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「あの世」という信念
カテゴリーが適当かどうか分かりませんが。 「あの世が実在する」という信念はどのようなプロセスで形成されるのでしょうか?
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「実在」、「信念」、そして「形成」という言葉に親近さと違和感を交えながら、敢て承認と受け入れをして自分を振り返るという経験主義でのお話。 自分がいるということの不思議さ(小1ころから)。中学で漱石の心か何かに、主人公がまじまじと手足などを眺める描写を読み、類似性を感ずる。⇒ 何処から来たのかの感覚、不思議感⇒周りや世界をみての不思議さ感と展開し⇒全ての成りたちを説明するヒンドゥの思想の解説書の読書。いじめられっ子だった自分が、遠くの世界からきているのだという言い聞かせ(かぐや姫的な思い)・・・というわけでしょうか。だから生前の世界であり、死後の世界である。これが同じあの世という思い。なぜこの世にきたのかは、あの世での原因による。ということ。言葉で言うとそんなことでしょう。でもこのことで言い尽くせないのが、内心の内容の特徴ですね。
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- noname002
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No.6です。 何故か当方が退会したことを気にされているので一言だけ。 「長居は無用」 ということですよ。(笑) もし何か本御質問のことで御尋ねのことがございましたら今のうちです(笑)
補足
わたしもそろそろ退会しようっと(笑。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
いいたいことを:≪信念≫ということばを、≪信じたい≫、≪信じよう≫、≪信じなければ≫、≪信ずることによって、・・・するのだ≫、という気持ちに置き換えてよければ、それは仮想の敵、日常の敵を作るか、持つか、決めるか、対決させられるかによりそうなるのではないですか? だから「本当にそうだというのとは必ずしもいう思い卯や確信」でなないのではないですか?だからそれは自分が何か優れようとか、優位にたって、・・とか、そうやって何かの自分の益に役立てようとかしているのではないですか?結束には敵愾心とか、敵対者を見せ付けることが手っ取り早いですね?自信のない統治者や、問題を抱える統治者が使う手ですが、個人の心理も同じではないですか。そうやって邁進して、自分自身や世間の評価につなげるとか、自分を騙すとか。只、自分の何処で覚知、知覚、認識しているかは信念ということばは不要ですね。何処で覚知しているかによっては、通常では思いもしない力と世界、そして能力が経験されるでしょうが。そういう次元やレヴェルの認識を信念というなら、それはそれぞれの世界や教えの修行でしょう。そのプロセスは、このご質問の領域をでることになります。このご質問の領域内では答えはありえません。修行と実践の世界です。ただ理知と科学知識という外からのアプローチくらい、≪(倉田百三の愛と認識ではないが)むなしい哲学者はカブトムシのようだ≫ではないが、労多くして虚しいものはない。ことばは過ぎるが、どの精進の世界からも無意味な外野の亜流としか見えない。失礼ながらご質問者の目的と動機はどこにあられるのでしょう。やはり自己分析の上、何のために、どこで回答を得なければならないかをお知りになって、いろいろな精進の世界を外科医の探り針などでは侵入しない方が慎みとも考えられます。
補足
ほんとにそうですね。 たいへん参考になりました。
他のかたへの補足から切り取って失礼かとは思いますが御容赦ください。 >年配者の方々は本当に信心が深いですね。 >後年になってからそういった信念を持つに到った方々というのはより狂信的なんですね。 ひとつには俗に言う「棺桶に片足突っ込んでいる」トシだからかもしれませんね(笑) または、その歳になるまでに、いろいろ何かとリクツや科学では割り切れないと思えるような体験や経験談に接したストックゆえとか。もちろん一般には科学の専門知識等に疎い人が多いでしょうから。 >しかしそういった精神現象もある複雑な操作によって作り出せるものであるということも又事実なのです。つまり研究調査すればするほどわたしの願望とは逆の方向へ行ってしまったのです。不合理ゆえに我信ず、この言葉に大きく揺すぶられますね。 と仰いますと、御質問者様御自身は「あの世が実在する」という信念を御持ち或いは「不合理ゆえに我信ず」というような御心境でいらっしゃるわけなのでしょうか。もし、そうでいらっしゃるなら、これは科学知識等から遠い人が信念を持つよりも、なおいっそう不思議なように思えます。 私自身は基本的に科学的判断を重視しますが、これまでの体験から、少なくとも現時点の科学的見解だけでは断定できないことがあることを実感しているものです。 実相は「信念」というより、むしろ「依存」としたほうが的確であるなら尚更、心理学とか精神分析のほうの問題かもしれないですね。
補足
補足に書き込もうと思ったら既に退会されていらっしゃるのですね。 何故なんでしょう?
