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格言の意味を教えてください。
学問の本趣意は、読書に非ず、精神の働きに在り。 by 福沢諭吉 読書するだけではダメってことですよね? 「精神の働き」ってどんな感じでしょうか? そもそも「学問の本趣意」ってどういうことですか? 言葉が難しくて意味がわかりません。。。。 よろしくお願い致します。
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はじめまして。 読書とは本を読むこと、その本は他人が書いたものです。学問の目的となる「精神の働き」とは、以下のようなことを言っていると思われます。 1.他人の言葉「本」に頼らず、自分の頭で考えること 2.自分の頭で考えたことを、自分の言葉で表すこと 3.「本」にある他人の言葉を、鵜呑みにしないこと 4.「本」にある他人の言葉を、自分なりに解釈すること 5.「本」にある他人の言葉を、うまく利用すること 6.「本」にある他人の言葉を、応用できる道を模索すること 以上ご参考までに。
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- Antithese
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論語読みの論語知らずという言葉があります。 どんなに高尚で難しい書物を読んだところで、それが身につかなければ何の意味もありません。 読書をすることが学問ではなく、読書をすることによって自らを高める精神の働きこそが学問の本来の目的であるという意味だと思われます。
お礼
大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
- Quattro99
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本を読むと、「なるほどー!」と思ったり「違うんじゃないの?」と思ったりいろいろな考えが頭に浮かびます。また、本を読んで得た知識があることで、何かを見たときに新たなひらめきが起きるかも知れません。 学問の本質は、読書という作業をすることではなく、頭の中でどういう変化が起きるかということにこそあるということなんじゃないでしょうか。知識がないと何も思い浮かばないかも知れませんから知識を得るための読書は大切です。しかし、もっと大切なのは得た知識を新しい発見のために生かすことだ言いたいのではないかと思います。
お礼
知識を得ることは大切だが、その知識をどう使うかの法が大だ! と言うことですね! 大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
>学問の本趣意は、読書に非ず、精神の働きに在り。 福沢諭吉の書物は読んだことがありませんから、お教えするというよりはご一緒に考えて見ます。 学問をするとは、(暇つぶしや趣味という程度の)読書を指すのではありませんよ、そんな読書だったら本当に読むだけで終わってしまうでしょ。 学問をする本当の意味・目的は、本に書いてある事や人から教えて貰ったことを理解・消化して自分のものにしてしまってそれを応用するという風に、受けた刺激をきっかけにして自分の精神活動を活発にさせ(そして実地に役立たせ)る点にあるのですよ。 かなりぶっ飛んだ意訳ですが、大きくは外れていないような・・・。如何でしょうか。
お礼
おぉ! なるほど! 大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。
お礼
要は、人(本)から得たものを自分でうまく使うことが学ぶこと というところですかね。 大変参考になりました。ご回答ありがとうございます。