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自分は精神異常者でしょうか?
自分でもおかしいと思う心理があるのですが どうしていいのか困っています。 自分は小さい頃からイジメにあいました。 親がイジメに対しても無関心でこれまで苦しみました・・ 顔が不細工、学力がない事からさまざまなイジメを受けてきました。 親から半分冗談みたいな名前をつけられいまでも恥をかきます・・ 高校くらいから自分が勉強できないのは親が中卒だから、 親が不細工だから遺伝で自分もこんな不細工になってしまったと・・ 本気で親が憎いです。 高校の面談で成績が悪いと言われ平気で母親が家系がバカと平気でいいました。 半年前に親父が倒れ入院した時も「死んでくれ」と思いました それを聞き自分は携帯番号も変え、家族とも連絡を絶ちました・・ もちろん勤務先、自宅は教えていません・・・ この時に親が死ぬと面倒だから携帯を変え、連絡が取れない状態 にしました。 今でも鏡を見ると親が憎くむかつきます・・・ 最近では弟から親父の病状が思わしくない、合っておいた方がいい。 と何度も連絡が入ります、簡単に言えば死の宣告を受けたらしいのです でもそれを聞いた瞬間ものすごくうれしくなり、自分ににた親父が死んでくれる、ざまーみろと思い、日々弟から親父が死んだと言う報告 を楽しみに待ってしまいます・・・ 昔も同じ家に居ながら他人と思い生活していました・・・ 自分でも異常だと思いますが同じ境遇の方、いますか?
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私の母親が貴方と同じ境遇です。 母親はもうすぐ他界する自分の両親に会いたがりません。もう20年近く会っていません。自分の親私の祖父母には最後に会ったとき、過去は黙って墓場の中に持って行けと言ったらしいです。私はうすうす知っています、母親は祖母(実の親)に人格を踏みにじるよなしつけをされ続けたこと。毎日食べるものがなかったこと。祖父は借金まみれで、借金取りがくると逃げて、借金取りの相手は母親がしてたことなどなど・・・。 母親は祖父母、親類縁者への恨みと葛藤の中で数十年人生を送ってきました。しかし、その母親が私に言ったことは、過去を私の肩に乗せたくない。影響を私に及ばせたくないと必死でダムになり続けました。もうひとつは、母親自身が自分の人生をどう締めくくろう(自殺ではありません)と考えたとき、笑顔で、愛嬌のあるおばあちゃんになりたい。決して恨みと憎悪と苦しみに満ちた般若の面のような顔にはなりたくない。だから、自分は学はないけれど、人一倍本を読むし自分より少しでも教養のある人と付き合おうとして来た。そう言いました。 貴方の学のなさと不細工が親と縁を切ることで忘れられるならそうすべきかもしれません。学や教養は何歳になってもあなた次第で積むことができます。学者の全員がIQが高い天才ではありません。日々の弛まぬ努力研究で学問は築かれていると私は思います。また、学問の雰囲気や環境があって皆学問を積めるのでしょうから、両親と縁を切ることで、両親を忘れることが、別の世界へ一歩前進と言うのであれば反対はしません。母親は常々、親と縁を切ることが人から「現実逃避だといわれても、過去の世界には戻りたくない。」そう言っていました。顔の問題は、確かに顔の作りは親譲りで少々整っていないかもしれませんが、貴方の普段の心持次第で、素敵な笑顔ができたり、可愛い表情が本当に内面から湧き出てくるような人生を送ってもらいたいです。 しかし、最後に、因果法応と言うように、どんな形でも親を否定したものは子供に否定されると言う部分が出てくるのではないでしょうか?私はやはり、最近までいや今も少し母親を否定している部分があります。祖父母は母親に会いたがっていますが、それでも母親は会いません。まるで自分の信念を持っているかのように・・・。 できれば、寛大な気持ちで仏様になって死ぬ間際にはお会いして、慈悲の心を以ってお父さんのことを許されたほうが、貴方のためかもしれません。また、貴方のような不幸を繰り返さないと言う宣言の意味を兼ねて、お父さんにお会いになられたほうが良いかもしれません。 親が死んでうれしいと思う気持ちや、親が憎い気持ちはそれ自体異常ではないし、貴方の境遇を文章から鑑みる限り、正当な感情だと思います。親と連絡を切ったりするのも、親の死に目を見たくないと言うのも別にそれでいいと思います。 私が、貴方の質問内容を見て思ったことは、 1.貴方も将来、人の親になるかもしれない、そのときにそれで良いかを考えてください。だめだと言っているのではありません。冷静に時空の距離を置いて自分を反省してそれで言いと思えば、いいと思います。 2.もうひとつは、あなた自身がもっと前向きに前進していくために、親が要らないのなら、親の存在自体打ち消したほうが前進し、前向きな人生を歩めるのか?もしそうだとすれば、今のままでもいいと思います。
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- kkkkk007
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復讐したいなら、整形して、イケ面になったらどうですか? しかもかわいい彼女を連れて、病室に行く。 あなたの方向性は違うと思う。 あなたと私は、違いますから、どちらかが、異常なんでしょうか? 異常って何でしょうか? ※整形を勧める人は異常でしょうか?過去の話ですか?
