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ポーツマス条約とワシントン体制
9カ国条約で中国の門戸解放が確約され、日本も山東省利権を放棄しますが、なぜポーツマス条約で獲得した関東州の租借地の利権はそのまま維持することが出来たのでしょうか?
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- tanuki4u
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回答No.1
第一次世界大戦中における東アジアに関する日米関係の調整 石井・ランシング協定:1917年 上記を日米間でなく、主要列強間、中国も含んで調整し直したのが九カ国条約 1922年 となります。 基本的には、第一次世界大戦で生じた中国におけるパワーバランスの調整ですので、1905年のポーツマス条約は視野に入っていません。 あるいは、第一次世界大戦の勝ち組が、負けたドイツの利権をどうしようか?というので集まったのがワシントン会議ですので、ドイツ利権の処理以上の話し合いをするわけがないし、そうでなかったら、利権を持っていた、九カ国の内の中国とアメリカの二カ国を抜いた残りの七カ国が会議に参加するわけがないです。