敬意の表れや、そこで事無く 後から入る物を受け入れてもらう為の、自分の胸の内を表し「宜しくお願いいたします」と 挨拶する儀式でもあると思います。 又、古来人間は自然の中に神のような存在を感じ取ってきましたし。人間の思惑では 太刀打ちできない、創造された物やエネルギーが自然の中にはやどり、理解のつかない 力に生かされている喜びが溢れているからです。 又、磁場(地場)には、立ち入る際にことわりが必要なのではないでしょうか(敬意の念) 人間同時の住居にお邪魔する時も、相手に「おじゃましま~す。」「これからよろしくね~」なんて 敬意やことわりをえるマナーがありますよね。そのように考えれば、難しくなく 理解もつくかと思います。 >何故祈祷するのでしょうか。 祈祷とは、簡単に言葉で言い切ってしまえば、恵みや加護を祈りささげるものですが 活かされているものと生かすものの間の、これも一つの心洗いのものとも言えると 思います。 小さな祈祷は、毎日の中で、神仏・ご先祖に手を合わせる気持ちと同じなのだと 思います。自分を立ち返り(これをする人は少ないかも)申し立てをして、 力を高める作業でもあると思います。 神社仏閣についてですが、思っているまま書かせていただきます。 時代背景も欠かす事もできないのですが、(日本でいう多くの) 神 と言うのは 人間の神上がりもありますし、自然信仰(生かす側、感じ取ったもの)もあります。 又、仏の世界もまだまだよくは私も理解が着いていませんが、確かにあります。 神の世界はどちらかと言えば、善と悪 白と黒2対1 1対2の世界です。 仏様の世界は、白と黒の間に人間というグレーが含まれていると考えればわかりやすいかも知れません。 でも、どちらにしても神様も仏様の世界も、私達の心の中に同じように流れを汲んでいるものだと思います。 この話は、京の都の話で、有名な仏閣が多い事の話の際に伺ったのですが、 昔は疫病や、又、今のように暮らしやすくは無かったのです。 道で、インドのカルカッタで、マザーテレサさんが、最初に足を踏み入れた時と 同じように、道で死んでゆく人もあるような時代も、日本にはあって、 極楽浄土という文句に隠される憧れのように、その厳しい時代の中で、 唯一といって良い程、ありがたい建物、心のより所の象徴だったのです。 と、聞きました。思い巡らせて見ると、なんとなく理解もつきそうです。 又、神社についてです、日本だけではありませんが、農耕民族出身の私達日本人は 自然の恵みと常に密着して生きてきました。 どれだけ私達が技術や能力を上げても、生かしている側の自然の壮大な力には 叶わないという敬いの心をもっていたのでしょう。 地場の話をしましたが、それぞれご近所に神社があるのも、氏神様といって そこの地場に住むものを、見守っていてくださる。 辛い時には足を運んでおいでと、相談窓口を開設していると捉えて見れば 理解も(全てそうではないですが)つくきっかけになると思います。 分家と同じで、この町にあの力を持った(特性を)方を招き入れたいと 言った形で、ご神体の分社などがこのような形で、存在もしています。 又、古来から今までに至るまでに、その土地で、人助けや、人助けに繋がる繁栄に 尽くした人が、神上がりされてもいます。 つねに、繋がっているとしか、今の私には未だ表現が出来かねる、深い網目のように 繋がっている世界だと思います。 十人十色と言う言葉がありますが、それぞれ10通りの信仰があるとすれば 10個の個性を持って、それぞれ人間に対して窓口を開設されていると 解釈してみると、わかりやすいかもしれませんね。 人間にとって大切な物に導く、迷った時立ち止まらせてくれたり、多分どのような 良い宗教も神様も仏様も、又、私達を見守ってくれているご先祖様も 同じ事を伝えようとするけれど、それぞれ伝え方に特徴があると思えばいいと思います。 これは、私の現時点で感じてきた事なので、全てではないと思います。 もっと専門的な方に聞けばわかりやすいと思いますが、事実、神様も仏様もいらっしゃるし、 又、同じものが私達には組み込まれているし、私達の心の中に神様も仏様もいると 思います。 何かの足しに為ればと思い書きました。 私達のしなければいけない事は、霊がいる居ないで話し合う事ではなく 見える人も見えない人も、関係なく、今自分の生きている、自分の周りから 幸せに生きられるように、毎日生き抜いているだけで、小さな充分なのだと 思います。 又、別の話で、見えて見えて仕方ない人もいるそうです。 それも、辛いといってらっしゃいました。 見えないほうが、辛いきもちももらっちゃったりするので、見えると辛くなるでしょう? 見えないほうが、楽だそうです。 長く書いてしまいました。 年末ですね。良いお年を。
