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江戸時代に男装の麗人は実際にいたのか?
時代小説を読んでいたら、武家の娘が男装をして外出する場面が出てきました。 『小紋の袷に小倉袴、二刀を帯びた姿は若侍だが・・・』というような具合です。 池波正太郎の小説にもこんなのがあったような気がします。 今の時代でも、国会にピンク色の背広とズボンをはいた、麗人とは云い難い女性議員がいらっしゃいますが、江戸時代に男装する女性は実際にいたのでしょうか? 敗戦時、敵兵から凌辱されるのを防ぐために男装するということは、何時の時代にもあったと思います。 江戸時代の平時にあったんでしょうか? (この質問は、小説の時代考証について、どうこう批判するものではありません、単に実際にいたのだろうかという質問です) よろしくお願いします。
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おんな歌舞伎は、いろいろと問題があり、禁止令が出てから、「若衆歌舞伎」になりましたが、一定時期、お芝居の上での男装の麗人は、いました。 白拍子の衣装も男装です。 江戸時代ではありませんが、日本で、ただひとつの女性用の甲冑も保存されています。 遊郭の女あるじの中には、なめられてはいけないということでしょうか、女性らしい身なりでは、なかったということです。 女を売る商売の中で、売り物と自分を分けて考えていたということでしょうか。
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- fujic-1990
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回答ナンバー4のfujic-1990です。 思い出しました。私が言っていたのは「べっしきめ(別式女?)」という名称でした。 広辞苑を引いたのですが、出ていませんでしたけど・・・ (^^;
お礼
ご回答ありがとうございます。『別式女』ありました。 男子禁制の所の警護役のようですね。腕も立つんでしょうな。 ありがとうございました。 http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/kenzyutu/onnabugeisya.htm
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
麗人といえるかどうかはわかりませんが、武士のカッコウをして武芸にはげんだ女(役職)はあったそうですよ。 いわゆる「女武者」ね。名前が、思い出せませんが、薩摩あたりだったと思います。
2です。 江戸時代では、無かったので、詳しい回答を遠慮しましたが、「大三島の鶴姫」の鎧は、現存する模様です。 今しがた、子どもに頼んで、図書館の本を返してしまったのですが、「歴史と旅・別冊・廓特集」に、数は、多くないものの、遊郭に女あるじがいて、男っぽい格好をしている表記が数行ありました。
お礼
再びのご回答ありがとうございます。 鶴姫の鎧、見させていただきました。たしかにウェストの辺が締まっているように見えました。意外と簡素な感じがしました。まあ、都に近い大軍の将というわけではないでしょうから、きらびやかなものでないということもうなづけます。 『廓特集』なんてあったんですね。 最近の図書館は本を貸してくれるので助かります。私も毎週数冊借りています。 また教えてください。ありがとうございました。
- takuranke
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特殊な例かも知れませんが 原采蘋(はら さいひん) 寛政10年(1798年) - 安政6年10月1日(1859年10月26日) 江戸時代後期の女流詩人で 男装の女詩人として有名だったそうです。 当時、女性が単身で旅行することは制度上も安全上も困難だったため、男装・帯刀して行動したとのことです。 http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo39.htm
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 なるほど、女の単身旅行はあぶないですからね。 大変参考になりました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 女性用甲冑!男物と形が違うんでしょうか。 遊郭の女主人は女らしい身なりではなかった、・・・フウム、女あるじは、齢もいってるし、売り物でないことは見ればわかる? そうすると、遊郭を束ねていくため、身も心も男になり切って・・・ということでしょうかねえ。 大変参考になりました。