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
親を憎むことと精神異常とは何の関係もありません。 実の子供を虐待のあげく殺してしまう親もいますし、幼い実の娘をレイプする親もいます。 理由はなんであれ、親だから憎むのはおかしいという理屈は成立しません。 不細工に生んだといって怒り、学力がないのは親が中卒だから。 冗談みたいな名前を付けられ、そのほかにも色々あるのだろうと思います。 恨みは自然と湧いてくるものですから大いに恨むのが良いでしょう。 血がつながっていればこそ親の欠点は自分の短所を彷彿とさせるようで、近親憎悪が根深いのはそのためでもあります。 家を出たのは正解で、あなたは自分の問題を自分で解決しようとする勇気があったということになります。 ただ、親が不細工だったのは親自身のせいではありませんし、中卒ということと頭の良し悪しは関係ありません。 お父さんとお母さんが結ばれた時と、あなたが誕生した時のお二人の感情をちょっと想像していただきたいのですが、どうでしょう。 人との関わりがへたな人は多いものですが、そういう人たちは自分の本質的な気持ちを表現することが苦手なものです。 自らの周囲に無用の壁と誤解の山を築き上げることがよくあります。 それはそれで彼らの不幸でもあるでしょう。 根本的にあなたは憎まれて、あるいは疎まれていたと感じるのでしょうか。 ただ、そう思い込んでいるだけということはないでしょうか。 くだらぬ世の中で顔と学歴がある意味では不利な条件となることもあるでしょうが、それほど決定的な問題ではないはずです。 あなたは非常に表層的なことに捉われていると言って良いのではないでしょうか。 誠実と愛という本質に目を向けるべきでしょう。 あなた自身の変革が必要な時だという気がします。 他者との比較において自己の生き方を選択するような相対的姿勢を変えて、絶対的な自己の確立を目指して欲しいと感じます。 「親の子」として一生を終えるか、紛れもない自分という生を生きるのか。 選択肢はふたつあります。 もし後者を選択するのであれば、自分を庇護すべき親としてではなく、それなりに精一杯生きてきた人間としての視点で彼らを見つめ直すことがその第一歩になると思われます。 この場合、「精一杯」に何らかの条件を付けようとすることは無意味です。 人間はできることよりできないものだからです。
親への思いというのは、必ずしも感謝ばかりではありません。 判る部分もあるし、判らない部分もあります。家庭環境が恵まれてこなくて、教育の上で不利益を得ていた、本来かばうはずの親がいじめをかばわなかった、というのが、原体験にあるのではないですか。 かわいそうだと思いますが、私自身も親がいじめをかばわなかった経験があります。校長室に暴力を振るった生徒と被害者である私が呼ばれるほどの事件なのに、母親は学校に怒鳴り込むこともしませんでした。五年生の頃です。 そういう親というのは、一生かばうことはないですね。私のPTAでの立場が、などというし、訴訟になるような事件(病院で看護師に殴られた)があっても、我慢させたりします。 私自身、父親が癌の告知を受けても、ぜんぜん動揺しませんでした。家族の手術も、私が産婦人科で看護師に殴られた病院なので、立会いに行ってません。行っても、医師でないので役に立ちませんが・・。 あなたの恵まれてこなかった、今までを考えると、そんなに異常な感覚ではないと思います。 ただね、勉強ができない、顔が不細工だということは、恥じることでも引け目を感じることでもないですよ。 他人の人権を侵害した時、そのとき、自分は恥じる人間になるんです。 できたら、自分だけは、ささやかながら暖かい、家族の優しさのある家庭を築いていかれたら、どうですか。 あなたが、いじめを親がかばわなかったと、義憤を感じる熱い気持ちがある、正しいあなたなら。
- shift-2007
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他人を憎むという意味ではごまんといますね。 ただ、その対象が親であるということで自分は異常ではないだろうかと思うわけですね。そして憎みきれないがゆえに困ってしまうんじゃないでしょうか。 自分の今の状況の原因が、親にあったとして、そしてその親が死んだとしても何も状況は変わらないのではないでしょうか。もちろん気が晴れることはあるでしょうが。まったく現状維持で変化しません。 重要なのは自分であってたとえ親であろうと他者ではないと思います。変わらなければいけないのは他者や環境ではなく自分じゃないでしょうか。ある意味、親にこだわり続ける限り親離れできないと思いませんか。親にこだわるということは過去の嫌な記憶や経験にこだわるということになります。 こだわるということは変化することを拒むということです。別の言い方をすれば、憎むことで自分を慰めているという心理じゃないでしょうか。