- ベストアンサー
教育効果を上げるために
教育には素人のものです。 学校教育の印象として、どうも学習するという動機付けを十分与えられなかった気がします。なにか「したほうがいいからする」というような、あいまいな感覚でした。もちろん、勉強し続ければ、よりいい学校に受かるだろうとかいうことはありますが、大変遠大で長期にわたるもので、「今日、今」勉強しなければならないという感覚にはどうもなれません。また期末中間試験などを、どうしてもいい点を取るという動機付けに関してもまた、あいまいなものです。 そこで、オペラント条件付けのような、報酬によって学習動機を強化するという試みがもっとなされてもよろしいのではないかと感じます。「今」一定時間勉強し効果を上げれば、報酬がある。その繰り返しが、長期的に大きな成果を上げないでしょうか。 報酬としては、一般的なものでよいでしょう(食料、金銭、色気?) いかがなものでしょうか。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>学校教育の印象として、どうも学習するという動機付けを十分与えられなかった気がします。 鋭い御指摘ですね。 即物的な報酬で動機付けするのは、 「何かもらえないとやらない」 「やっているように見せかけることに熱心になる」 「結果ばかりにこだわってかえって実力がつかない」 などの諸症状を招くだけですので、賛成しかねます。 (1)わからなかったことがわかる喜び・できなかったことができる喜び (2)苦労して身につけた知識・技術が実際に役に立つ実感 (3)学ぶ内容自体が知的好奇心を満足させる (4)学びを通じて仲間が増えたり、友情が深まる これらが、学習の動機付けとしては、王道であると思うのですが、現状では、それを困難にさせている様々な問題があると思います。 それらは、複雑で深刻な問題であるので、個人的な教員の努力だけではなかなか乗り越えるのが難しいということは確かです。 その上に、基本的な動機付けの方法が充分理解できていなかったり、初歩的な対抗手段をあまり身につけていない教員も少なくないので、質問者の方にも御心配をおかけしているわけです。
その他の回答 (2)
- yunyun2007
- ベストアンサー率48% (27/56)
学校関係者です。 報酬はうまくいかないことがわかっています。 実際の現場でも、「順位が○○位以上ならお小遣い1万円」「携帯電話買ってあげる」等を家族から言われた、という話がでます。断言しますが、そういわれた子供のモチベーションが上がるのは一時だけです。 比較的成功しているのは、担当教諭との人間関係の良いケースでしょう。その教科自体の面白さ、楽しさを伝えられるだけの時間的な余裕が今の学校現場にはありません。教科数が多すぎるのです。 しかし、同時に教授法に工夫を凝らし始めてもいます。 努力している教員にとって、10年前と今の教育現場は全く別物です。英語の教授方法が一番変わったように思います。 蛇足ですが、アメリカなどでは今の日本の教授方法を研究する会がとても盛んです。日本で思っている教育危機は実は「10年前の教授法」に対するもののようにすら思えます。 もちろん、人間関係を重視するようにもなっています。 お答えになったでしょうか。
お礼
やはり、恒常的な効果はあるはずないですね。それは実感できます。 そして、勉学の喜びを教える事もままならない、自己啓発しかない、そういう状況も分かります。 今の教育がどういうものかさっぱり分かりません。しかし、英語教育の雰囲気を想像しますと、コミュニケーション重視みたいな姿勢になったのはいいとしても、それが苦痛に思う子もなかに入るのではないかという考えがあるかということですね。たとえば、耳がよくないとかハンデがある。そいいうことを考慮しないで強引にやってしまう。または、英語だけが外国語という認識でいいのか、古文は好き中国語は好きでも英語嫌いな子もいるでしょう。そういうところまでの考慮が欲しいです。
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
普通、エサで釣ってやらせると、勉強しなくなると言われてますよね。 >長期的に大きな成果を上げないでしょうか。 無理じゃないかなぁ。食いモノは幾らでも手に入るご時勢だし、金もバイトで手に入る。バイト以上の金を親が払えるとも思えないから、金に釣られる人ならバイトに没頭しますよね。色気も同じ。 いずれも、身を持ち崩すパターンですよね。 高度な学習には自由が必要ですが、自由が増して行ったときに、悪いほうにしか行かない気がしますね。 人間の根源的な動機は「人とのつながり」らしいですよ。 少なくてもわたしは、仲間が待っている、期待していると思うときのみ踏ん張れますね。何かを始めるときは、また、別の動機ですが。
お礼
勉強する楽しさ充実感というものが唯一、勉学の動機ですかね。 その充実感には「人間のつながり」が感じられること。難しいですね。
お礼
売血とか臓器売買の問題にもつながるかもしれませんね。 善意的なものと金銭報酬的なもの。あきらかに勉学というのは自己啓発でなければならないでしょうね。ただ、それがうまくいかないとき、なんらかの呼び水的なものとして、報酬もありかなと思うのです。 1から4の原則は、まったくその通りだと思います。本来の姿勢を失ってはならないでしょう。