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1605年に秀忠が16万人の兵を率いて伏見城に来た理由
1605年、秀忠は東国の兵16万人を率いて京都伏見の家康のところに赴いた。これは将軍の地位を家康から譲ってもらうための示威行為でしょうか? 結果的に譲渡はその年に達成されたのですが、家康は大御所として権力を握りつづけました。
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noname#26663
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noname#25898
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- a-koshino
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