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△×○があるから卑弥呼の都だ!
よくヤマタイ国は、九州説、大阪説のどちらかだって、言われてますけど、そもそもそこの土地に何があったら決定打となるのでしょうか? 断言はできないけども、おそらくそうだろうといえる決定打になるもの ってなんでしょうか? 以下の二つを教えてください ・卑弥呼の都の証拠となるもの ・自分的には卑弥呼の都はここだ! ちなみに、私は箸墓が卑弥呼だとロマンがあっていいかなと思います。
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邪馬台国本は随分と読みましたが,恐らく決着が付く証拠は出て来ないでしょう。当時の日本には文字が有りませんでしたので,何かの考古学的発見があっても正確な比定ができないのです。 私は安本美典氏の古代史研究会や氏の最近の著書から,邪馬台国→東遷→大和政権に共感を覚えるようになっています。 安本氏は2003年から2006年に関連本を5冊発行されていますが,その傍証資料はは群をぬきます。少し金額がかかりますが是非読んで見て下さい。
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- caesar-x2
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残念ですが、卑弥呼の都の証拠となるような 文物はありそうもありません。 ギザのピラミッドもどのファラオのものか わかったのは、壁に落書きがあったからですが、 日本の場合、当時は文字がなかったと思われているので どんなものがでても名前など手がかりになるような 文字が発見される可能性は今のところ低いです。 だから古墳時代の墳墓でさえ、 まだ誰のものかわからないものが多数あるほど。 卑弥呼の時代まで遡ると、全く何がなんだかわからない状態。 金印など発見されれば確かにセンセーションでしょうが、 そのような宝物が土に埋まった経緯が問題となります。 都市があった場所に埋められる必然性が薄く、 宝物なら遺棄されるよりも奪われたり、隠されたりする 可能性のほうが高い。全く関係ない場所に埋まっていたり 違う都市に何らかの経緯で埋まったかもしれず、 それがたったからといってそこに邪馬台国があったとは 必ずしも推測できません。 都市が滅んだとしても、金印のようなものは 別の場所に移されたと考えるのがむしろ普通で 金だけに鋳潰された可能性もある。 那の国王の金印も異説もあって、確かに那がそこにあったのかはわかっていません。 そもそも卑弥呼が日本の誰に相当するのかが 卑弥呼の都はどこかの答えになるわけで、 それがわからないうちは推測不可能というのが実際でしょう。
お礼
まあ、確かにそうですね。 魏志倭人伝を見ても、 現在の日本の場所に特定されるような場所は、わかりませんでしたし。 結局、永遠にわからずじまいなんでしょうか? それとも、日本書紀、古事記、物部氏の書物等にヒントがあるのかもしれませんね。
- gawaruna
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>>自分的には卑弥呼の都はここだ 琵琶湖の湖底に沈んで(埋没)いるのではないかと思っています。
お礼
まあ、それもロマンがあるでしょうか。。。
- amanita
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>卑弥呼の都の証拠となるもの 「親魏倭王」之印 >自分的には卑弥呼の都はここだ! ご質問者さまと同様、天理~明日香の間くらいですかね。
お礼
印があれば、確かにそうですね。 場所は、やっぱ大阪ですかね。
お礼
このような方の本があるんですね。 面白そうです、読んでみます。 ありがとうございます。