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夕焼けが大きいのは?
地平線上にある太陽、つまり夕焼けや朝焼けは大きく見えますよね。 地平線上に見える月も同様に(赤い月が大きく見えるので印象的です)。 単純に考えれば、大きく見えるのは「近くなったから」「間にレンズを挟んだから」などの理由が考えられますが、 まず前者の方は、[地球の直径]<<[地球-太陽間距離]から、地球が回転したところで、太陽までの距離の変化はごくわずかで、太陽の見える大きさが変わるほどでは無いことは分かります(厳密に言っても、地平線上にあるときは、むしろ遠くなりますよね)。 となる後者の方なのでしょうか?大気がレンズになる? それとも赤という長波長が原因なのでしょうか? 実は以前に、これについて載っている本を読んだ記憶があり、 そこには人間の心理・錯覚的なものだ、と書いてあった気もします。 人の心理では、天上にあるものは近く、地平線上にあるものは遠いと判断する。 そしてさらにそこに、近いものは大きく、遠いものは小さく見えるという遠近感が加わってくる。 しかし、実際の距離は太陽までの距離は変わっておらず、本来見えるはずの大きさも変わりないはず、、 これを組み合わせると、、 といろいろ考えてはみたのですが、頭がこんがらがってしまいました(^^; もしかしたら、心理学や生物学の話題かもしれませんが、はっきりしなかったのでここに投稿してみました。すみません。
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現在メジャーな説とされるのは質問文にもあるような、以下の ものです。 「月や太陽が天頂にあるときは近く、地平線上にあるときは遠くに感じる。 同じ視角で見えるものは遠い方が大きいと感じるので、月や太陽が地平線 上にあるときに大きく見える」 これは参考URLを見て頂くと実感できるのではないかと思います。 背景に遠近の手がかりがある場合、同じ大きさで描かれた人物は遠い ほうが身長が高く見えます。 地平線近くにあるものが遠く感じるのは、他の回答にもありましたように、 人間は天空を扁平なものと認識している(TVが横長であることとも関係 するかも)からとか、地上にある風景が奥行きを強調するからとかいうのが 一般的であると思います。 しかし、メジャーな説とはいいましたが、定説にまでなっているわけでは ありません。「天頂の月は遠く小さく、地平の月は近く大きく見えるんじゃ ないの?」「地平の月は視角自体が大きくなっているように見えるが?」 などといった疑問にうまく答えられないからです。 他の説としては、oculomotor micropsia を原因とする説などがあります。 適訳は知らないのですが、「目のピント調節にともなって小さく見える 現象」とでもいうものです。 oculomotor micropsia は次のようにして体験することができます。 まず、2~3メートル離れた目立つ物を見つめます。大きさは十数センチ から数十センチのものがいいでしょう。次に、目のすぐ前に指をかざして (最初の物は隠れないように)こちらにピントを合わせるようにします。 指は近ければ近いほどよく、実際にシャープにピントが合わなくても構い ません。この時最初の物がどう見えているか注意を向けてみてください。 ピントはあくまで指に、あるいは目のすぐ近くに置いたままです。物が 2重になって分かりにくければ片目は手で塞いでください。最初の物が 「遠く小さく」見えませんか? 物の視角自体が小さくなっているように 感じるはずです。これが oculomotor micropsia です。 網膜上の像の大きさは、水晶体の厚みを変えることによってほとんど変わら ないことが分かっているので、これは錯視の一種です。ほとんどこの錯視を 感じられない人も、少数ながらいるようです。 これを用いると月や太陽の現象を以下のように説明できます。 月や太陽が地平にある時は、風景が遠近感を与えてくれるので眼の焦点が 無限遠に合わせられますが、天頂にある時は遠近の手がかりが少ないので 無限遠より手前にピントを合わせてしまいます。手前になってしまうのは、 眼のピント調節機能のニュートラルな(何も努力をしないときの)位置が 眼から1~2メートルの場所なので、そちらに向かってずれるからです。 適正なピントより手前になっているため oculomotor micropsia が起り、 天頂の月は地平のときに比べ「遠く小さく」見えます。また視角自体も 小さくなったように見えます。
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- hagiwara_m