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子供の場合まだ脳が完成されておらず、 夢と現実との区別がつきにくい場合があり(これが寝ぼけに繋がります)、 自分の脳内で想像したものがあたかも見えているようにしゃべる場合がありますし、 周りの誘導から作り出される事もあります、 また感の鋭い人というのは「しゃべり方」「表情」「雰囲気」「手足の動き」「過去との関連」などから起こりがちな事を推測し誘導させる事ができます、 優秀な占い師というのは先天的か後天的な訓練などでこの能力に長けていて色々当てられます(酷いのは隠しマイクなどで控え室を盗聴したり、弟子にあらかじめ質問させておきその内容を元にしますね)、 地鎮祭や祈祷などは、 それを行う事でマジナイとして自分の気を落ち着かせる為に行いますし(何か起きても祈祷したのでこれだけの被害で済んだと自分を納得させるため)、 葬式も死んだ人の為では無く、 生きている人の気持ちを落ち着かせる為にする儀式です、 葬式を行う事で死者の魂を鎮め穢れを払いこの世に災いをもたらさないように祈る行為ですね(儀式を行う事で区切りを付けるという意味も)、 神社仏閣も生きている人間が上手く行動できるようにする為の道具ですね、 同じ戒律などを共にする事で余分な摩擦を減らす、 行事を共同でおこなう事でコミュニティとしての一体感を養う、 地鎮祭などのように儀式を行っておき災害などが起きた時の気持ちを鎮めるなどの効用があるのでは。
こんにちわ。 私は特に宗教を信じていないし、霊を見たことがありません。 大学は理系で化学の勉強をしてきました。 科学的に今は当たり前だと思えることの多くも、昔はおかしいと思われて いたこともたくさんありますよね。今なら正しいと証明されているが 昔はそれこそ神に背いたとか何とか言われて、処刑されてたりする場合もあった わけで・・・一方ある科学的な現象を逆にうまいタイミングで用いてあたかも 自分が不思議な能力を持っていると思わせていた場合もあったということです。 ということで、まだ今は霊の存在というのは実証されていませんが、 昔、酸素、電気、エネルギーといったものが実験や数式で検証されてなかったとき でもそういったものの存在を人々は知っていたし、理解してうまく扱える人はうまく扱い、 一方「神様の力」或いは「悪魔の力」等と信じている人もいたでしょう。 また、動物は感覚が物凄く優れていて人間が感じないものを感じるものがたくさん いますね。そういった能力を検証する場合、人間が機械的なセンサーを利用して 動物のそれと比較することができるから、「確かにこういう能力がある」と 確認し論文発表できるということであって、人間がまだセンサーを作れていない ようなものもあると思います。(カミオカンデができる前はニュートリノの 存在を確認できなかったのと同じように) たまたま霊についてもそのセンサーが発明できていないということかもしれません。 ただ、昔からその存在があるかのように扱われている割には、霊そのものを研究している 科学者の数というのは少ないために存在を否定されるような風潮があるのでしょう。(実際に勘定してみたわけではないですがあまり○○学という名称を聞いたことが無いし、理系の学部に物理学とかと並んで心霊学科なんてないみたいですから現在の分類では科学とは違う分野なんでしょう。) 将来、霊のセンサーが開発されたなんて事がないとは言い切れません。 そしてそれが論文で発表され、検証されたらそのうち皆その存在を納得するでしょう。 