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古代の貿易について・・・。

古代日本(邪馬台国とかそのあたり)では中国との貿易が行われていましたよね。 そのときの交渉などの会話には何語が使われていたのでしょうか? というか、この二国の間に言葉の壁は無かったのでしょうか? よかったら教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

もちろんことばの壁はあります。 向こうは漢語、こっちはやまとことば。こっちには ろくな文字もありませんでした。 なので、通訳ですね。九州地方などの日頃から漁など で中国と接触する機会のあった人たちのなかには向こ うのことばを解する人たちもいました。そういう人を 通じて意思の疎通をしていたものと考えられています。 中国の方から日本語を学ぶことは皆無ですから。 そのうち公式の行き来が重なるにつれて、大和朝廷で は博士を中国から渡来させ、漢字の輸入をするように なって文字を解して中国とのコミュニケーションがで きるようになっていきました。

oppar
質問者

お礼

なるほど。 もうその時代から通訳というのが存在していたんですね。 回答ありがとうございました。

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その他の回答 (4)

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.5

天明四年に志賀島で発見された金印は、後漢の光武帝からAD57年に与えられた(後漢書東夷伝)ものらしいのですが、邪馬台国とは別の国だった可能性は高そうです。少なくとも、奴国=邪馬台国とする証拠はありません。

oppar
質問者

お礼

そうなんですか!! とても興味深い回答、ありがとうございました。

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回答No.4

中1の男子です。 正しい答えではないと思いますが、そのとき中国は「漢」でしたね? そのときここ、日本は「倭」で、漢のことを知りたいと思い、「漢」の言葉を勉強した人が、卑弥呼に言われ、「奴」の国へ行き(現在の九州北部)、通訳として「漢」へ卑弥呼の使いと一緒に行って、「漢」の皇帝から金印を授かり、「倭」へ帰ってきて、卑弥呼が「倭の奴の(奴国)國王(国王)となり、日本の天下を取ったといえるのです。 長くなりましたが、要するに「通訳がいた」ということです。 あくまで参考にしてください。(間違っている部分もあると思うから)

oppar
質問者

お礼

参考になります。 回答の一生懸命さが伝わってきてうれしかったです。 ありがとうございました。

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  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.3

魏志倭人伝には、百余国のうち、「使訳通ずる所三十国」とありますので、一部には使者の往来があり、通訳がいたようです。

oppar
質問者

お礼

通訳って、その時代から大切なものだったんですね。 ありがとうございました。 とても参考になりました。

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  • hazu01_01
  • ベストアンサー率31% (341/1067)
回答No.2

邪馬台国の時代ですか。わからないが正しい答えじゃないかな? 時代が下がって、飛鳥時代ころになると漢人や新羅、百済などからやってきた人たちがいますので、交流の現場では漢語が使われていたと思います。

oppar
質問者

お礼

やはりそこまで掘り下げるとわからない事が多いんですね。 回答ありがとうございました。

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