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No.10に少し補筆いたします。 最後の方で、「地平近くの(ほぼ?)皆既月食」という話をしましたが、月食であることに深い意味があるわけはなく、単に夕暮れの光が少し残ってときに見える満月の話がしたかっただけです。(また、皆既月食ではなく、満月の部分食だったように思います) また、ShaneOMacさんが述べられている天球が偏平に感じられるという話は、明るい時ならば、私の言っている遠近法的錯覚の結果を天球という言葉で表現したものと考えることもできます。しかし、景色の見えない夜中にも同様の効果があるとすれば、別問題と考えなければならないですね。私の経験では、夜中に見る月は、地平近くでも上空でもそれほど変わらない様に思えますが、いかがでしょう。
- hagiwara_m
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No.6でお答えしたhagiwara_mです。 > 答えのヒントが仰角にあるのではないか、と受け取ってよろしいのでしょうか? 言いたかったのは、仰角が高いと遠近感覚を持つための基準の光景が視角に入らなくなるということです。仰角は、こういう意味での間接的なファクターとしてだけ効いていると思います。 というわけですので、 「仰向けになって見てみる」場合でも状況は変わらないはずです。 > 陸にある飛行機と、頭上を飛んでいる飛行機を見比べてみるとか、、、 上の飛行機の話には重要なヒントがあります。地上の飛行機が、非常に遠方の、遠近法の消失点付近にあるとすれれば、それは小さ過ぎて見えないということになるはずです。なのに、太陽は消失点付近の物体よりも向こう側にあって、かつ有限の広がりをもって見える、-これが大きく映る錯覚の原因だと思います。 asterさんが述べられている、月ではその効果が小さい(確かにそのように思える)というのも重要な問題だと思います。単純な遠近法効果では説明できないように感じますが、夜空の月を見るときは遠近を感じさせる景色が良く見えないので、自然な結果です。私の経験ですが、昔、地平近くの(ほぼ?)皆既月食を見たときにはずいぶん大きく感じた覚えがあります。 また、これも私の覚えですが、夕日が特に大きく見えるのは、見通しの良い開けた町並みの向うに太陽が見えるような場合で、山間部から見た(比較的近くの)山に沈む太陽などは案外大きくないようです。こんなことも、遠近法効果を支持するように思えるのですが、、、いかがでしょうか。
お礼
2度目のご回答ありがとうございました。m(__)m 同じ疑問を持っている方の考えが聞けて、 大変参考になりました。
- ShaneOMac
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星座のように座標で考えやすい物に置き換えるところまでは分かっていただけたかと思います。 球面の図形を平面に伸ばすという処理については、メルカトル図法の地図を思い浮かべると良いでしょう。本来球体である地球表面を敢えて長方形の平面図にした結果、極地近くのグリーンランドが異常に大きくなりますよね? 球体に近いものが心理的効果で扁平化された際にそれと似たような見え方の効果が生じると考えたらどうでしょう?
お礼
幾度のご回答、ありがとうございました m(__)m
- ShaneOMac
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#3もう一度です。 角度の問題だということについて。月は見られるけど太陽は見られないとか出ていますが、この錯視について最も分かりやすいのは星座の比較です。星座を見ることが分かっていれば話が早いでしょう。加えて角度により空間感覚が違うということもよく分かると思います。 太陽や月は一つの円図形の面積になるのでそこに縛られて考えると広いところが見えません。星座は天空に決まった間隔で散りばめられた座標になっているのでとらえやすいと思います。 星座についてもこの錯視は当てはまります。地平付近に出たオリオン座は大きく見えますが、南天の中央あたりまで上がると小さくなってしまいます。もちろん星々の示す点の間隔は同じはずですからこれも錯視です。この件について先の天球を扁平だととらえてしまう空間感覚を思い出してみてください。本来は半球形の座標が押しつぶされている感覚がよく分かると思います。 ではなぜ半球であるべき天球が扁平に見えるかというと、それは地平が扁平に広がっているためにそこにかぶさっているものをそれにならべてとらえてしまうためでしょう。少なくとも人間がとらえられる範囲での地平は平らです。昔の人の世界観に地上を平らだとするものが一般的なことを思い出せば分かりやすいでしょう。そうなると頭の上にある空も天球ではなく扁平な天井に見えるというわけです。