私は、江原さんのファンです。 そして、ご存知ではないかもしれませんが、福島大学の飯田史彦先生も応援しています。 この前初めて江原さんの公演に参加しました。 それまでも、死後の世界はある、霊は存在するという確信度はかなり高かったですが、江原さんの公演に参加して、死後の世界の存在の確信度が 70%⇒99% まで高まりました。今までの人生であり得ない事を、同じ会場で、この目で見て、この耳で聞いたからです。絶対に仕組むことは出来ません。そのようにして公開カウンセリングが行われるのです。 そして、江原さんは素晴らしい方です。 以上です。信じるも信じないも、また何パーセント揺らぐか分かりませんが、それは質問者様のご自由です。無理に信じる必要もないし、いろいろ思考されるのもご自由ですが、それとは無関係に、私はもうすでに死後の世界、霊の存在を確信しており、人生を豊かに生きるヒントとして、霊界の存在、また江原さんの書籍やDVD、また飯田先生の本を活用していきたいと思っています。 ただし、勿論理性は大事です。強度の精神世界も、私は嫌いです。ありがとうと何万回言っても、それ自体では運も良くなるはずがないと思っています。 理性的にご判断下さい。
補足
昔のことですが実はわたし、ある著名な修験道の方や某医科大学の研究者の方たちとこの手の研究をしていたことがあります。著名な霊能者の方々も存じております。霊障に苦しまれて得度されたかたがたのお話も直にお伺いし検証させていただきました。またある山奥で、修行もいたしましたし、特殊な霊体験もいたしました。しかしそういった精神現象もある複雑な操作によって作り出せるものであるということも又事実なのです。つまり研究調査すればするほどわたしの願望とは逆の方向へ行ってしまったのです。不合理ゆえに我信ず、この言葉に大きく揺すぶられますね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
ここのサイトもたいへん有益ですが、ちょいとききたいの以下にも同じようなご質問がり、皆さんのご回答もあるので、ご参考にされたらいかがでしょうか。http://kikitai.teacup.com/qa3030828.html
補足
あれっ、その御質問下の方で見かけたような。 錯覚かな。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
プラトンは不滅の魂を信じていたんですね。 生と死は相矛盾する性質があるので、生は絶対に死を受け入れず、死は絶対に生を受け入れない。 とすると、生が内在形相として内在する魂もまた絶対に死を受け入れない。 従って、魂が死に近づけば、生は立ち去るか消滅するかでなければならない。 しかし、魂は消滅することはありえない。 何故なら、魂は生の原理であり、それ自体が不死だから 従って魂は詩が訪れると不死なるものとして立ち去るだけ。 とプラトンは考えた。 消滅と立ち去る は違う。 どこに立ち去るのかというと、魂の故郷であるイデアに帰る。 と考えた。 プラトンは、もしイデアが存在しないとすれば、感覚世界はどのような状態になっただろうと考えた。 イデアが存在するから、感覚世界が存在しえると思ったわけです。 死とは魂と肉体の分離であり、肉体は土に戻るが、魂はイデアの世界に戻ると考えたわけです。 そこから、世俗的なものははかないものであるとし、この世の物質的豊かさや権力を幻にすぎないとした。 プラトンのあの世とは、こういう概念だったようです。 プラトンは生と死は相反するもので別だととらえた。 生の後に死が来ると思った。 ハイデッカーは別ではなく生は死を内在していると言った。生と死をプラトンのように分離していないわけですね。 外にあるのではなく内に既にあり、時間と空間により、内在している死が、広がっていくと考えたと私は理解しています。
お礼
kigurumiさん、次回もよろしく!!!!
