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三角縁神獣鏡
古代の関係の文章を読んでいて、 三角縁神獣鏡が中国の魏で作られた銅鏡であるとすれば、 これが、卑弥呼のもらった銅鏡百枚である可能性が高い。 という内容のものに出会いました。 この意味が分かるかたいらっしゃいますか。
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しっかり読んでないのですが・・・ 卑弥呼が「親魏倭王」であることは中国古代の文献(魏書倭国伝?)にかかれてあり、朝貢の際に親魏倭王と彫られた金印と銅鏡百枚をもらったことが記載されてあり事実でしょう。そして三角縁神獣鏡がその卑弥呼の鏡と言われているわけです。ところが倭においても色々似せて銅鏡が作られていました。「方製鏡」と言います。で記述ですが果たして三角縁神獣鏡が魏でつくられたものであるか倭国で作られたものであるかが問題になるわけです。三角縁神獣鏡には年号が書かれてあるのです。「景初四年」のものがあるわけです。ところが史実として「景初」年号は三年までしかないのです。ここで確かなことがぐらつくのです。歴史家は倭国に来た中国の工人が中国の年号が続いているとして倭で作ったとして卑弥呼の鏡ではないと主張しているわけです。歴史の先生ならもっとかけるのですが・・魏からもらった「金印」が出土したなら邪馬台国論争に決着がつきます。しかし和国を表すのにヒドイ漢字ばかりですね。
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- ekubo
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三角縁神獣鏡の中に (島根県神原神社古墳出土の三角縁神獣鏡など) 「景初三年」の文字が刻まれたものがあることが 大きな理由だと思います。 景初三年は、西暦239年にあたり、 魏卑弥呼が魏に使者を派遣し、 銅鏡100枚を下賜されたとされる年です。
お礼
お返事ありがとうございました。 参考になりました。
- carwing
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魏志に卑弥呼が魏に使いを送って、銅鏡などを下賜されたという記述があります。 国内で発見された三角縁神獣鏡がそれである可能性がある、という文章です。
お礼
お返事ありがとうございます!
- imp-dsc
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その鏡が魏で作られたものならばそれが埋葬してある古墳発見されたらが卑弥呼の墓である可能性が非常に高いらしいです。 とは言え鏡がきっちり百枚かと言うとそうとは限らないとか八百万の神々とか江戸の町は八百八町。はたまた百姓(今では英語で言うファーマーの意味ですがかつては百の姓・・苗字転じてはピープルという意味が本来です)等と表現するように百とは文字通りの整数の100と沢山の・・・と言う意味があり議論は分かれています。
お礼
遅くなって申し訳ないです。 お返事ありがとうございます。
お礼
お返事ありがとうございます。 この時代はあまり興味がわかない分難しいです。 参考にさせていただきます。