お礼
2度目のご回答ありがとうございます。 星座ですか、なるほど、太陽・月以外にもまだありましたね。 そういえば、地平線近くの星座は大きく見え、しかも天上にある星座よりぐっと近くに来ているように感じる気がします。 大きくなった→近づいた と頭が判断しているんですね。 星座は太陽で考えるより、(天上と地平線上が)一球面で繋がっている感じがして、 この問題を考えるのに良いイメージな気がします。 天動説的に空の一枚紙に模様が描かれているとして、 それが天上から地平線上に回っていったとき、 観測者から離れるので視覚的にはその星座は小さくなるはずです。 しかし実際には星は遥か遠方にあるので、実際の距離はほぼ変わらない、、そこまでは分かりました。 しかし単純に考えれば、地平線上(心理的に遠く)にあるものが天上(心理的に近く)に来れば、 (心理的に近づいてきたと思うので)むしろ大きく見えそうな気がしていたのです。 でも現実は、比較するものがあったり、その他の原因があったりで地平線近くの方が大きく見える。 私の抱えていた矛盾は、心理的距離と視覚的距離にあったのでしょうか。 心理的に天上から地平線上に遠ざかってしまった天体。 現実には変わっていない距離。 これを補うために、視覚的には地平線上のものを近づけることによって、 天上と地平線上の距離を合わせていると考えればよいのでしょうか。 いやしかし不思議なものですね。 #私のイメージが頑固なため、なかなか収束しなくて申し訳ないです。 #ですので、もうそろそろこの質問も締め切ろうかと思っています。
- aster
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昔から、「錯覚」だという説明になっていて、その理由は、地平線近くだと、比較するものがあるので、それとの対比で「大きく見える」のだ、という説明が行われています。 ところで、月で考えてみると、月も、地平線近くにある時の方が、高いところにある場合よりも、大きく見えますが、そんなに差は感じません。ただし、樹木などが、月の表に影で見えていたりして、樹木の形が鮮明に見えると、月は大きいなと感じます。 しかし、高い場所にある月も、その模様などをよく見ていると、相当大きな円盤であるように感じられます。つまり、月では、確かに地平線近くの方が、特に比較になる樹木や山の形などがあると、空の高い場所にある時より、少し大きく感じられるということは言えます。 しかし、太陽について言うと、まず、真昼で、高い空にある太陽を、誰か、その大きさを測れるぐらい、明確に見た人がいるのだろうか、と疑問に思います。何故なら、太陽を見ると、地平線近くの夕陽や朝陽でない限り、眩い光る「点」に見えて、大きさなど確認するような余裕がないように思えるからです。 月なら、ぼんやり明るいので、あるいは皓々と明るい場合でも、はっきり見えるのであり、空の上にあっても、大きさを見積もれますが、太陽は、眩く輝く点のように見えるということです。 下敷きを通すとか、サングラスを通すと、太陽は、「円形」に見え、結構、大きなものに見えます。 月と太陽は、視直径はほぼ同じ大きさです。時に月が大きかったり、小さかったりしますが、ほぼ同じ大きさでなければ、皆既日食や金環食は起こらないのです。 すると、これはどういうことかというと、夕陽や朝陽はよく観察できるので、大きさが判断できるが、天頂などの太陽は、見ることが困難なので、また眩く輝いているので、余計に小さく感じられるのではないかということになります。 もう一つ、地平線近くの太陽は、乾燥した広大な砂漠のなかなどで観測するならともかく、普通は、晴れていても、光る赤みがかった雲を周囲に伴っています。月も、時として、暈というか、輪を周りに持つことがありますが、この時の月は、暈も一緒になって、かなり大きく見えます。 地平線近くの太陽は、その周辺の雲、特に、太陽の周りで輝く雲も一緒に大きさを感じるので、大きく見えるのだということが言えそうです。太陽だけで、周囲に雲のない状態というのは、なかなか見えないはずなのです。 更に、もう一つ、地平線に近づくと、空気層が厚くなり、大気のゆらぎで、太陽の像が、実は揺らいでいると言うことがあります。肉眼で見ると、円に見えても、拡大して見ると、へりというか、太陽円周が、揺らめいているのが観察できます。 地平線に近づくほど、揺らめきは大きくなって行き、揺らめいた分だけ、太陽は実際の視直径も大きくなっていると言えます。拡大して見れば、小さくなっている時もあるのでしょうが、大きい像が、印象に残ります。 脈動しているのではなく、ふちが揺らめいているからです。太陽が、地平線や水平線に半分ぐらい隠れる状態だと、揺らめきはもっと大きくなります。 --------------------------------------- こうすると、第一に、地平線近くだと、比較する対象物があるので、それらとの比較で大きく見えるのだという錯覚がまずあるということになります。 ただ、この「錯覚」は、空の高いところの太陽は、「比較する対象」がないが故に、「よけいに大きく感じられる」という話にもなりえるのです。 地平線近くの太陽が大きく感じられるのは、比較するものが、建物とか、樹木とか、山の形とか平野とか、海の波とか、ともかく、経験的に、その大きさが分かっているものと較べ、それらよりも遠くにあることが分かるので、それらよりも大きく感じられるのではないかと言えます。 第二に、高い空の太陽は眩い輝点に見え、大きさを確かめようもなく、視線を逸らすしかなく、見えるのは、点から放射される眩い光線なので、「点」に感じられるということと、地平線近くでは、大きさを吟味できるに対し、輝いていると、大きさの吟味などできないというのが、別の理由でしょう。 第三に、地平線近くになると、雲などがあり、太陽の周りの雲の輝きなどが、太陽の一部と判断され、それも込みで大きさを感じるので、大きく感じられること。 第四に、地平線近くだと空気のゆらぎがあり、太陽の輪郭が揺らいで、微妙に大きい像に見えるということでしょう。ふちが揺らいでいると、大きくなった部分が、視直径に感じられると思います。 第五に、多分、赤い色が、大きく見えさせているのだと思います。赤は前進色のはずで、背景の空からこちらに付きだして見えるので、膨らみを感じるのだとも言えます。 以上のようなことが重なって、地平線近くの太陽は大きく見えるし、実際、視直径が、屈折やゆらぎで、大きくなっているのだと思います。
お礼
長文のご回答、ありがとうございます。 私が一番気になっていた点である > ただ、この「錯覚」は、空の高いところの太陽は、 > 「比較する対象」がないが故に、 >「よけいに大きく感じられる」という話にもなりえるのです。 に触れていただけたのが非常に嬉しかったです。 やはりお答えにあるように(また、今までのご回答にもあったように)、 原因は決定的な一つではなく、幾つかが比較的同じ割合くらいずつで作られているようですね。 経験や通説的に、比較の有無が一番の原因と思ってしまうのか、それとも事実なのかは分かりませんが、 是非機会があれば実験的に調べてみたいものです。 ありがとうございました。
- hagiwara_m
- ベストアンサー率44% (58/130)
大学で物理など教えている者です。不思議を感じた経験者の一人として書き込みします。 私の体験に照らしても、「いろいろ説明は見かけるけれど、現物を目の当たりにするときの不思議さは一向に解消しない、、、」という現象の代表例です。地平線近くにある太陽は、絶対に、それも半端じゃなく、大きく見えます。この問題を考えるときは、机の上で鉛筆を持って考えるだけでは駄目だと思います。というわけで、以前(というよりその昔と言うべきか)、現物の夕日を見ながら考えたことを参考までにご紹介します。 錯覚の一種であることは間違いないのですが、問題は、なぜ、地平面近くの方が明らかに(小さいではなく)大きい方向に変化して見えるかということです。「比較する対象があるから」というだけでは、この理由が十分理解できないと思います。 我々が地平方向に遠方を見るときには、途中の地表に並ぶ様々な物体の見かけの大きさの変化を通して、いやでも、遠近法的な認識をしています。そういう中で、地平線の向うに見える太陽は、目に入る物の中で一番遠くにあると認識されるわけですから、遠近法的な補正の感覚が働いて、とてつもなく大きく感じられます(実際に太陽はそれほどに大きいわけです)。 ところが一方、上方に見える太陽は、途中に並ぶ物体がありませんから、遠近法的な補正感覚が働きません。大きさを感じる基準は、遠くの物よりはむしろ、視角の上方まで入って来易い、近くの樹の上方の枝とか、上にかざした手のひらとか、自分の体の広がりということにならざるを得ません。だから上方の太陽は、地平線近くの太陽よりもずっとずっと小さく感じられるのだ、、、こんな風に納得して、劣等感に悩む青年hagiwara_mは少しだけ元気を取り戻して家路につきました(脚色有)。 上に書いたことが科学的に十分な意味があるかどうかは自信ありません。
お礼
お返事ありがとうございます。 大学で教鞭を取っている方でもはっきりした答えが分からない問題なのですね、、(^^; まあ分野が違うかもしれませんが。 お答えの内容ですが、答えのヒントが仰角にあるのではないか、と受け取ってよろしいのでしょうか? 確かに気になりますね。。 どうにかこれを身近に実験してみる方法は無いですかね。 仰向けになって見てみるとか?(意味無いかな(^^;; ) 陸にある飛行機と、頭上を飛んでいる飛行機を見比べてみるとか、、、これも見当違いかな、、