補足
わたしの場合は信念には到らないので、それでちょっと質問させていただきました。 心のプロセスは本人しかわからないと思うので、その意味では一般性に欠ける質問内容でカテゴリー違いかもしれませんが。
- Roman0
- ベストアンサー率18% (118/628)
今現在地球上で残っている「あの世」のコンセプトは、仏教とイスラム教・キリスト教が過半で、日本においては神道における黄泉の国が善戦しているという状況ですね。 ネイティブ・アメリカンのトーテム信仰や、レヴィ・ストロースが研究したポリネシア等の先祖崇拝などもあるにはありますが、量的には微々たる物なので、除外しましょう。 仏教は、実は前提としてバラモン教の「あの世」観を置いています。生き物は全て輪廻転生し、永劫の苦を抱くという世界観で、ここの輪廻の輪から離脱して心の平安を求めた状態が、涅槃です。悟りを開くことでこの涅槃の境地に入れるということに、仏教ではなっています。 で、このバラモン教の輪廻転生の死生観は、今は名前すら伝わっていないバラモン教の始祖やそのブレーングループの思い付きによるものなんですよね。 因果応報というコンセプトからして、「俺はこんな苦労してるのに、あの族長(とか王様とか)はなんであんなのうのうとして贅沢してやがるんだ、チクショー!」という素朴な嫉妬が出発点だと思われますが、それが輪廻転生という壮大な構想まで持ち上がっていったプロセスは、もう今となっては分かりません。 イスラム教については、クルアーン(コーラン)に明確に「緑園」として描かれています。蜜と乳の川が流れ、音楽が流れ、何人もの処女の妻がいて、etc. と。女性の人権は? と突っ込みたくなりますね。これは、ムハンマドがそう語ったから、クルアーンとして記録されているわけで、ムハンマドが自分で自分の思想を「真説・アッラー」などという本を書いた訳ではないので、これも実は分かりません。想像するしかないですね。 ただ、内容から見てムハンマドが処女好きだったことだけは分かります。あまり、そっちの方に自信が無かったのでしょう。処女好きの男は、たいがいそうですから。 キリスト教については、布教のための都合であることは、歴史的に結構明白です。 聖書にはカケラも記述が無い煉獄という概念があり、これはケルト人をキリスト教に改修させるためのいわば方便でした。ケルト人はキリスト教が布教されるまえは、日本の神道のような先祖崇拝を伝統としていました。で、キリスト教に改宗したら、神に救われると言われるわけです。そこで、先祖崇拝の社会に生きた人たちが感じるアタリマエの疑問。「では、キリスト教の神を知らなかった先祖たちはどうなるのだ?」 これに対し、「キリスト教を知らなかった立派な人間は、煉獄という 所をさまよっている。そこから地獄に行くかもしれない。だが、子孫がキリスト教徒になれば、一緒に天国に行ける」と、ローマ法王は正式に回答したわけです。聖書にはそんなこと、一言も書いていませんよ。が、ローマ法王の解釈をもって正統とするのがカソリックですから、カソリックであれば誰もそれには逆らえません。 で、煉獄が確定しました。所詮、そんなもんです。 結局、死んだ後にどうなるかは確認のしようが無いので、組織だってプロパガンダを流し、確定させたものが生き残っているというプロセスですね。 それを、Given なものとして子供の頃から教わったら、「そういうものだ」として心の中に居座ります。特定の宗教の中で生育したら、形成されるというよりも、物心付いたらそこにある常識という代物ですね。
補足
>それを、Given なものとして子供の頃から教わったら、「そういうものだ」として心の中に居座ります。特定の宗教の中で生育したら、形成されるというよりも、物心付いたらそこにある常識という代物ですね。 本当にそうですね。 ただ後年になってからそういった信念を持つに到った方々というのはより狂信的なんですね。 わたしもそういった方々のお話をお伺いするたびに気が〇っているのではないかとさえ思えるほどです。 それ程の強固な信念というのいかにして生まれるのでしょうか。
- ANASTASIAK
- ベストアンサー率19% (658/3306)
死んだ人がどこにいるのかという追慕の念が、その世界を 作り上げたのと、 因果応報としてのネクストステップとしての世界を作り出し て、現世での倫理観を高めようとしたことが、その形成原因。
補足
>因果応報としてのネクストステップとしての世界を作り出し て、現世での倫理観を高めようとしたことが、その形成原因。 確かにそのとおりだと思います。 先祖供養を重要視する宗教団体は結構多いですが、ただあまり若い人は見かけないような気がします。 しかし年配者の方々は本当に信心が深いですね。
補足
誠にそうですね。 たいへん参考になりました。