テレビはエンタテイメントですから、面白おかしく演出している面もありますが、 世の中には目の見えない人もいらっしゃるし(だからといってその人たちにとって 世界は存在してますよね)反対に普通には見えないものが見える人がいても おかしいことではないんでは? もしそのことを分からずに闇雲に「このこは嘘をついている」とか「親に 言わされている」といってしまったら、子供は傷ついてしまうんじゃないでしょうか? (否定できるほどの理論武装があるなら将来教えてあげてもいいとは思いますが) 反対に本当に親に言わされているのなら問題ですが・・・でもこういう能力を持つ人たちが全て人をだます悪意の存在とは考えたくありません。 やはり信じられるかどうかは自分次第かも・・・。 まとまりつかなくなってしまいましたが、最近は結構「数式」や「科学」 が無いと信用できない 見たいになっているけど本当にその「数式」や「理論」 を理解し検証できない人も多いのに真っ向から否定することも無いんじゃないか と思ってます。かといってだまされることも無いですが。本当のことを見極める ために日々勉強するしかありません。それを言葉や行動で説明する学問の一つが 宗教であり、数式や実験で捉えるのが科学だと思っています。(追いかける仮定が 正しいことなら、どちらの結論も最終的には一致するはずです。) 長々とすみません。
お礼
将来的にこの分野の学問ができるかもしれませんね。
- yapoo
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私自身は全く霊感はないです でも見えて感じる人が 身近に何人かいます やはり霊とか見えるそうですよ テレビに出てる霊能者の全員が本当にちゃんと見えてて 分かっているのかっていうと インチキっぽい人もいます テレビでやってても強いものは見えるそうですよ 地鎮祭とか祈祷とかは神に祈ったりするんですよね 神社の神主さんとかを呼んで 祈っておけば厄が払われるって 感じで災いを払うって感じですか 神社仏閣は神を形にして拝む対象を作ったって感じかな 神はやおろずにいるっていわれてるのに ちょっとおかしいですよね
- iktzy
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科学はすごく単純なものしか扱えません。だから、科学的に立証されないものが存在しない、とは思えません。でも、霊が存在するとも思えません。言えることは、科学がとらえきれないものが存在する、霊感などはだいたい古代宗教的なアニミズムの類である、ということだけです。あとは「霊能力者」と呼ばれる人が、科学ではとらえられていない感覚を使っていたり、状況の傾向を読み取っていたり、共感を誘導していたり、あてずっぽうだったり、インチキだったり、マスコミのヤラセだったりするのではないでしょうか。
お礼
TVのはやらせの感が歪めません。 私も霊は見たことがないのですが、5才の子から誰も知ってないことを言い当てられると驚きの限りです。
- jun95
- ベストアンサー率26% (519/1946)
1.見える人には、見えるという事実だけが存在します。これは、特殊な能力だと、私は思っていますが、たとえば、私の知っている能力者だと、あさ、彼女に会うと、私が何も言っていないのに「お母さんが病気で寝ておられるのね。でも、すぐ治るから心配はいらない。」と霊感であてられたものです。 2.それで、わたしは、どうしたら分かるのかについて、彼女に説明を求めたことがあります。何となく出会ったとたん、そういうのがすうっと頭に浮かぶのだそうです。 3.神とは、無関係かもしれません。科学的に立証はできませんが、実際に不思議なことを経験することで、事実上存在するのが分かるのです。
お礼
早速のアドバイスありがとうございます。 世の中には俗人が分からない事が多いようですね。 私も見れたら、少しは理解できるのですが、、、。 私もおばさんのところへたまたま電話してたら、電話口ではとこがおじさん左手は治ったのと言ったのです。 驚いた事にちょうど、その日に左手をケガしてたのです。 何で分かったのと聞くと、だって見えるもんと言ったのです。
お礼
長文ですが、ご丁寧な回答に敬服します。 最後にも書かれていますが、その子が大きくなった時、見え過ぎて辛くならなければいいのにと危惧しております。