恐怖はどこにあるのかというと、自分の恐怖の対象にはありません。
もし、恐怖の対象に恐怖が存在するならば別の人も同じ恐怖を
感じなければならなくなります。
同じモノを見ているのに恐怖を感じる人と恐怖を感じない人がいるのだから
恐怖に対象に恐怖が存在することは説明がつきません。
恐怖は自分の頭の中で作り出しているならば、同じモノを見ているのに
恐怖を感じる人と恐怖を感じない人がいることの説明ができるように
なります。
恐怖心を作るか作らないかは自分の判断でしているだけだと思います。
もちろん恐怖を何も感じないという人はいないと思います。
これからどうなるかわからないときは恐怖を感じます。
それは正常なことだと思います。
恐怖について考えるようになると次から次へと恐怖が膨らみます。
なぜなら、頭に中でわからないことに対して何か説明をしようとしても
またわからないことを作り出すだけだから余計に恐怖を感じるように
しているだけなのです。
恐怖に対して別の恐怖を持ち出してくれば、新い恐怖について
考えるようにり、以前の恐怖について考えなくなることにより
以前の恐怖は興味の対象から外れていくことになります。
恐怖について考える習慣のある人は一度恐怖にとらわれるとそれについて
また考え始めてしまうでしょう。
恐怖から逃れるようにするには、恐怖について考えることを
やめることです。
恐怖について考えることをやめるだけで恐怖から逃れられるのに
習慣にしているだけでやめることが出来ないでいるのです。
恐怖について考えているから恐怖を感じるのだと常に言い聞かせることで
不要なことを考えないようになれば、恐怖をコントロールできるように
なると思います。
お礼
深い洞察を拝聴いたしました。ありがとうございました。