- Alicelove
- ベストアンサー率35% (199/558)
○  ̄ ̄ ̄ ̄ ○ ____ ○ ____ どうでしょう? あるモノと比較する(特に水平ライン)が接近している方が そのもの形がはっきりとするような気がしませんか? 目の真下にスカーフなどで覆面をしたり、前髪を目ギリギリにおろすと 目がはっきりと見えることがあります。 そういう錯覚の一つだと思います。
お礼
お返事ありがとうございます。 ディスプレイ上で表現して頂いたのはありがたくすばらしいのですが、 この場合はちょっとイメージ通りには見えませんでした。 左の青い線がどれも等距離のせいでしょうか。
- rimuse
- ベストアンサー率36% (21/58)
>それとも赤という長波長が原因なのでしょうか? これもあると思います。赤は基本的に膨張色といわれており、 同じ大きさの青と赤の円では赤の方が大きく見えますから。 (錯覚ですが)
お礼
ご回答、ありがとうございます。。 波長で屈折やらがどーこーってわけではなく、色自体の性質なんですね(^^; でもきっとこれは、決定的な大きさの差ではなく、わずかな分なんですよね。。? 一応、というくらいで回答を頂いたと思っています(違いますかね?(^^;)。ありがとうございました。
- ShaneOMac
- ベストアンサー率39% (356/898)
心理学の概論書に見られる定番トピックですね。これはいわゆる錯視です。 証明方法は写真で撮影してみることです。写真に撮影し比較してみると両者に大きさの差がないことが分かります。 この錯視の要因は複数あるようですが有力なものは天空を見る角度の問題です。地球を取り巻く大気層を含んだ空の形状は物理的に考えて半球状のはずです。ところが空を見上げてみると分かるように人間の目にはずっと扁平に見えます。つまり天頂付近では地上との距離が近くなり地平方向に遠く伸びている印象です。同じ大きさの見える映像が近くと遠くあった場合、遠くにある方を大きいと認識するのが通常の知覚です。つまり遠くに見える空(地平付近)にある天体が大きく見えるというわけです。 また第二の要因として周りの風景との比較が挙げられます。地平線付近では風景との比較が生じるため天体を大きく感じてしまうようです。これは紙に穴を開けて風景を見ずに天体だけを観察した場合にその錯視が軽減されることで分かります。
お礼
ご回答ありがとうございます。 第一の方は、私が以前に読んだ本と似たものですね。 しかし、この論で分からないのが、 「同じ大きさの見える映像が近くと遠くあった場合、遠くにある方を大きいと認識する」とありますが、 確かに心の中では「あぁ、遠くにあるものの方が大きいんだろうな」と思うと思います。 しかし、見えている大きさは、括弧内の始めで述べているように同じはずです。 それとも、ここで言う「見えている大きさ」というのは"空"のことなのでしょうか? なんか先ほどから屁理屈を並べているようでごめんなさい(^^;; #これも補足の方が良いのでしょうか
- inaken11
- ベストアンサー率16% (1013/6245)
錯覚です。 月や太陽が地上に近づくと、家やビル、木などがあり、自分の知っているそれと対比して見てしまうので、何も比べる物のない空より、地上近くに来たとき大きく見えるのです。 試しに、昼間、十円玉を空にかざして大きさを比べ、夕方同じようにして大きさを比べると、大きさに変化がないことが判ります。
お礼
こちらも早いご回答ありがとうございます。 tikaramotiさんのお答えとあわせて考えると、 つまり地平線上のときに見える大きさの方が、 本来見えるべき大きさに近いということでしょうか?(心理的に) (これは補足の方に書くべきなのでしょうか?(^^; ) 十円玉で比べてみる方法、今度やってみます(^^)
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お礼
ご回答ありがとうございます。 紹介頂いたページの絵は、「同じ大きさでも空間座標的に(?)遠くにあるものは大きく見える」という事がよく分かりますね。 また、oculomotor micropsia という説は知りませんでした。 実際やってみたら、びっくり。結構小さく見えるものですね。 なるほど、上空を見るときはピントを手前に合わせるから太陽が小さく見えるわけですね。。 みなさんのお答えにより、この問題はまだ科学的に完全に解決されて無いことが分かり、 また、知らなかった説を知ることが出来たので、とりあえず今回はここで締め切らせて頂く事にします。 たくさんの良いお答えを頂いたのに、ポイントを振り分けられるのが2人というのが非常に残念です。 みなさん、ありがとうございました。 自分は疑問を多く抱える青年なんで(笑)、 見かけたら是非またよろしくお願いします。